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序章 天から落ちてきた女

 それは昔、本の挿絵で見た潜水艦に似ていた。さっき天から落ちてきた火の玉は、きっとこれだろう。操縦席から海を見下ろすと、僕はフロート付き水上機を着水させた。そして静かにその船の横につけると、小さな船体を眺めた。全く見た事がない船だった。
 よく見ると、昇降口が開いていた。誰かが、外の様子を見たのだろうか。船体に近づいて、ノックしてみたが、返事はない。もしかしたら搭乗者は、負傷しているのかもしれない。僕は意を決すると、昇降口から船内に侵入した。中は薄暗く、冷たい空気が流れていた。
 「手を上げろ」
 突然、僕の中で声が響いた。見ると、若い女が銃を持って立っていた。
 「後ろを向いて両手を壁につけ」
 彼女の口許を見た。赤い唇は閉じたままだった。だが彼女の声は聞えた。耳で聞いた声じゃない。直接、僕の内側で聞えた。改めて彼女を見た。淡い桜色の長い髪に、深い翠の眸、そして黒と銀のつなぎ。この星の人間じゃない。僕は息を呑んだ。
 「早くしろ」
 大人しく従った。彼女は素早く僕の身体を確かめた。武器はない。
 「両手を後ろに回せ」
 手首が何かに拘束された。
 「こちらを向け。名前は?」
 再び彼女を見た。彼女の黒と銀のつなぎは、一体どういう構造になっているのか、身体の線がはっきり分かる程、切れ目も無く、ぴったりと肌に密着していた。光沢のないつや消しの黒と銀のつなぎだ。素材からして分からない。そもそもこれは服なのだろうか?
 「答えろ」
 彼女は銃口を上げた。口の中がカラカラに乾き、喉の奥が引きつる。だが先程から、彼女の不思議な声を聞いているうちに、僕の中で妙な衝動が渦巻いていた。もし心の中で独り言を呟いたら、彼女にもそれが聞えるのではないだろうか?
 「ジュリヤン。ジュリヤン・カラヴェル」
 僕が口を閉じたまま、心の中でそう答えると、彼女ははっきりと頷いた。
 「一人でここに来たのか?」
 僕は驚いた。本当に驚いた。すると彼女は不審な顔をした。
 「何を驚いている?」
 「僕の心の声が聞こえるんだね?」
 身を乗り出して、そう尋ねると、彼女は銃口を上げた。
 「動くな。これは念話だ。知らないのか?」
 彼女は目を細めて、形のよい眉を寄せた。僕は彼女を見た。
 「知らない。でも君の声が僕の内側で聞こえる。これは耳で聞える声じゃない」
 昨夜、女の声で眼が覚めた。夢かと思ったが、もしかしたら彼女の声だったかもしれない。
 「念話を知らないのに、なぜできる?」
 分からない。困惑したまま彼女を見返した。
 「この星はどうなっている?一体どこの所属だ?」
 僕は確信した。やはり彼女は、この星の人間じゃない。
 「この星はラ・マリーヌだ」
 「ラ・マリーヌ?聞いた事がない」
 彼女は初めて、困惑したような表情を見せた。
 「君の名前は?どこから来たの?」
 僕がそう尋ねると、彼女は再び表情を引き締めた。
 「質問をしているのは私だ」
 大人しく従った。だが銃口を向けられている恐怖より、彼女に対する好奇心が勝った。
 「最後に連絡を取ったのはいつだ?」
 「僕は一人だ。単独飛行だった」
 彼女を見つめながら、心の中で答えた。
 「単独飛行でも基地との連絡はするはずだ」
 それはそうだ。だが僕は軍人ではない。
 「あのプロペラのない機体は、ジェット機ではないな。反重力推進機か?」
 彼女は、一部意味が分からない言葉を使った。だが僕は答えた。
 「浮舟付きの水上機だ。重力機関で飛行する」
 内壁が明滅して、彼女の左側に外の映像が現われた。海上に着水したソルスィエ号が見える。どうやら船内から見えているようだ。僕も水上機乗りの一人だから分かるが、こんな技術はマリアン人にない。この船は恐ろしく進んだ技術を持っているようだ。
 「民間人のパイロットか?」
 「そうだ。ヴェルの塩組合に所属している」
 僕がそう答えると、彼女は意味がよく分からないという顔をした。
 「塩組合は、水上機で海水を汲み上げて、空中都市で真水と塩に分ける組織だ」
 彼女はこの星の常識を知らなかった。マリアン人は巨大な空中都市で暮らしている。大昔の大洪水で、この星の大地は、全て水没してしまったからだ。だから海から真水と塩を得る、塩組合という組織は重要で、どこの国にもある。
 「空中都市?反重力反応が幾つかあるが、これの事か?」
 彼女が右手を伸ばすと、空中に青くて薄い光の鏡が投影された。文字らしき赤い記号の列が流れ、惑星の投影図が宙に現われた。そして惑星上に八つの輝点が記されると、僕にも意味が分かった。これはこの星の、八大空中都市の位置を示しているのだ。
