奪衣婆とカローンと黒ギャル
そこは三途の川の渡し守だった。奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)がいる。
「おーい、婆さんや。また物干し竿が折れたぞ」
奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣服を、懸衣翁が物干し竿に掛けたら、罪が重過ぎて折れた。
「懸衣翁や、一体何本折れば気が済むんじゃ」
奪衣婆が呆れたように言った。足元で首根っこを掴まれた裸の亡者が暴れている。
「何度も言うようじゃが、折っているのはわしじゃない。罪人だ――」
三途の川で渡し賃が払えない者は、奪衣婆が衣服を剥ぎ取り、懸衣翁が衣服を物干し竿に掛ける。罪が軽ければ折れないが、生前の罪が重いと、竿がしなったり、折れたりする。
「――それからわしの名はカローンじゃ。懸衣翁なんてモダンじゃない」
カローンとは、忘却の川レーテーの渡し守である。ギリシャ神話だ。
三途の川の懸衣翁に対応する存在かも知れないが、外国の神話なのでよく分からない。と言うか、年代的には紀元前の話なので、こちらの方が古い。どっちもモダンじゃない。
「あ~あ、それにしてもどうするんだ。婆さん……」
周囲に折れた物干し竿が散乱していた。今地上の人は、どれだけ罪深いのか。
「たけや~。さおだけー」
そこにTOYOTAのバンが通り掛かった。
見ると、運転手はフードを被り、黒衣を纏い、大きな鎌を立てかけている。
「おーい、婆さんや。金をくれ」
奪衣婆は無言で金庫から金目なものを取り出して、カローンに渡した。
「いくらだ?」
「三十年前のお値段です」
コモディティを渡した。円もドルもユーロも人民元も暴落しているので、信用がない。
とりあえず、新しい物干し竿を購入して、補充する。
「まとめ買いをお勧めします。二本で千円です」
「それは本当に安いのか?」
爺さんが運転手に尋ねると、小柄な人物はフードを降ろした。
「多分」
それは死神美少女だった。見目麗しい。
「……懸衣爺や。とりあえず、払いなさい」
爺さんは婆さんに言われた通りに買った。河原に物干し竿が並ぶ。
「それにしても、思っていたより、大変な役目じゃな」
二人は、亡者たちを閻魔大王に渡す前に、三途の川の渡し守で、大まかに手分けする。その人の生涯に応じて、流れが穏やかなコースとか、流れが急なコースとかある。ごくまれに、虹の橋が掛かって三途の川を渡る者もいる。最近、そんな者は滅多に見なくなったが。
それから、渡し賃が払える者はいいが、近頃は払えない者も多く、なおかつ罪が重くて、やたらと物干し竿をへし折るので、お金がかかって仕方ない。最初は柳の枝でやっていたのだが、全部折れてしまったので、今は物干し竿で代用している。渡し守は赤字経営に陥っていた。
「……金を稼がないとダメだね」
奪衣婆がそう言った。僅かに舌なめずりする。黒いオーラが立ち昇った。
「婆さん、婆さん、またまた悪い虫が憑いているぞ」
爺さんが注意した。この爺さんは、孫の高校野球を観るため、数日間地上に帰るのと引き換えに、懸衣翁の仕事を短期間引き受けた。天国に行くまでの間の話だ。
「そうかい。でもこのままじゃ、物干し竿も買えなくなるよ」
意地悪婆さんは、死んで、奪衣婆になった。奪衣婆転生だ。
無論、好きでこうなった訳じゃない。閻魔大王に怒られて、地獄に行くまでの間、少しでも罪を軽くするためやっている。だが段々、亡者から服を剥ぎ取るのが楽しくなってきた。
「……ワタシから服を盗るとか、ちょっと在り得ないんですけど~」
そのパパ活女子大生は、渡し守でごねていた。黒ギャルだ。
サロンで焼いたチョコレート色の肌に、青いアイシャドウ、青いマニュキュア、青のカラーコンタクト。日本人だが、胸がでかく、圧倒的だ。
「ワタシを脱がすんだったら、逆にお金取れるんですけど~」
その黒ギャルは、ポーズを決めてハートを飛ばした。ソフマ〇プか。
「……三途の川の渡し賃がないなら、さっさと脱ぎな」
奪衣婆が凄むと、黒ギャルはヴ〇トンのお財布を取り出したが、出し渋った。
「科学万能の21世紀で、三途の川?とか在り得ないんですけど~」
すると爺さんが、婆さんの肩を掴んで、急に割り込んで言った。
「その21世紀で、わしら奪衣婆とカローンと黒ギャルじゃ。こんな愉快な事はない」
「……離しな」
婆さんは冷たく、爺さんの手を払った。馴れ合うつもりはない。
「でも何でパパ活なんぞやっておる?」
爺さんは黒ギャルに尋ねた。すると彼女は、右手の人差し指を顎に置いて言った。
