[書評] 目にあまる巨人族という水脈
泉パウロ『異種交配生物の未来——恐竜と巨人(ネフィリム)は堕天使のハイブリッド!』(ヒカルランド、2019)
目にあまる巨人族という水脈
英米の書物やジャーナリズムを読んでいると時々 'biblical' という単語に出くわすことがある。これは辞書にある「聖書にある」「聖書の」というニュアンスではない、もっと大きな(歴史的)判断を述べるときに用いられる。
日本の論説文の用語でいうと〈世界史的な〉(出来事)などという言い方が近いであろうか。
彼らの意識の中では〈聖書に書いてあったことが今まさに実現しつつある〉という興奮を伴っているように思われる。つまり、とてつもない歴史的瞬間に立会っているという認識が反映されている。
これは単に歴史的な見方を表すだけの表現ではなくて、そういうふうに(聖書に沿うように)世の中を推し進めているという自負の表現であることもある。
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最近では、日本の元首相の暗殺事件に際して北米のジャーナリストが書いた文章 'In fact, what happened to Abe can even, without exaggeration, be described as biblical.'(安倍に起きたことは、誇張なく、聖書的出来事と言いうる) に度肝を抜かれた。日本でこの事件をこのように評する人はおそらくいないだろう。
が、一人だけ日本でそのように書きそうな人がいるとすれば、それは本書の著者である。
著者はそれほどまでに、あらゆる出来事を聖書の目で見る。本書は、〈目にあまる巨人族〉のストーリーが聖書のあちこちで析出するさまを鋭く抉り出した書である。
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著者の書くものに親しんでいる人、たとえば、〈シュワッチ〉と聞いてすぐにピンと来るような人でも、本書は、やや手ごわいかもしれない(意味不明)。
著者自身が〈一般の方には聖書一冊で十分だと思います〉(27頁)と述べながらも、ふつうの聖書一冊では追いかけることが困難な書である。なぜなら、著者が言及する聖書の箇所の多くが、ふつうの聖書には載っていないからである。
どういうことか。その点を、〈一般の方〉で聖書学に明るくない人のために、少しだけ明らかにしてみたい。
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まず、前提として、〈一般の方には聖書一冊で十分〉というときの聖書とは、次の聖書のことであると思われる。
・新改訳聖書(いのちのことば社、最新改訂版は2017年)
著者が断りなく聖書(正典)から引用するときはこの聖書のテクストであると考えられる(26頁)。
「正典」(canon, canonical books)は、教義の基準となり、信仰の規範として定められた、特別な権威があると認められた聖書正典のこと。したがって、教義や教派や教会により範囲が異なる。
一般に、著者のようなキリスト教のプロテスタント教会の牧師にとっての正典は、旧約聖書39書、新約聖書27書の、計66書である。新改訳聖書はその66書を収める。
正典以外の書は「外典」(アポクリファ、Apocrypha)と呼ばれるが、この範囲も教会等により異なる。
また、関連する語に「偽典」(Pseudepigrapha)があり、これも範囲は種々あるが、一般には、正典と外典でない文書をさす。
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著者が本書でやろうとすることは、主として、〈巨人〉の文脈を、聖書の正典や外典を動員して明らかにし、現代に関る影響も示すことにある。
その際に、〈外典聖書「巨人の書」から導かれる〉という言葉が枕詞のように用いられるので、読者は、あたかもそのような書が存在するのかと思ってしまう。
評者が本書を手に取ったのも、まさにその〈外典聖書「巨人の書」〉なるものに関心があったからだが、読んでみると、そういう題のテクストは(きちんと読める形では)存在しなかった。
しかし、だからといって、それに相当するものがないわけではない(エノク書の一部がその名前で知られる書に対応するし、そのエノク書やマニ教の文書、および死海写本中の写本断片からなる「巨人の書」に焦点を当てた 'The Book of Giants: The Watchers, Nephilim, and The Book of Enoch' [Joseph Lumpkin 編、2014] という本も存在する。なお、マニ教では「巨人の書」は正典である)。
