[書評]月刊日本2021年6月号
「月刊日本」2021年6月号(ケイアンドケイプレス、2021/5/22)
大化の改新の策源地=南淵塾
南淵塾についての2頁の文章を読むために本号を入手した。結論から言えば、その価値はあった。
渡来系の学僧、南淵請康 (みなみぶち の しょうあん) は第一回遣隋使で留学する。その期間が32年。留学といえば、現代の常識だとせいぜい数年間というところだろうか。それがなんと32年間。帰国は640年のこととされる。
戻ってから飛鳥の知識人、政治家、有力者に歴史、孔孟、四書五経などの学問を教えた。南淵塾には中大兄皇子と中臣鎌足が通っていた。塾のあった場所は桜井の談山神社の宏大な敷地のどこかである。
大化の改新の密談の場所は談山神社といわれる。その目指すところが、農村共同体の再現であったとすれば、その思想的淵源は南淵請康だろうと、筆者の宮崎正弘は述べる。乙巳の変に影響を与えたのは彼だったのだ。
〈いまは名前さえ知る人は少なく、そういう古代との考察をしたのは権藤成卿くらいだ〉と宮崎は指摘する。
その権藤成卿 (ごんどう せいきょう)について、三浦小太郎が本号に書いている。正確には、権藤を補佐するように活動していた長野朗の思想を掘下げている。長野が推進した農村救済運動における思想は、ひとつには〈共存の経済〉であり、もうひとつは〈搾取の排除〉であった。
このうち、前者は、経済界における共存、政治界における自治、精神界における純情 (虚偽に対立する概念) を原則とする。彼は、〈経済政策とは何よりも生存、生活の基盤を守ることであり、だからこそ農業の重要性〉を説いたのである。〈経済とは、各人が生活上の要件である「衣食住及び男女の要求」を充足させることが目的である〉と説く。「男女の要求」とは、家庭を持てるだけの経済的安定のことである。
この長野の経済思想と、最近世界で話題の UBI (Universal Basic Income) とは案外距離が近いのではないか。
南淵塾は古代以来の日本思想の源流のひとつとして、今後脚光を浴びるのではないかという予感がする。
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