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[書評] 現実がSFを越えてゆくとき」
なーんだ、時間旅行者の話なんて、SFじゃないか。
そういう反応を読者がもったとしたら、まさにそれこそ作者の思うつぼ。
そのうちに実際に起こる出来事が、そのまま描写すればSFにしか見えない現実になる。
そんな現実は恐怖というより、底知れない何かである。言葉にできない。それを言葉にするのが作家である。
主人公は時間旅行者だから、自分の身に何が起こるかは予め知っている。それでドレスデンの無差別爆撃の悲劇性が薄まるかというとそんなことはない。知っていても、その悲劇は想像を絶する。
ドイツの中で、ドレスデンだけは爆撃を免れていた。他の街が壊滅的状態になっても、ドレスデンだけは日常が続いているかに見えた。軍事関係の施設などない、ふつうの街だったからである(本書では「非武装都市」とあるのだが、訳者あとがきによれば爆撃目標ではあったという)。そこに暮らす人もみんなそう思っていた、ただ主人公のビリー・ピルグリム一人を除いては。
いよいよその日を迎える。捕虜であったビリーたちは防空壕に避難していた。空襲の次の日の描写は次のようである。
アメリカ人捕虜と警備兵がようやく地上に立ったとき、空はまっ黒い煙でおおわれていた。太陽は、針の先ほどの怒れる光点であった。そこに見るドレスデンは、鉱物以外に何もない月の表面を思わせた。
それが美しい街であった痕跡は何もない。月面のようだ。あたり一面、鉱物のみ。朝起きたとき、世界がこう変わっていたら、人は何とそれを描写するだろうか。
ビリーたちの捕虜一行は、そのあと、警備兵の命令で四列縦隊をつくり、住まいであった豚小屋へ向かう。〈壁はまだ立っていたが、窓も屋根も消え失せ、内部には灰と融けたガラスのかまたりがあるだけだった。〉
彼らは〈ようやくそこで事態がのみこめてきた〉。生き残るには、〈月の表面を形成する起伏をいくつもいくつも越えてゆかねばならないのだ〉と。
一行は日暮れころ、一軒の宿屋にたどりつく。〈宿の主人は盲目であった〉が、目あきの妻や娘たちは〈ドレスデンが消失したことを知っていた〉。
ビリーの物語でもっとも感動的な最後の場面は、アンチクライマックスのように見える。それにもかかわらず、この場面があるおかげで、読者もまた生存を目指そうという勇気がわいてくる。
盲目の宿の主人は、アメリカ人捕虜たちに今夜は馬小屋に泊まるようにといい、スープと代用コーヒーと少量のビールを出した。主人は馬小屋にやってきて、捕虜たちがワラの上に寝床をとる音に耳をすましていた。 「おやすみ、アメリカのかたがた」と、彼はドイツ語でいった。「ぐっすり眠りなさいよ」
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〈訳者あとがき〉で知った豆知識。
本書でうんざりするほど繰返される「そういうものだ」は原文では 'So it goes.'
本書に出てくるローズウォーター、トラウト、キャンベル、ラムファード、トラルファマドール星人はすべてそれまでの作品のなかに登場する名前。それらが一堂に会する意味は、〈本書が彼の戦時中の体験にもとづいた半自伝的小説であること〉だと、訳者は指摘する。
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