「う~ん。どうしてだっけ?でも手っ取り早くお金が欲しかったのよ」
「まっとうに働けばよいではないか?」
「無理」
黒ギャルが笑顔でそう答えると、爺さんが婆さんを見ながら言った。
「じゃあ、そこの婆さんみたいに、マネーゲームで儲ければよいではないか?」
「マネーゲームは苦手なのよ。ガチャはいつも負けるし……」
黒ギャルはしみじみと言った。やった事はあるが、すぐに失敗した。
「ところでワタシって死んじゃったの?」
黒ギャルはそう言えばと言う感じで、爺さんに尋ねた。
「……それは閻魔大王の沙汰次第だな。だがお前さん、見たところ……」
そのパパ活女子大生からは、不吉なオーラが漂っていた。呪いの力を感じる。
「その人は私が預かる」
不意に死神美少女が、その場に現れた。
「あっ!可愛い~。死神のコスプレ?」
黒ギャルがそう言うと、死神美少女は嘆息した。
「……この人はまだギリギリ、助かる可能性がある」
「え?何?ワタシ、ピンチなの?でもホント、可愛いね」
黒ギャルは身を捩った。そして死神美少女に触れようとする。
「……私に触れるのは止めなさい」
「え?いいじゃない。減るものでもないし~」
「……迂闊に触れると精気が吸い取られる」
黒ギャルは残念そうにしていた。
「じゃあ、お名前は?」
「下っ端の死神に名前なんてない。テキトーにヤミちゃんとでも呼んで」
漫画から取った。少しだけ自分に似ていると思って、密かに愛読している。
「そうなの?でもヤミちゃんはちょっとイメージが違うな~」
黒ギャルがそう言うと、死神美少女は不機嫌そうに横を向いた。
「じゃあ、深夜アニメぽく、鎌苅雫とかどう?」
妙な名前を提案された死神美少女は、暫定的にその名前を受け入れた。
「……分かった。今度どこかで使わせてもらう」
死神美少女は、なぜか少しだけ、嬉しそうにしていた。
「ねぇねぇ、この世界ってどうなっているの?」
黒ギャルは突然、鳥頭的に話題を転換した。
「この世界とは?」
爺さんが逆に尋ねた。
「……この夢みたいな世界だよ。あの世?異世界?あなたの知らない世界?」
「イメージの世界じゃな。物はない」
「物がない?」
黒ギャルは首を傾げた。物干し竿を見る。これは物ではないのか?
「物体はないが、概念はある。イメージは存在する」
爺さんが解説した。手は物干し竿に触っているが、爺さんの足は台座と重なっていた。
「それってつまりどういう事?」
黒ギャルは尋ねると、爺さんは答えた。
「ほら、こうやって言葉はあるじゃろう。だからイメージがある。光がある」
爺さんは右手を上げて、紹興酒を出現させた。手品みたいだ。
「わしらもイメージじゃよ。身体という物体がなくなっても、わしというイメージが残る」
「……でもイメージだと消えちゃわない?」
黒ギャルは心配そうに言った。
「そう簡単に消えたりしない」
爺さんは静かに言った。そして続けた。
「椅子はいつか壊れてなくなるが、誰かが必要とする限り、椅子のイメージは残る」
「……それってイデア論だよね。あるいは色即是空の空だよね」
死神美少女が横から指摘した。
「まぁ、そうだな」
爺さんは頷いた。そして爺さんは歩いて、物干し竿と重なった。通り抜ける。
「時間的な縛りがないから、こうやって同じ空間に同時存在できる。現世では無理だが」
「わ~幽霊みたい!」
黒ギャルは目を輝かせた。自分でも物干し竿に触ろうと試してみる。通り抜けた。
「……まぁ、幽霊そのものなんだが、幽霊は時間がズレているから、そんな事もできる」
「時間がズレている?」
「……個々の主観的な時間で生きている。だから時間が延び、縮みする」
「へ~。そうなんだ。でも生きている時も、時間が長いとか、短いとかあるよね」
「元々人間は幽霊じゃからな。そんな事もある。結局、魂なんじゃよ」
「そうなの?」
黒ギャルはびっくりした。逆じゃないか?あれ、それとも合っているのか?
「だから何度も生まれ変わって、毎回閻魔大王にドヤされる。欲界転生じゃな」
爺さんはカカと笑った。婆さんは目を伏せ、死神美少女は苦笑いした。
「ふ~ん。そうなんだ。そう言えば、今日敬老の日だったね。お爺さんお婆さんありがとう」
また黒ギャルは、急に鳥頭的に話題を転換した。
「おお、そうなのか。もう地上のカレンダーなんか忘れていたわ。ありがとうな」
爺さんがお礼を言うと、婆さんはフンと横を向き、死神美少女は微笑んだ。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード36