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玄奘、インダス河を渡る

 目の前に、悠久の大河が滔々と流れていた。舟で渡る。
 一行は、唐に帰ろうとしていた。玄奘、インダス河を渡るだ。
 「このまま無事に、インドから出してくれるのか?」
 ブタの💝様はそう言った。これまで悪魔・妖怪の妨害が度々あった。
 そう考えると、このまま只で済むとは思わない。何かあるかも知れない。
 「……警戒して損はないが、無駄に警戒しても、気疲れしてしまう」
 河童型宇宙人がそう言って笑うと、ブタの💝様も言った。
 「敵は己の裡にありってな。外敵と戦っている分には、大した事はねぇ」
 遠くで、獣の咆哮のようなものが聞こえた。虎か?インドには虎がいる。
 猿渡空は、悠久の大河を眺めながら、独り嫌な予感に包まれていた。
 
 それは、唐への帰還事業と言ってもよい規模の隊商だった。
 インド僧7人、苦力20人、象1頭、馬4疋、騾馬10頭だ。
 玄奘たち一行は、大量のお経、大量の仏像を持ち帰ろうとした。
 だがそれは帰路、インダス川を舟で渡る時に起きた。
 突如、突風が吹いて、象が乗っている舟が激しく揺れた。
 「……何だ?この風は?」
 ブタの💝様は、しっかりと両足を開いて、その場に踏み留まった。
 一瞬、向こう岸に、青い人影が躍るのが見えた。気のせいか?
 だが象が川に落ち、舟が転覆した。お経50巻が失われた。
 玄奘は後日、戒日王に手紙を書いて、失われたお経を取り寄せた。
 幸いな事にそれは、帰路の途中で、玄奘たちに届けられた。
 だがそれは後の話だ。今は別の問題が起きていた。
 「何の騒ぎだ?」
 玄奘が河岸を見ると、現地の人たちが争っていた。
 「……盗賊だな。人さらいの類か?」
 ブタの💝様が言った。到着する河岸の出来事だ。悲鳴が聞こえる。
 「孫悟空、助けてやりなさい」
 玄奘が指示すると、猿渡空はスマホをかざして、変身した。
 「……じゃあ、ちょっと行ってくるね」
 舟から舟を軽快に跳んで、先に河岸に着くと、盗賊を追った。
 玄奘たち一行が、河岸に辿り着くと、今度は苦力が襲われた。
 「猪八戒、助けてやりなさい」
 「……いや、ここは沙悟浄、頼む」
 水陸両用の河童型宇宙人が投入された。
 賊は舟を盗んで、人と馬、お経を持って行こうとする。
 沙悟浄は、インダス河に飛び込むと、盗賊を追った。
 「……どうも嫌な感じだな。誰かに狙われているのか?」
 ブタの💝様は立ち止まっている。女の童が見た。
 孫悟空が離れ、沙悟浄も離れている。猪八戒だけ残っている。
 「……この展開、見覚えがあるぞ。昔テレビで見た」
 ブタの💝様は言った。女の童は首を傾げる。
 「……水戸黄門だよ。峠に盗賊が出る話でな。屈指の名話だ」
 女の童は、先の天下の副将軍がどうかしたの?という顔をする。
 「……盗賊が人をさらうから、最初に風車の弥七、次に助さん、最後に角さんが、それぞれパーティーから離れて助けに行き、峠の山道で、黄門様を一人にするんだ」
 「それでどうなったのですか?」
 「……そこに盗賊が大勢で押し寄せて、黄門様を討ち取ろうとするんだ」
 「それは中々の作戦ですね」
 「……そうだ。だが何と黄門様が大立ち回りして、撃退するんだ」
 「え?印籠は使わなかったんですか?」
 「……ああ、杖に鉄が仕込んであるとか言っていた。ガッカリだよ」
 印籠を使わない事か鉄の杖だった事に失望したのかハッキリしなかった。
 「……とにかくオレが離れると、お師匠様が危ない」
 女の童も頷いた。それはその通りだ。
 「……ウチのお師匠様は、論戦とか法力合戦には強いが、物理はダメだ」
 だから孫悟空、猪八戒、沙悟浄が護衛として付いた。お釈迦様の配慮だ。
 それから一行は、孫悟空と沙悟浄を待ったが、第三の襲撃があった。
 「……しゃらくせい!また人さらいか!」
 「猪八戒!こちらは大丈夫だから、追いなさい!」
 玄奘がそう言うと、ブタの💝様は迷った。だが女の童は頷いている。
 「……ここは任せた。何かあったらすぐ知らせてくれ」
 猪八戒が離れると、ドクロの呪術師が一行の前に現れた。全身青い。
 「ドゥルガーは、唐僧をご所望である!生贄だ!」
 大勢の盗賊に包囲された。万事休すだ。女の童は姿を消した。
 
 猪八戒が、賊を撃退して、苦力を解放すると、孫悟空を見つけた。
 黒い人影と戦っている。だが四足獣のようだ。敏捷に飛び跳ねている。
 沙悟浄も押っ取り刀でやって来た。二人で雁首を並べて、観戦する。
 「何だ?アレは?」
 ブタの💝様が尋ねると、河童型宇宙人が答えた。
 「……アレはドゥルガーという神だ」
 沙悟浄は物知りだった。インテリか。
 「何だ?それは?」
 「……インドの祟り神だよ。残忍で狂っている」
 キュアモンキーが押されている。敵は大剣を振り回している。
 「ちょっと助太刀してくる」
 猪八戒はまぐさをしごくと、孫悟空に加勢した。
 だが猪八戒と孫悟空の二人がかりでも倒せない。
 「こいつ。とんでもなく強いぞ!」
 「……お釈迦様から授かった霊装を使っているのに!」
 完全にパワー負けしていた。人間技ではない。限界を超えている。
 「……狂戦士という奴だな。インド・ヨーロピアン系の神話で言う処の」
 戦闘に参加しないで、沙悟浄は冷静に分析していた。
 「……でもあたしには、まだ切り札があるよ!」
 「例の決戦宝具か?」
 火焔山では、フライパン山を一撃で吹き飛ばした。牛魔王もビックリだ。
 「……いや、違う。別の宝具」
 孫悟空は言った。狂戦士となったドゥルガーに勝つにはこれしかない。
 「どんな宝具だ?」
 「……孫悟空のエピソードに纏わる力よ。髪の毛が金色になる」
 キュアモンキーは得意げに言ったがブタの💝様は静かに首を横に振った。
 「悪い事は言わん。そいつはやめておけ」
 「……え?何で?戦闘力が爆発的に上がるのに?」
 狂戦士が二人になるだけだ。だが戦っても勝てない。どうする?
 不意に女の童が限界した。猪八戒の袖を引いて、玄奘の危機を訴えた。
 やはり一人になった処を襲われた。敵の本隊か?厄介だ。
 「とにかく、お師匠様の処まで、引っ張って行こう。それしかない!」
 三人は戦いながら、狂戦士を玄奘の元まで誘導した。
 
 「……お前のように霊力がある奴をドゥルガーに捧げるのだ!」
 ドクロの呪術師は言った。邪神の生贄に、玄奘が指名された。
 「待て、唐に帰って、お経を翻訳しなければならない」
 「……そんな事、知った事か。大人しく生贄になれ」
 「だが聖典取得のため、唐から来た者を殺すなど、そなたにとってもよい事はないぞ。悪い事は言わない。こんな事はやめるんだ」
 玄奘がそう言うと、苦力たちも同じ事を言った。
 インド僧も玄奘の命乞いをした。中には身代わりを申し出る者もいた。
 「……うるさい。うるさい。黙って言う事を聞け!」
 だが全身青い呪術師は承知しない。インドの悪魔の姿がダブって見えた。
 どうやら、ブッダガヤの仕返しのようだ。論戦に勝てないなら力ずくか。
 「分かった。しばし待て。心を静めてから歓喜してあの世に旅立ちたい」
 玄奘は、その場に半眼で結跏趺坐すると、一切衆生救済の祈願を始めた。
 「願わくば来世、浄土に生まれて、菩薩に仕えん。法を学びて、悟りを得、またこの世に生まれて、悪しき人々を教化し、悪行を捨てさせ、善行を為さしめん」
 玄奘は一心不乱に祈り続けた。これほど真剣に祈った事はない。
 人生最後の祈りかと思うと、涙が流れて来る。止まらない。
 すると、玄奘の体を残したまま、幽体が離脱して、宙に浮いた。
 そのまま天界に行き、階層を上昇して行く。玄奘の魂は歓喜に満ちた。
 その時、心眼に投影された世界が、玄奘の体の周りにも展開された。
 最初は金粉が降り、玄奘の周囲から草花が咲いた。小鳥さえ飛んで来る。
 明らかに天が、玄奘を祝福し、光の世界が、周囲の人たちを包んだ。
 「……一体何だ?この世界は?」
 人々は驚きと歓喜に満ち溢れ、ドクロの呪術師もその場に崩れた。
 狂戦士も境界線を越えると、取り憑いていたドゥルガーが離れて倒れた。
 「……固有結界?まさかこれは菩薩界か?」
 戻って来た猪八戒も驚いた。孫悟空も目を丸めている。
 「……別に私たち要らなかったね」
 インドの悪魔も、邪神ドゥルガーも立ち去った。
 悪霊なので、とてもじゃないが、同じ場所にいる事ができない。
 「……玄奘殿の悟りは、阿羅漢を超えつつある」
 河童型宇宙人はそう言った。だがまだ翻訳事業がある。油断はできない。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺051

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