 「この星の状況を説明せよ」
 彼女は僕を見た。使い方を教えてくれなかったが、投影図に近づくと、星が回転して一番近くの輝点が、こちらに向いた。床を歩くとまた星が回転して、別の輝点がこちらの方を向く。僕は床を歩きながら、説明した。
 「これはルジュ。紅い帝国の帝都だ。これはブリュ。碧い王国の王都だ。これはヴェル。緑の共和国の首都だ。ジョヌとノワは紅い帝国の支配下にあり、残りのブラン、アルジャン、オルは遺失都市だ。最後の三つは廃虚で、都市国家ではない」
 彼女は僕を見ると、初めて肉声で何か言った。
 「である・あなた・ロマンス?」
 少なくとも僕の耳にはそう聞えた。語順がおかしいが、明らかにラ・マリーヌの言葉だ。訛っているようにも聞えるが、古くて不思議な響きも感じる。思わず口を開きかけたが、すぐに口を閉ざして俯いた。すると彼女は、再び念話を使った。
 「驚いたな。この星はロマンス系なのか?都市の名前は色に由来しているのだろう?」
 「そうだ。都市の名前は色に由来している。だが僕達はマリアン人だ」
 心の中でそう答えると、彼女は神妙に頷いた。
 「私は今、とても嫌な予感に捕らわれている。訊いてもいいか?」
 「質問をしているのは君だ。僕はこの通り、拘束されて銃を突きつけられている」
 手首を拘束する何かを彼女に見せた。すると彼女は右手をかざして、僕を解放した。
 「この星の人間は、いつの時代、どこの星から移民してきた?」
 僕は困惑した。地上時代の信頼できる記録は、全て大洪水で失われてしまった。それでもマリアン人は、自分達の歴史を、子孫に口伝してきた。マリアン人なら誰でも、子供の頃に一度は聞く話だ。だが今ここで、その話をするのはちょっと気が引けた。
 「答えろ」
 もはや彼女は銃をつきつけなかった。だが僕は歎息して答えた。
 「その昔、マリアン人は、恒星ソルの第三惑星テルから、八隻の宇宙船で出発した」
 彼女は目を見張った。心なしか、眸の色が、微妙に変わったような気がする。
 「昔の船で、こんな遠くにまで行けない」
 「僕達の先祖はとても長い間、宇宙を漂流したんだ」
 先祖の苦労を忍んで、できる限り厳粛にそう答えると、彼女は沈黙した。
 「お互い同じ人類だと分かったところで、そろそろ自己紹介してくれないか?」
 僕がそう言うと、彼女は無表情に僕を見返した。
 「私はホモ・サピエンスではない」
 彼女はまた分からない言葉を使った。そして手で髪を梳いた。
 「この星では目立ち過ぎるな。変えるしかないか」
 彼女はそう言うと、僕を見つめた。思わず、半歩下がったが、彼女は特に気にする事もなく、僕を見つめ続けた。すると彼女の身体が発光して、淡い桜色の髪が、徐々に変化し、僕と同じ亜麻色の髪になった。よく見ると、彼女の深い翠の眸も、僕と同じ褐色に変化していた。
 「君は一体何者なんだい?」
 彼女はしばらくの間、僕を見つめていた。そして答えた。
 「私は遭難者だ。今は事情があって身元は明かせない。何とか自力でこの星を脱出したいが、この脱出艇は飛べない。母艦との連絡も不可能だ。他の脱出手段を探している」
 曖昧な返答だった。せめて名前ぐらい教えてくれてもいいのに。
 「一番近くの空中都市は?」
 彼女は昇降口に向かった。僕も後に続いた。
 「ブリュだけど、僕の故郷ブランに行こう」
 自然にそんな言葉が思い浮かんだ。
 「ジュリヤン。私を案内してくれ」
 彼女は初めて僕の名前を呼んだ。
 「分かった。案内しよう。君はこの星のお客さんだ」
 僕がそう言うと、彼女は微笑んだ。
 「でもその前に、君の名を教えてくれ。名前が分からないのは困る」
 彼女は昇降口から船外に出た。
 「君を何て呼んだらいいんだい?」
 彼女は目を細めて海を見た。
 「ねぇ、聞いている?」
 僕は興奮していたのかもしれない。彼女は、手話や筆談では得られない、生まれて初めての自由な話し相手なのだ。彼女は僕の唯一の話し相手なのだ。
 「テティス」
 風が彼女の髪を靡かせると、仄かに柑橘系の香りがした。
 「テティスと呼んで」
 彼女は、僕と同じ眸と髪の色で振り返った。
 全ての始まりはいつだって唐突で、この時から運命の輪は廻り出した。最初は二人乗りの、小さな車輪だった。だけど気がついたら、この星全体を廻すほどの大きさになるなんて、この時は思いもしなかった。でも僕は、確かに君と出会ってしまったんだ。

                              序章 了

『空と海の狭間で』3/10話 第一章 大浮上


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