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[書評]脳と心の量子論

治部 眞里・保江 邦夫『脳と心の量子論』(講談社 ブルーバックス、1998)

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いったい「心」とは何だろうか。その物理的実体は何だろうか。

そういう問題意識から出発して、最後は、実は「心」は脳組織という物質レベルにはなく、光量子のレベルにあるという結論に至るスリリングな書。

理論物理学者(場の量子論)の立場ではそのような結論に達するが、ここから先の検証は実験物理学者の手に委ねられる。実験で確かめるべきは、脳組織にある隠れ光子(エヴァネセント・フォトン)のボーズ凝集体(ボーズ量子[電磁場の量子]である隠れ光子の集団)の存在である。これが確認されれば、心の科学の夜明けがやって来る。

「心」とは何かについて、本書では、心は、記憶と、その想起(連想)であると捉えて説明している。そして、記憶と想起について、場の量子論で説明する。

記憶の特徴として挙げられる「記憶の安定性」「記憶の大容量性」「記憶想起の容易性」「記憶の連想性」などについて、量子脳理論では、他の理論(ニューロンやシナプスの神経回路で説明する脳神経科学や分子生物学など)よりうまく説明できる。

本書の結論は30章の冒頭に書かれている。ここだけを読んでも本書全体をふまえなければ理解しにくいかもしれないが、一応引用しておく。

 外界からの刺激やそれに対する意識の印象も含めた内的な刺激も、最終的に細胞骨格や細胞膜の中に作られる大きな電気双極子の形にまで変形されたのち、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されるものが記憶でした。
 そして、いったん記憶が凝集体の形で持続しているようなときに、新たな刺激によりその凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜の生体分子が電気双極子を持つようになった場合に、凝集体の中に南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンが発生するのです。これが記憶の想起の物理的な素過程であると考えられました。(243-244頁)

この南部・ゴールドストーン量子は、「ゼロでない質量を持つ隠れ光子にその姿を変えて」いる。

本書のありがたい点は、隠れ光子を、船の舳先の部分の波に譬えて説明しているところだ。目に飛び込んでくる進行波の光子とは違い、この特殊な波動の光子(電気双極子の凝集場のごく近くにだけ存在する)は、決して見ることができない。それで、隠れた光子の意味でエヴァネセント光子とかエヴァネセント・フォトンとかトンネル・フォトンなどと呼ぶ。

ふつうの光子は質量がゼロだが、この隠れ光子は有限の値を持つ。その質量は10エレクトロン・ボルト程度という(246頁)。電子の質量の10万分の1程度の重さしかない。

心と記憶について、本書は詩人ウナムーノ (Miguel de Unamuno) の言葉を英訳で引用している (232頁)。ここでは原語のスペイン語で引用しておきたい。

La memoria es la base de la personalidad individual, así como la tradición es la base de la personalidad colectiva de un pueblo. Vivimos en la memoria, y nuestra vida espiritual es en el fondo simplemente el esfuerzo de nuestra memoria para persistir, para transformarse en esperanza, el esfuerzo de nuestro pasado para transformarse en nuestro futuro.

つまり、私たちは記憶に生きる。そして、私たちの霊的生は、根本においてただ、私たちの記憶が続こうとし、希望へと変容しようとするものであると言っている。

すなわち、生きるとは記憶のうちに生きることである。私たちの心が生きているとは、私たちが持っている記憶をとどめ、それが希望へ変わっていくように努力すること、それが未来へと続くよう努めることだというのだ。

生きるということを精神面から捉えるならば、記憶を保持し、その記憶を希望へと変え、生きる道を未来へとつないでいくことであるということだ。まさに、本書が扱う、記憶と、その想起、その連想こそが精神的生、つまり心に他ならない。

シナプスの可塑性で記憶を説明する立場からは、人間の記憶容量の膨大さは説明がつかない。量子脳理論が実験で確かめられる日が来るのを、楽しみに待ちたい。

#書評 #量子脳理論 #光量子

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