大船で財布を盗まれた士官候補生が米海軍元帥になるまでの話
鎌倉の大仏が、その米海軍士官候補生を見下ろしていた。
大仏の顔色は、ヘイズグレーだった。髪や服など、色が深くなっている処は、オーシャングレーやシーブルーだった。アメリカ海軍色だ。だからと言って、親しみが沸く訳じゃない。
その准士官は、軽巡洋艦シンシナティが日本に寄港した時、上陸許可を得て、観光に出かけた。彼の名は、アーネスト・ジョゼフ・キング。のちに米海軍元帥になる男だ。この時は25歳。少尉任官前で、1901年にアナポリス(アメリカ海軍兵学校)を卒業している。
キング候補生は、アイルランド系で、とにかく気性が激しかった。最初の航海で、戦艦イリノイの副長とトラブルも起こしている。大した感想もなく、大仏を後にした。鎌倉駅に向かう。
その若い女はスリだった。子供の頃からやっている。生業(なりわい)だ。
主に、駅で汽車を待ち、列に並ぶ人たちから財布を盗む。
その日、青い目をした若い外人が駅に立っていた。紺色のコートを着ている。軍人か。
――アレがいい。きっとお上りさんだ。カモだ。
女は全身を目にして、機会を伺った。妖怪・百目鬼(とどめき)か。
「号外!号外!」
突如、新聞売りが騒いだ。日露戦争の戦勝を伝えている。その外人は気を取られた。
――今だ!
女は神業のような速さで、青い目をした外人から財布を盗んだ。すぐにその場から立ち去る。彼女は密かに、震えるような興奮と熱狂に包まれていた。誰かに見られたのではないか?という甘い囁きに身を浸す。快楽だ。彼女は、窃盗の中毒患者(クレプトマニア)だった。
だが女は、知らなかった。とある男の精神が変容し、変な扉を開いてしまった事を。
米海軍士官候補生は、大船駅を降りた時、財布がない事に気が付いた。盗まれた?
改札で駅員が、切符の確認を求めた。准士官は、英語で財布を無くした事を伝えたが、通じる訳がない。もしかしたら、後世の彼の評判から判断して、若い頃も、頑固で、傲岸不遜な態度だったかも知れない。当然、トラブルになった。だが彼も一歩も退かない。
結局、ネービーブルーのコートを脱いで、切符代の代わりとした。担保だ。キング候補生は、一週間後、再び大船駅まで取りに行ったが、その時の駅員の態度が、終生忘れられなかった。完全に見下した目で、こちらを見ており、盗人を見るような疑いの目つきだった。
米海軍士官候補生は憤慨した。二度とこんな国に来るものか!次来る時は勝利した時だ!
帰国後、アナポリスに戻り、地上勤務に就いた。砲術の教官だ。その後は艦隊勤務に戻り、アメリカ大西洋艦隊の参謀補佐官になった。それからまた地上勤務に戻り、アナポリスで当時先端技術だった駆逐艦と潜水艦の研究を行った。1914年には駆逐艦の艦長に任命された。
キング少尉は、優秀な艦長だった。厚かましさを理由に、上官から危うく軍法会議にかけられる処だった程度には。第一次世界大戦中、駆逐艦の水雷戦隊を任せられ、頻繁に英国を訪れた。この時、彼にAnglophobia(英国嫌悪症)が発症した。原因はよく分かっていない。
大船で罹患したJapanophobia(日本嫌悪症)との関連性が疑われるが、推測の域は出ない。
アーネスト・キングは1917年に中尉、1918年には大尉に昇進した。第一次世界大戦後、海軍大学院学校の校長になった。また地上勤務だ。そして1923年から1925年の間は、潜水艦艦隊の司令となり、沈没した潜水艦の引き揚げで、勲章を得た。かなり無茶をやったらしい。
1926年からは、航空畑に転じた。アメリカ大西洋艦隊航空団のスタッフと、水上機母艦の艦長も務めた。1927年から米海軍の中で、航空隊の指揮官は、パイロットの資格を持つ事が必須になったため、48歳で、アーネスト・キングは、パイロットの資格を取得した。
1930年、キングは航空母艦レキシントンの艦長になった。当時、世界最大の空母で、二年間艦長を務めた。この艦には多くの思い出がある。初期の空母のため、組織上の問題があった。そのため人員の士気は大変低かったが、キング艦長は二年間で、士気を劇的に改善させた。
艦長退任のお別れパーティでは、あの鬼のキングが、涙さえ見せたと言う。
1932年の一年間、キングは海軍大学校に通った。合衆国における対日戦略の課題が出された時、衝撃が走った。対日戦?それは合衆国が日本と戦う事を想定しているのか?
