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アイヴァス再び━━あるいはノストス

それはたえず私たちに帰還とは何かを考えさせる。『もうひとつの街』の「私」はとなりの部屋で女性たちが自分のことを語っているのを聞く。

道が風景のなかに融け込み、もうこれより先に道はないって思うときが、一番、道が道になるというのにね。そういうときに、目的地は溶けてなくなってしまう。私たちを道中たえず惑わせる目的は溶けてしまうの。だって、それは出発した場所で生まれた私たちの想像物でしかなくて、たえず私たちを元の場所へ連れ戻そうとするの。旅の終わりの地点にたどりついたという希望が持てるのは、目的地や道のことも忘れてしまうとき、空間に入り込み、その静かな流れに身をゆだねるときだけ。夜の境に木の幹の隙間から宮殿が光を発するのは、いつの日か宮殿を見るかもしれないという夢をとっくの昔に忘れ去ってしまったときだけなの (阿部賢一訳、河出書房新社刊、149頁)

これに対し、もう一人の女性が言う。

道の終わりは、道のすべての断片を支配しているってことをあのひとは知らないのかしら。見覚えのある通りを歩いていても、宮殿に向かっているのか、それとも宮殿から離れているのかもわからないのだから (同書、149頁)

「私」はドアを激しく開けて足を踏み入れる。すると女性の声はレコードから流れていたのだった。

以上のくだりを読むと、チェコの作家ミハル・アイヴァスが綴る物語の前半に現れた帰還についての一節が否応なくよみがえる。

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