見出し画像

UFOと左遷

 その日、百里基地の第305飛行隊は慌ただしかった。
 2機のF15Jが緊急発進する。百里空港の民間機は全て飛行停止だった。
 スクランブル自体は珍しくない。だがこの日はいつもと違った。
 マッハ20以上で、太平洋から日本に向かって直進する飛翔体を、基地のレーダーが捕らえていた。だがなぜか途中で大幅に減速し、今では音速以下の速度で飛行している。
 最初はミサイルではないかとされた。大陸弾道弾の最終フェーズならそれぐらいの速度が出る。地球周回極超音速ミサイルも同様だ。だがこんなに減速するのは不自然だった。
 また角度的に見て、宇宙からの飛翔体でもないとされた。ずっと同じ高度で水平に飛んでいる。天体現象・自然現象ではない事は明らかだったが、人工物と断定するのは憚れた。
 米国にマッハ20以上で飛行する極超音速滑空体Falcon HTV2が存在する事が知られている。だがブースト・グライド軌道という特殊な飛行をするので、該当しないとされた。
 米軍に問い合わせたが、当該機体どころか、米国籍機は当該空域に現時刻に飛行していないという回答だった。いよいよ、未確認飛行物体、UFOとして対処する事になった。
 とうとう、俺も地上勤務か。長かったな。
 その50代のパイロットは、遠ざかる百里基地を視界の隅で見ると、心中嗤った。
 任務中に本物のUFOとやらを目撃して、基地に帰還して報告すると左遷される。飛行任務から外されて、地上勤務となるのだ。これは空自だけでなく、民間航空会社でも同じだ。
 要するに、正気かどうか疑われて、パイロットから降ろされるのだ。
 今回は自分から志願した。まだ飛ばなければならない若い奴らを、地上勤務に回す訳には行かない。いわゆるUFOでなければ、それはそれでよい。その時は別の問題が起きるが、現実的に対処するだけだ。しかし本物の地球外文明の宇宙船だった場合、目も当てられない。
 引退だ。UFOなんてパイロットにとって、空の死神でしかない。UFOと左遷だ。
 彼は90年代からF15Jで飛び続けているベテランで、階級は三佐だった。総飛行時間は1万時間を超えている。米国での飛行時間も足すと2万時間近い。もう引き際だろう。
 本物のUFOとやらを見て、長かったパイロット人生に有終の美を飾るのも悪くない。
 これまで無駄に若い奴らが、UFOを目撃して写真まで撮り、基地に報告して地上勤務に回されている。彼らは血気盛んで、現実的な空の脅威として訴えたが、全て無駄だった。
 これは日本社会だけの問題ではない。全世界的にそうなっている。UFOは空のタブーだった。語ってはいけないのだ。見てはいけないのだ。しかし地球に飛来する。なぜだ?
 実は今回のスクランブルには予兆があった。途中で目標をロストしているが、何度か同じコース、同じ速度で未確認飛行物体が接近していた。今月二度繰り返されている。そのため基地では対策会議が開かれていた。事前ブリーフィングでも手順の確認を行っている。
 百里基地はUFOと因縁がある。1974年6月9日だ。
 第7航空団第301飛行隊F-4EJ、製造番号17-8307の喪失だ。
 対外的には事故で処理されている。パイロットは事故で殉職。書類も改変された。
 実際はUFOと空中戦をやって、撃墜されたとも言われている。現場は首都圏上空と聞く。
 事件当時、領空深く侵犯され、都心上空まで来られてはたまらないので、止む無く交戦したと聞いている。だが結果は機体の喪失と前席の殉職。後席の生還だった。
 なお米国ではこの事件を、第六種接近遭遇と分類している。米国の消息筋は事件に詳しい。
 この事件は上層部も揺るがしたが、基地の先輩たちにも抜きがたいトラウマも植え付けた。
 曰く、極力戦闘は避けろ。目撃したら、当該空域から直ちに離脱せよ。