この時、キングは、後世、歴史家たちを唸らせる名文を書いたというより、カマクラでの個人的な体験から、どう見ても、こじつけにしか見えない奇妙な文章を捻り出し、大胆な未来予測をした。すなわち、帝国海軍による真珠湾奇襲だ。だがこの予言は9年後、見事的中した。
「……このカマクラでの個人的な体験というのは、一体何かね?」
論文を受け取った指導教官は、やや困惑した様子でキングに尋ねた。
「私はカマクラで財布を盗まれたのです。グレート・ブッダが見ていたのにもかかわらず」
指導教官は、完全に意味が分からないという顔をしていた。
「……それがどうして、日本海軍によるハワイ基地奇襲攻撃に繋がるのかね?」
当然の疑問だが、キングにとっては、愚問中の愚問だった。すでに考え抜いている。
「それは日本人の特性です」
「……その特性とは?」
「カマクラでの体験が、私に教えてくれた日本人の特性は、二つあります」
指導教官は、黙って先を促した。
「一つは、財布を奪うのに、単純な暴力よりは、好機を狙って奪うスキルを好む傾向です」
キングは何かを瞑想するかのように、述懐した。
「二つは、駅員の態度です。相手の不利を容赦せず、徹底的に利用するマインドです」
指導教官は沈黙した。まぁ、軍人としての観察眼は、あるのかも知れない。
「これらを組み合わせて考えられる事は、不意打ちの日本人。すなわち、真珠湾奇襲です」
どれだけJapanophobiaをこじらせていたのか分からないが、キングは恐るべき男だった。
「……君の意見は独創的だが、それを日本人全般にまで広げるのはどうか?飛躍が過ぎる」
「と、いいますと?」
「……例えば、あのアドミラル・トーゴーは、不意打ちをやるのか?」
指導教官は、日露戦争における日本海海戦の勝利者の名前を出した。
「それは、カマクラのグレート・ブッダにでも聞いて下さい」
キングは東郷平八郎(注72)も、好きではなかった。あのT字戦法はどうなんだ?
「とにかく、日本人は、卑怯な連中です。奴らは必ず寝込みを襲って来る。断言していい」
1933年、キングは航空局長になり、少将に昇進した。この時も持論を局内で展開し、周りから大いに煙たがられた。だが1938年には、中将に昇進した。1940年には、彼の持論が、車椅子の大統領の耳にまで、届いたのか、大将に昇進した。彼は誠に、恐るべき男だった。
なおこの二人は、それぞれ別々の視点で、ずっと同じものを見ていた可能性がある。
車椅子の大統領、予言者元帥、非合理主義者提督、帝国海軍は、こんな化け物を三人も相手にしていたのだ。太平洋戦争は、物量で敗けたというより、インスピレーションで敗けていた。
1941年(昭和16年)12月8日午前3時20分(現地時間7日午前7時50分)、帝国海軍南雲機動部隊は、ハワイの合衆国海軍基地を奇襲攻撃した。無通告開戦だった。
「私はそれを知っていた!」
キング大将は、副官からその報告を聞いた時、思わずそう叫んだ。
それからしばらくして、非合理主義者提督レイモンド・スプルーアンス少将は、上司であるキング大将と話をする機会があった。この二人は、お互いが嫌いではなかった。
この時、キング大将は、すでに、合衆国艦隊司令長官の任に就いていた。
「……閣下は、早くから日本海軍による真珠湾奇襲を予想されていたそうですね」
この時、まだスプルーアンスは、ただの砲雷屋に過ぎなかった。本当は戦艦で大砲をぶっ放す戦艦部隊司令官を望んでいたのに、実際は重巡戦隊司令官で、ガッカリしていた。