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本書の第1章「進撃の巨人(エグリゴリ!?)は実在した!?」に、「目に余る巨人族の行動・行為が聖書外典に詳細にわたり記されていた」というセクションがある(36-38頁)。それを例にとって、具体的に書いてみよう。
このセクションで引用される聖書の箇所は次の通りである。評者が確認できた、引用テクストの翻訳を丸括弧内に添える。創世記以外はすべて外典聖書。
なお、評者は第一エノク書のテクストを George W. Nickelsburg and James C. Vanderkam, '1 Enoch: The Hermeneia Translation' (Fortress P, 2012) によって確認した。この版はアラム語、ギリシア語、エチオピア語の異同が脚注に記してあるので便利である。
・ギリシア語エノクの黙示録8章(Barbaroi!)[外典聖書第一エノク書8章に近い]
・エチオピア語エノク書[外典聖書第一エノク書8章4節〜9章2節に近い]
・創世記6章5節(新改訳)
・外典聖書ヨベル書7章23節[本書では21-23節と記す]
・外典聖書ベン・シラの知恵16章7節[本書では8節と記す](新共同訳)(*)
・外典聖書知恵の書14章6節(新共同訳に近い)(**)
(*) ベン・シラの知恵……「シラ書」「集会の書」とも呼ばれる。カトリック教会と東方正教会、およびオリエント正教会の大部分で旧約聖書の正典(第二正典、Deuterocanonical books)に含める書。英国国教会(聖公会)はアポクリファとするが、有名な欽定訳聖書(1611)では Apocrypha のセクションに 'The Wisdom of Jesus the Son of Sirach, or, Ecclesiasticus' の題で収め、〈人生の模範〉を教える書とはするが、教義の確立には用いないとしている。ルター派の教会も同様のアプローチをとる。
(**) 知恵の書……「ソロモンの知恵」とも呼ばれる。カトリック教会は第二正典、東方教会は正典に含める。欽定訳聖書(1611)は Apocrypha のセクションに 'The Wisdom of Solomon' の題で収めている。
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上記の第1章のタイトル中にある「エグリゴリ」について、本書ではあたかも巨大天使のことであるように記すが(43-45 頁)、須永 梅尾氏によれば、これはコプト語で「堕天使」の意である(「『巨人の書』の再検討」、1975年、p. 61)。
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上記以外に評者が確認できた翻訳の一部を参考のために書いておこう。
第2章「なぜノアの洪水で地上をリセットしなければならなかったのか!?」の「埋もれていたノアの箱舟(実物)はアララト山中腹で発見された!」のセクションに、〈堕天使ネフィリムの数が書いていました!〉とある。
〈ギリシャ語バルク黙示録第4章10節に「神が地上に大洪水を起こして、すべての肉と40万9000人の巨人を滅ぼした」とあります。〉(66頁)
これは、『聖書外典偽典 別巻 補遺 I』(教文館、1989年)の「ギリシア語バルク黙示録」(土岐健治訳)の138頁にある。
本書を読んで、考察を深めたい読者のために、引用文の書誌情報を注記しておいてくれるとよいのだが。
聖書一冊があれば十分と言われても、聖書の原文は難解だし、翻訳も各種あって、翻訳ごとにニュアンスが異なることもある。どの聖書で読むかは重要だと思う。
聖書翻訳の質を議論する際に関るのは、どの教派の聖書かなどという問題よりも、教派を超えた聖書学の(国際的)翻訳チームの水準の問題だ。聖書学の学問的水準に、教派的党派的偏向の関与する余地があると考えるほうがおかしい。聖書翻訳の質は原文と翻訳とを比べればおのずと明らかになる。
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第5章〈クムラン洞窟出土「巨人の書」はかく語る!〉は、本書の目玉である「巨人の書」を扱う。107-111頁に、同書の断片の英文が掲載されている。本書の読者はこれがどの本からの引用か、気になるだろう。
評者が調べたかぎりでは、最も近いのは、次の書だった。
Joseph Lumpkin, 'The Books of Enoch and The Book of Giants: Featuring 1, 2, and 3 Enoch with the Aramaic and Manichean Versions of the Book of Giants' (Fifth Estate, 2018)