 現実的な戦訓だったが、向こうから領空侵犯して来た場合はどうするのか?こちらも任務があるので逃げられない。幸い、その後の接近遭遇は全て穏便に済んでいる。
 向こうも、必ずしも交戦意志を持つ訳ではないようだった。ただ姿を見せて帰る。それだけだった。無論、それと引き換えに、優秀なパイロットが地上勤務に回された。迷惑な話だ。
 空の死神。それがUFOに対する認識だった。UFOを見ると、みんな報告したくなる。
 こういう時、流行りの悪役の定式に当てはめて言えば、姿を見せないUFOがいいUFOで、姿を見せるUFOは悪いUFOだという事になる。無論、ただの構文・定型文に過ぎないが。
 小学生の頃、町中に貼られた映画『ET』(1982年)のポスターを見た事がある。あの頃は映画の告知で、街の掲示板や魚屋の店頭、果ては電柱にまで映画のポスターを張る時代だった。
 1982年、都内荻窪の天沼の話だ。SNSどころかインターネットさえない。
 当時、宇宙人は夢のある対象として描かれていた。ETも愛嬌があった。90年代に入ると宇宙人のイメージも変わり悪役となった。報告される接近遭遇でも評判を落とす一方だった。
 奇しくも今日は6月9日だった。事件から半世紀経過している。
 三佐は予定空域に入ると緊張した。僚機を確かめる。
 未確認飛行物体、UFOはレーダーに映り続けている。間もなく視界に入る。目を凝らす。頼むUFOでないでくれ。俺はまだ飛びたいんだ。しかし残念ながら、それはUFOだった。
 銀色の円筒形をしており、お茶か海苔を入れる金属製の容器みたいな形をしていた。
 こんなものが空を飛ぶ訳がないので、これは地球外文明の宇宙船だろう。形状からして弾道ミサイルの最終突入部分の線も考えたが、飛び方がおかしいので、これは違うだろう。
 ああ、とうとう遭遇してしまった。引退確定。地上勤務だ。さらば空の落とし子よ。もう二度と地球に来るな。それよりもこれからどうするかだ。僚機もいる。三佐は考えた。
 二機のF15Jが、UFOとすれ違うと、宙返りしてぴったりと横についた。
 仕方ない。間抜けだが、手順通り行こう。
 三佐は、国際緊急周波数121.5MHz及び243MHzにて、録音済みの英語を放送した。
 「This is Japan Air Self-Defense Force. You are approaching Japanese airspace territory. Follow my guidance 」(こちら航空自衛隊。貴機は日本領空に接近している。こちらの指示に従え)
 何度か繰り返したが、応答はなかった。当然か。
 三佐はUFOを挟んで、向こう側にいる僚機にハンドサインを送る。ウィングマンは、UFOの右後ろについた。これで様子を見る。駄目だ。状況に変化がない。
 この次のステップは、前方に向かって威嚇射撃だが、それはやりたくなかった。
 「Tell me your flight plan. In some cases, guide you to the base」
 (飛行計画を伝えたし。場合によっては基地まで誘導する)
 三佐は殆どやけくそで英語を話していた。果たして宇宙人に英語が通じるのか?
 だがこの内容は基地で散々議論した事だった。1976年、旧ソ連のベレンコ中尉の事例にならって、亡命扱いという線で、UFO問題を穏便に解決しようという現場のアイディアだった。
 会議では基地司令の許可が下りず、さりとて却下もされず、保留になっていた案だった。
 「If you follow me, take a path in direction〇〇-○○……」
 (もしこちらに従う場合、進路を方位○○-○○に取れ)
 するとUFOは正確にこちらが指定した進路を取った。
 静かに深く衝撃が走った。基地に着陸するつもりか!