「ああ、日本人は卑怯な連中だからな。必ずハワイに来ると読んでいた。以前から周りにそれとなく伝えていたのだが、誰も聞き入れず、今日の事態を招いた。これは軍の怠慢だよ」
スプルーアンスは微笑んだ。結構、有名な話だ。皆、知っていた。信じなかったが。
「……閣下の慧眼には驚くばかりです。どうやったら、真実を見抜く目を持てますか?」
それは軽く訊いた、何でもない質問だったかもしれない。だがこの時、キングが見せた眼差しは、終生スプルーアンスに深い印象を与えた。
「それは君、一度敗ける事だよ。徹底的に敗ける事によって、人は学ぶ」
「……なるほど、我々は真珠湾で一度敗けた訳ですね」
スプルーアンスが頷くと、キングは有名な台詞を口にした。
「Remember Pearl Harbor」(真珠湾を思い出せ)
これは合衆国の合言葉だ。日本に復讐を誓う呪いの呪文だ。
「……これは誰が言い出した台詞なんですか?」
「Remember the Alamo(アラモを思い出せ)の改変だろう。マスコミの創作だよ」(注73)
キングはそう言ったが、実はあの車椅子の大統領の作品ではないかと疑っていた。演説で騙し討ちを強調している。似た考えが、大統領の頭の中にあった事は、間違いない。
レイテ沖海戦の後、1944年、キングは元帥に昇進した。戦時の特例だった。いや、車椅子の大統領からの好意だったのかも知れない。それくらい、二人は対日戦で一致していた。
太平洋戦争末期、マンハッタン計画とは別に、もう一つの恐るべき作戦が策定されていた。ダウン・フォール作戦だ。ノルマンディー上陸作戦を遥かに上回る艦艇数、人員数で構成される米軍史上、最大の作戦だ。実行されれば、日本は本土決戦で完全に灰塵と帰す。
「……君はこの作戦に賛成かね?」
同僚の米海軍元帥、チェスター・ニミッツは、キングに尋ねた。
「ああ、昔、カマクラで盗まれた財布を取り返せるからな」
キングはそう答えた。もう車椅子の大統領はいない。死去した。どこの世界に旅立ったのか知らない。だが対日戦の勝利だけは、確信していた事だろう。それは自分もそうだ。
この戦争は間もなく終わる。合衆国の勝利で以て。永い戦いだった。だが恐らく終わる事はないだろう。日米がこの世界から消える日まで、この戦いは続くのだ。世界は覚えている。
B29の焼夷弾が降る中、その老婆は、よろよろと夜の参道を歩いていた。
その女は、昔はスリだった。だがもう年を取り過ぎて、生業もできない。
「ああ、仏様、この世が終わりまする。どうかお慈悲を」
それは鎌倉の大仏だった。女はそこで泣き崩れた。わんわんと泣いている。
女は全てを失っていた。全てをだ。戦争に全て持っていかれた。残酷だ。あんまりだ。
見下ろす大仏の顔色は、佐世保海軍色だった。帝国海軍色だ。だからと言って、鎌倉の大仏が、日本の味方に立つ訳ではない。どこの民族神も自国民を贔屓するが、仏は公平だ。どちらに立つ訳でもない。因果の理法に基づいて、物事の善悪を量るだけだ。
これが、大船で財布を盗まれた士官候補生が米海軍元帥になるまでの話だ。
注72 東郷平八郎(西暦1848~1934年) 帝国海軍元帥 日本海海戦の勝利者 明治
注73 1836年、テキサス独立戦争。アラモの砦で有名。守備隊が全滅した。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード98