[書評] 新しい歴史として日本の歴史を描く
田中秀道『日本国史・上——世界最古の国の新しい物語』(育鵬社、2022)
本書は美術史家の著者が新しい歴史として国史(日本史)を書いたもの。上巻は旧石器時代から平安時代までを扱う。
美術史に関る部分は、類例がないほど鋭く、参考になる。
〈新しい歴史〉としての二つの主張(「日高見国」と「大和時代」)は、まだ国史の分野では奇異の目で見られているかもしれない。
まだ評価をあまり得ていない理由は、おそらく史料や資料の扱い方にあるのではないかと思われる。例えば、長浜浩明氏は『日本の誕生』(2022)において〈(田中)氏が記紀を読まずに書いている〉と極論する。だが、本書を読むかぎり、長浜氏の指摘は誤解に見える。
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ただし、著者の文献の扱い方には、確かに問題がなしとはしない。一例を挙げると、菅原道真の漢詩の引用だ。〈日本人の書いた漢詩として最高のもの〉と評価するわりには、詩テクストが精確に扱われていない。
まず、タイトルを「滅ゆ」としているのがまずい。これは「燈滅」とすべきだ。あるいは、「燈滅ゆ」と。参考として、貞享04年(1687)の刊本の写真を掲げておく(国立公文書館デジタルアーカイブ)。
本書の訓読は、おそらく『菅原道真』(研文出版、1998)に拠ったものだろうが、不正確な引用で、そのままでは日本語として読めない。
試みに、評者が読み下してみよう。
脂膏先づ尽きて 風に因らず
殊に恨む 光一夜の通ずる無きを
得難し 心を灰にすると 跡を晦ますと
寒窓起きて就く 月明の中
左遷後の道真の心境を窺わせる七言絶句である。本書では起句を「脂膏先づく」と書き、転句を「得ることし」と書く。いづれも意味不明である。
本書で訓読のあとに引用された山本登朗の次の現代語訳は、正確に書き写されていると思われる。
ともしびが消えてしまうのは、十分に確保できない油がはや燃え尽きてしまうから。けっして風のせいなどではない。 眠れないわたしが特に恨めしく思うのは、灯の光が、こんなわけで一晩中照らしていてはくれないということだ。
火が消えた後の灰のように心を無感動な忘我の状態にしたり、また闇に隠れるように世間から逃れて隠者として暮らすことは、わたしにはむつかしい。
ともしびの消えた後、わたしは起き上がり、寒々とした深夜の窓辺に身を寄せるのだ。月明かりの中へと……。
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このように、文献の処理に難があるが、所々にすばらしい洞察が含まれているので、今後、より精密な〈新しい歴史〉が生まれることを期待する。