 百里基地も大騒ぎになった。ベレンコ中尉の日本亡命どころではない。
 どうする?まさか狙い通りに行くとは思わなかった。これまでのパターンから言って、テキトーに姿を見せて立ち去るのが、宇宙の礼儀じゃなかったのか?このUFOは空気を読まない。
 「Tell me your flight plan」(飛行計画を伝えたし)
 三佐はUFOに並走しながら、英語を何度か繰り返した。真意が知りたい。
 すると不意に声が聞こえた。それは母国語だった。あるいは、普遍文法だったかもしれない。
 ――うるさいな。聞こえているよ。基地まで連れて行ってくれ。
 「日本人なのか?」
 ――日本人じゃないよ。地球人でもない。他の星からの亡命者だよ。
 三佐は咄嗟に頭を巡らせた。録音を確認した。正常に動作している。だが残念な事に、基地に帰ってから確認したところ、三佐の声しか入っていなかった。テレパシーらしかった。
 「目的は亡命か?」
 ――そうだよ。
 「……亡命という事は、所属する組織からの離脱者という事でいいのか?」
 ――僕は踏み絵だよ。地球人に対する。
 意味は分かったが、使っている言葉がおかしかった。
 踏み絵という言葉はキリシタン関連の用語で日本史でしか使わない。文化背景まで含めてこちらを理解しているのか、あるいはシンプルに考えて、日本人が乗っている可能性さえあった。
 ――どう理解するかは君たちの自由だ。
 不意に人型のイメージが脳裡に見えた。まるでTVアニメみたいだった。
 ――とにかく僕は急進派なんだ。時期尚早でも今伝えるべきだと考えている。
 「それは何だ。何を伝えようとしている!」
 三佐は必死になって喰らいついた。
 ――それは基地に降りてから話すよ。
 やっぱりベレンコ中尉なのか?空港に降りてから話すのか。来るなら先に用件を言え。
 その後、何度か呼び掛けたが、応答はなかった。
 国土が見えて来た。茨城県のエメラルドビーチが見える。どこがエメラルドか?
 そろそろ高度を下げないといけない。無線を聞いていると、米軍が動いているらしかった。それはそうだろう。ベレンコ中尉の時もそうだった。だがこれはそれ以上のインパクトがある。
 日本社会はこの衝撃に耐えられるのだろうか。そして世界はどう見るのか。いや、これもまた闇に葬られるのではないか。そうに決まっている。この宇宙人は消される。
 黒船の時は四隻からなる艦隊で、船の大きさから言っても、幕府も隠しようがなかった。だがこの宇宙船はどうだろう。F15Jと同程度か、せいぜい15m前後だった。その気になれば、多勢に無勢で、隠し通せるのではないか。この宇宙人は賢くない。どれ、地球人がどれだけ野蛮か教えてやろう。三佐は、20mm機関砲を前方の何もない空間に向かって発射した。
 ――残念だよ。
 UFOは進路を変えた。そして一瞬で超加速して、あっと言う間に空の彼方に消えた。
 これでいい。サラエボの銃声並みに世界史を変えたかも知れないが、構うものか。
 問題は先送りする。先送りできる限り。それが大人の処世術だ。俺は日本の公務員だ。罵れ。
 基地に帰還すると、それでも大騒ぎになっていた。基地も完全にモニターしていたので、状況は全部伝わっている。直ちに基地司令に報告となった。簡易検査の後、出頭する。
 「よく撮れているな!」
 その基地司令は、僚機が撮影したUFO写真を手に取って見ていた。スクリーンには、後方から撮影したUFOの動画も上映されていた。基地の幹部たちも「おー」と見ている。
 「何で撃った。CNN、FOX、NBCを呼んで、世界同時生放送するつもりだったのに」
 三佐は呆気に取られた。確かにアメリカの報道関係者の姿も見えた。何だこれは?
 「こんなチャンスもう来ないかもしれないんだぞ。勿体ない。ああでも証拠は残ったか」
 基地司令はノリノリだった!三佐は恐る恐る真意を尋ねた。
 「自衛隊はUFOを見たら報告するようにって、何年か前、国会で言われただろう!」
 そんな話、あったかも知れない。あまり真に受けていなかった。その後、三佐は地上勤務にならなかった。日本社会も少し変わったようだった。三佐はちょっと後悔し始めていた。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード18

いいなと思ったら応援しよう!