西日本のボートピープル
「お前はよくやった。何も悪くない」
夢の中でそう言われた。何の事か分からない。髭もじゃの真っ黒な大男だった。
その若いお母さんは目を覚ますと、首を傾げたが、朝食の支度をするため、階下に降りた。
若いお母さんは、リビングの窓に、小さな男の子の両目が光っているのを見て驚いた。
キョロキョロと目を左右に動かしている。マンガのようだ。
外から家の中を覗いている。こちらに気が付くと、すぐに立ち去った。真っ黒に汚れた小さな男の子だった。日本人ではない。だが顔立ちだけ見ると、自分の子たちと大して変わりがない。衝撃的だった。テレビやネットで言われている北からの流民だろうか。初めて見た。
家の裏手に切り立った崖があり、段々と階段状に造られた住宅街が広がっていた。この家は山の一番近くにあるが、一体どうやって降りて来たのか?ロープでも使ったのか?
それから、時々、その男の子は、家にやって来て、外から家の中を覗いていた。若いお母さんは夫と相談して、警察にも連絡したが、「決して家に入れないように、戸締りを厳重にするように」と言われただけだった。自警団の若い衆が見回りに来る事になった。
夕方、屋上の洗濯物を取り込む時、若いお母さんは山の方を見た。山から細い煙が幾筋も上がっていた。炊飯の煙だ。あの辺りはキャンプ場があった。だが今は地元の人は誰も近づかない。北から来た流民が、小火器を持って立て籠もっている。警察と猟師が山を見張っているが、降りて来る気配はない。彼らは何をやっているのか?一体いつまでいるつもりなのか?
地元の住民たちは不安だった。だが同じような現象が西日本全域で起きており、数が多過ぎて、警察も対応できなかった。収容する施設も足りない。そのため山や海に集まった流民は、そのまま遠巻きに監視して、置いておかれた。小火器で武装しているため、近づけない。
事の始まりは戦争だった。半島の南北で戦争が始まった。38度線だ。
中国地方の島根県、山口県、九州地方の福岡県、佐賀県、長崎県に、半島から大量のボートピープルが流れ着いた。戦争から逃れて来た半島の人々だ。南の住人より、北の住人が遥かに多かった。海上保安庁の対応能力を完全に超えていた。海上自衛隊も駆り出された。
一週間で、10万人を超える人々が押し寄せ、忽ち100万人を超えた。じきに200万人に達する。沿岸の五県だけでは支え切れず、流民は西日本全域に広がった。西日本のボートピープルだ。政府は半島の両国に停戦と流民の帰還を求めたが、戦争でそれどころではなかった。
国連は機能しなかった。それどころか、人道的見地から、難民保護は積極的に行うべきと勧告され、日本は半島からの流民を受け入れざるを得なかった。基本的に、流民の流れは北から南だったので、大陸方面に向かった者は皆無に等しかった。皆、日本を目指して脱出した。
全く備えていなかった日本は、全て施設に収まる人数ではなかったので、治安が悪化した。
西日本の河原や山、海の近くに半島の人々が棲み付き、大変な事になった。特に北から逃れて来た人たちが問題となった。棲み付く場合、北は北で、南は南で固まる傾向があったが、南の人たちは比較的容易に、日本側の受け入れ指示誘導に従った。
問題は武装化した北の流民だった。小火器を持ち込んで、山や海、河原などに立て籠もった。海上で防ぎ切れなかったツケが回ってきた。また事態を全く想定していなかった国の怠慢もある。西日本はパンクした。政府に文句を訴えるが、どうにもならない。
相変わらず、国会は空転しており、国会議事堂がミサイル攻撃で破壊されて以来、オンライン国会も、世界的なネット障害で頓挫ばかりしていた。セキュアなVPNとか機能しなかった。総理大臣は連続して短期間で変わり、来年度の予算さえ組めていない状況だった。
折しも東日本で、富士山が噴火した。一次災害で人的被害は奇跡的になかったものの、経済的な被害が大きく、東京は降灰で停電し、自動車も鉄道も動かず、首都機能を喪失していた。未曽有の危機が日本に訪れていた。戦後最大級の危機だった。