この書からの引用と思われる1Q23 Frag. 1+6 [. . . two hundred] . . . (108-109頁)の日本語訳の最後が「誤認識」となっているのは、英文の 'miscegenation' の翻訳とすれば、あきらかに誤訳で、〈異種交配〉とでも訳すのが近いだろう。この箇所は5章の核心とも言える部分なので、次に改版することがあれば、ぜひ修正していただきたい。
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エノク書は本書で頻繁に言及され、〈外典〉として扱われる。だが、エノク書はエチオピア正教会の旧約聖書の一書である。エチオピア正教会以外が正典性を認めていないというだけである。エチオピア正教会は東方諸教会の中で最大であり、正典性の判断において西方教会が東方教会に優るという思い込みがあるとすれば、それは無意味である。
さらに、もっと重要なことは、聖書中で引用され、パラフレーズされ、言及されるすべての書の中でエノク書が聖書の著者たちに最も影響を与えていることである。特に、新約聖書の著者たちの思想や神学に最も影響を与えた〈非正典〉の書がエノク書である。この書はもっと研究し熟考するに値しないだろうか。
かりに、西方の色眼鏡である〈外典〉のラベルを頭の中でいったん外して、虚心にエノク書を読めば、これまで見えてこなかったいろいろのものが見えてくる。
そのための刺激に本書は十分なりうる。
そうして、刺激を受け、考えてみようという気になれば、他の〈外典〉書は措くとしても、聖書以外に、エノク書だけは手許に持っておかれるのがよいだろう。
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「巨人の書」は写本断片からなるので、それを読む前に第1エノク書の1-36章(「見張りの書」The Book of the Watchers と呼ばれることがある)をぜひとも読んでおくことが推奨されている。その部分は「巨人の書」と密接な関りがあるからだ。
だが、普及版のエノク書(『旧約聖書外典・下』講談社文芸文庫、1999)では、1-36章のうち、6-11章、20章、23章、36章2-3が省略されている。6-11章は本書との関連では最も肝腎な部分の一つで、そこを省くのは黒塗りの資料のようなものだ。
この普及版エノク書は、抄訳であるだけでなく、一種の敷衍訳である。つまり、原文にない言葉を補った場合に、そのことを明記していないのだ。また、本文には注や、相互引照(聖書の他の書との関連)も附属しない。
したがって、さらに考察や研究をするためにはこの普及版は不十分というほかない。
この普及版とほぼ同じくらいの価格で、上に挙げた Nickelsburg と Vanderkam による '1 Enoch' が入手できる。これは第1エノク書をすべて英訳してあり、言葉を補完したところは断ってある。
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本書が類書と違うところは、世間に流布する怪しい風説のたぐいをばっさり斬り捨てる姿勢である。
〈地球空洞説〉のような「むなしいことばに、だまされてはいけません」と、著者は言う。
さらに、「地底人も宇宙人も存在しません」と著者は断言する。ただし、米露は人間が製造したUFOをすでに所有していると言う(58頁)。
また、レプティリアンも「フェイク情報」であると断じる(73頁)。
本書の基本はあくまで聖書であり、それに基づき、さらに、自身の体験に照らして、地獄は現実の世界であると、著者は言う(315頁)。
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本書の第二部は、がらりと変わって、牧師としての伝道的内容である。「すべての災厄・悪霊を退けるノウハウ」と題して、著者の地獄体験をまじえつつ、熱く語られる。
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本書の内容を、日本語の本ですべて確認しようとすると、少なくとも、聖書、エノク書、ヨベル書が必要で、しかもそれだけでは足りず、巨人の書が要るがこれは日本語訳が(本書の部分訳などを除き)ない。
英語でもかまわなければ、これらすべて(の関連箇所)を、上に挙げた Joseph Lumpkin, 'The Books of Enoch and The Book of Giants' の一冊でまとめて読むことができる。