[書評]『水鏡推理6 クロノスタシス』
過労死の科学的判定をめぐるミステリ
省庁における過労死事例の多発などを受け、過労死を客観的に判定する「バイオマーカー」が提唱された。その危険値を超えた者は過労死の危険ありとして休養が命じられる。労働環境の改善につながる画期的な基準である。
そのマーカーの承認の可否を審議するにあたり、検証作業を任された水鏡瑞季と須藤のチームは、過労死した官僚を順に調べて行く。ところが最初の事例で奇妙な壁にぶつかる。
過労死した疑いのある男性の婚約者の所在がつかめないのだ。男性の死に至る状況を証言したのが婚約者であるから、死亡状況を深く知る上で事態は深刻である。調べても調べても、その女性が実在した証拠が出てこない。一体どうなっているのか。
手がかりを求めて各方面にあたるうちに、瑞季は奇妙な一連の出来事に遭遇する。この事案を取材した週刊誌には箝口令が敷かれ、担当した警察官とも連絡がとれなくなる。まるで、過労死研究に対し目に見えない圧力が働いているかのようだった。
そのうちに、瑞季と須藤にも大量の警察官による監視体制がとられるようになり、外にいても事実上の軟禁状態に置かれるようになる。なぜこうなるのか。過労死の実態を明らかにすることに何らかの不都合が存在するのか。
瑞季らの調査が佳境に入るあたりから物語は一挙に加速し、息もつかせぬ展開になる。著者が得意の「人の死なないミステリ」には珍しく、死を直接に扱うミステリながら、現代人の労働環境について深く考えさせ、感動的な人間ドラマをも垣間見させてくれる傑作。
表題の「クロノスタシス」は時間に関する錯覚の一種。すばやい眼球の移動(saccade)などのあとで目をとめた対象における、時間(クロノス)の持続(スタシス)が通常より長く知覚されること。たとえば急にアナログ時計を見たときに秒針が一瞬とまって見えるような現象。聴覚や触覚でも起きる。クロノスタシスが起きるのが正常。これが物語の一つの伏線になる。
松岡圭佑『水鏡推理6 クロノスタシス』(講談社文庫、2017)
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