始まりは38度線沿いにあった南の首都に、北からの長距離砲が火を噴いた事からだった。
マスコミは突然始まったかのように報道していたが、北の小国の言い分では、南が先に攻撃して来たので反撃したと主張していた。弾道ミサイル発射基地が破壊されたと言っている。
南の話では、北が弾道ミサイル発射体制に入り、南の領土に着弾させる事が、事前に察知されたので、止む無く基地を先制攻撃したのだと言う。実際に発射されてからでは迎撃に間に合わないため、発射前に叩いたと言う。情報源は公表されず、情報の確度も不明だった。だが南は、米軍と連携して、とにかく弾道ミサイルだけは、絶対に撃たせない方針を貫いた。
欧州大戦で起きた限定核戦争のせいで、弾道ミサイル発射の危険性が改めて世界で認識された。飛んでいる弾道ミサイルが、核ミサイルか、通常ミサイルか、見分ける手段はない。手順に従って、即座に相互確証破壊の流れに入る可能性がある。弾道ミサイル発射は極めて危険だ。
南は確信があってやった事のようだが、証明は困難だった。北は大手を振って、南に侵攻した。予てから準備していたようだが、国内の逼迫した事情に寄り、総攻撃は一回しかできない。物資がなさ過ぎて、兵站がもたない。基本的な戦争計画でさえ、南の物資に依存している。
早い話、国家規模の大盗賊団だった。2000万の人間が、南に向かって進軍する。北のロケットマンは叫んでいた。南は当然応戦した。兵器の近代化は進んでいたが、整備不良や予算不足で、稼働できる装備が少なく、戦闘車両、軍用機、軍艦が思ったより動いていなかった。
南が、世界一稼働率の低い軍隊という前評判は本当だった。だが北の通常兵器は貧弱で、弾道ミサイルと核兵器を除けば、見るべきものはない。むしろ戦争博物館に展示されるような兵器が、現役で稼働している。一説には、旧日本軍のゼロ戦さえ隠し持っていると言われる。
半島の戦争は、それぞれの事情で、すぐに膠着状態に陥った。それでも北は南の首都を占領できたので、勝利宣言を出した。だがそれが攻勢の限界点で、それ以上は軍がもたなかった。あとは弾道ミサイルと核兵器で脅すしかない。だが南は北の弾道ミサイル基地を空爆した。
山林に隠せる移動式の弾道ミサイルと、潜水艦発射の弾道ミサイルも、北にはあった。実は大部分が動かないか、破壊されたかで、使える数は少なかった。だがあるかも知れないという見せ方をして、北の黒電話は戦争を指導した。南は米軍と共に、弾道ミサイル狩りを続けた。
半島の戦争は凄惨だった。最初の長距離砲攻撃と、南の首都陥落で、かなりの死者が出てしまった。だが弔う者はいなかった。あとは流民と化した半島の人々だった。基本的には流れは北から南へ行くので、最終的には海に出る。日本海が広がり、その先には日本列島がある。
北の人民大将軍が言う全軍突撃とは、文字通り、北の2000万人の移動である。南に向かって民族大移動し、一部は南を抜けて、日本さえ目指す。一割でも200万のボートピープルが発生する。南も戦争から逃れるため、日本に向かって移動する。日本海は人で溢れた。
北の独裁者は、これを2000万人の地ならしと呼び、国民そのものを武器として活用した。北の住民を、軍隊で故郷から追い立てて、南に向かわせるのだ。南には富と食料があると。南も船を用意して、積極的に流民を海に出していた。半島ではもう支え切れないからだ。最終的には、この作戦で北は滅びた。住民がいなくなり、国家としての体を為さなくなったからだ。
その若いお母さんはテレビを見ながら、ずっと考えていた。リビングの窓には、まだ小さな手形が黒く残っている。彼らの生活を想像した事がなかった。想像を絶する暮らしをしている。
北から渡って来たとしたら、半島を抜け、日本海を渡り、西日本にまで来ている。集団で故郷から出発したのだろうが、物凄い距離だ。旧約のエクソダスか?大陸の長征二万五千里か?
一体どんな思いをしたのか?そしてこの家を見て、あの子は何を思ったのだろうか?自分は何をすべきなのだろうか? あの痩せ方は尋常ではなかった。まるでアフリカの子供だ。コートジボワールか、ブルキナファソの子供たちだ。テレビの世界だ。
若いお母さんは、ずっと善行について考えていた。無論、危険はある。何をするか分からない。だが施しが必要ではないだろうか。今のところ、姿を見たのはあの子供だけだが、恐らく家族もいるだろう。山の中で食料を探しているのだろうが、大したものがあるとは思えない。すでに近所の農家が被害を受けている。不安そうな子供たちを抱えながら、夫は言っていた。
「……ここは山に近過ぎる。引っ越ししよう」
「でも一体どこに行くの?今の日本で安全な処なんてあるの?」
その若いお母さんは、自分でそう言いながら、少し前なら考えられない話だと思った。
それから夫婦で話し合ったが、答えが出なかった。今は辛うじて仕事が続けられているが、引っ越し先で再就職できるのか、分からなかったからだ。市内中心に引っ越す案が出た。
答えが出ないまま日が経過し、ある日の夜、若いお母さんは夜中に目を覚ました。
階下に人の気配を感じたからだ。物音がする。ゆっくりと階段を下りて、キッチンを覗いた。冷蔵庫が空いている。内部灯に照られた小さな男の子の姿が見えた。食料を貪るように食べている。ふと外気を感じた。窓が開いている。その若いお母さんは声を掛けようとした。
だがその小さい男の子は、こちらに気が付くと、脱兎の如く逃げ出した。あっと言う間の出来事だった。一瞬だったが、目が合った。なぜ自分が微笑みを浮かべたのか分からない。敵意がない事を伝えようとしたのだろうか。だが向こうがそれに気が付いたかどうか分からない。
その若いお母さんは、冷蔵庫を片付けた。そして窓の鍵をかけずに閉めた。家族には何も話さない。その日は何事もなく過ぎた。だがそれから数日後の午後、その子はまた現れた。
リビングから見える庭に、一人で立っている。ただこちらを見ている。
若いお母さんは、リビングの窓を開けた。そして腰を下ろしてしゃがみ込み、目線の高さを同じにして、微笑んでみせた。その小さい男の子は、小首を傾げていた。言葉は通じないだろう。若いお母さんは声を掛けず、手でおいでおいでをした。その男の子は迷っていた。
若いお母さんはキッチンに立つと、歌を歌いながら、その子のために簡単な料理を始めた。それで意味が分かったのだろう。その子はリビングから上がると、キッチンのテーブルに着いた。汚れているが、黙ってお行儀よく待つ。若いお母さんはタマゴ粥を作って出した。
その小さな男の子は、こちらを見ている。若いお母さんは、熱湯でタオルを作ると、その熱いタオルでその子の手と顔を拭った。あっと言う間に真っ黒になった。小さな男の子の眼から涙が零れる。零れる。若いお母さんは微笑んで、スプーンを渡した。すぐに食べ始める。
どこの子も変わらない。人間だ。何の違いがあるのか?
だが若いお母さんの知らない処で、事態は進行していた。実は小さな男の子と一緒に、中年の男性が庭に入り込んでいた。小銃で武装している。88式小銃、AK74カラシニコフ自動小銃74年式の一種だ。人民軍の主力小銃である。彼は北の民兵、労農赤衛隊に属していた。
若いお母さんが、庭の武装した北の民兵に気が付いたと同時に、日本語で「動くな!」と声が聞こえた。日本の警官だ。複数いる。拳銃を構えている。いつの間にか、自宅の庭が戦場となっていた。ここが戦争の最前線か?若いお母さんは、小さな男の子を守ろうと、手を伸ばして、後ろから両肩に手を置いた。だがその子は、北の中年男性を見ている。顔立ちが似ていた。親子か?北の民兵は動いた。庭からリビングに入ろうとする。日本の警官は、拳銃ニューナンブM60を発射した。キッチンとリビングに銃弾が飛び交った。だが多勢に無勢。北の中年男性は、小さな男の子の手を取ると、全力で山に向かって逃走した。警官隊は深追いしなかった。
「……ごめん。自分が通報した。こんな事をしてはダメだ。危険過ぎる」
夫だった。いつの間にか近くに立っていた。若いお母さんは、訳もなく涙を流していた。どうして悲しいのか分からない。分かり合えないからか?それとも自分が至らなかったからか?いや、どちらでもなかった。世界に愛が足りなかった。夢のお告げは正しかった。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード75