動悸と同居人
1ヶ月の休職、仕事を休んだ方がいいという医師の判断にはひとつ、大きな理由があった。それは薬の変更。
精神系の薬を変えるとなると、徐々に移行していく必要があった。だからこの1ヶ月で少しずつ体に慣らす予定だった。──のだが、なんと副作用の出にくいはずのその薬が死ぬほど体に合わなかった。それはもうこの世のものとは思えないほどの動悸と低血圧が身を襲った。人生でまだ知らない苦しみがあるとは、この世もおもしろいものだ。
全身で不定期に感じる鼓動が脳を揺らして目眩がして、それに酔って気持ち悪くなって、頭痛もするし真っ直ぐ歩けないし、あまりの酷さに通院の予定を早めた。その日から薬を減量、それでも体調は良くならずに断薬。動悸が始まって1週間と半分。その内、断薬してから1週間が経過したが未だに良くならない。
12月から復職するつもりだったのに、これでは無理だと悟った。また明日には新しい薬を試す予定だから、体調を崩さない保証ができない。復職しても迷惑をかけるとわかっている。
焦って復職したっていいことはないけれど、働かなくては生きていけない。私には同居人がいる。私が養ってる同居人だ。私の肩には2人分の命がかかっている。
こんなに心身を病んでいるのなら、同居人が働けばいいと思う人もいる。実際周りはそう言う。でもそれだけはできない。私と同居人とは、歪な縁で結ばれているからだ。
私の同居人は、大学進学してからの友達だ。同じアーティストの追っかけとして仲良くなった。私は関東、当時同居人は関西に住んでいたので、遠征の時に泊まり合う仲だった。
それからコロナ禍を経て鬱が悪化した私たちは傷を舐め合いながら生きていた。住んでいる地域が違うため、ライブがないと会うことがない。だが、先の見えないなかでどうにか未来を見るべく、確実に自分よりも死に近い現同居人を通院させたり休職させたりと遠くからながら世話を焼いていた。私たちが成人式に行くはずだったその日──そもそも成人式はコロナ禍で中止だったが──、私は現同居人の自死を止めるべく急遽大阪まで向かっていたことを今でも覚えている。
そのうち私の鬱も悪化し、いつの間にか2人で自死の計画を立てていた。酷く不健全な仲である。なるべく綺麗に、苦しまず、確実にこの世から消え去ることの出来る計画だ。今でも手元にメモが残っているが、当時の精神状態は最悪だった。(今はそこまで思い詰めてはいないので、私に関わる全ての人には安心してほしい)
その時期ようやくライブが復活し、凡そ月に1回東京で現場があった。じゃあこのライブが終わったら、と先延ばしにしているうちにそのまま時が流れ、春を迎えた。現場が増えると、休職している現同居人は関西に戻る必要が無いために我が家に入り浸った。というか、また1人で死のうとされても困るので見張るために東京に引き止め続けていた。
実はこれは、かなり珍しい状況だった。そもそも私は潔癖で拘りが強くマイルールが多いので、他人を家にあげたり逆に泊まったりするのがストレスだった。この人なら大丈夫という直感で始まった縁だが、それが驚くほどピタリとハマった。お互いの感覚が似ていて、考え方も近い。それなのに、得意なことと苦手なことが見事にズレている。同性なので現時点では不可能だが、結婚するならこの人がいいというほど素敵な縁だった。家事担当の同居人と仕事担当の私で、バランスのいい関係だ。
このまま同棲したっていいと思っていた矢先、休職の申請と通院のため関西に戻った同居人が、あろう事か薬を持って行くのを忘れた。離脱症状で一歩も動けなくなった同居人は、地上10階の自室から飛び降りることもできず連絡も取れず、いよいよ終わりを実感したという。4年近く経った今もトラウマらしい。
さすがにこれは、と思った私がとにかく新幹線をかっ飛ばして大阪へ向かい、唯一の家族であり合鍵を持っていた妹ちゃんに連絡を取り──彼女の親と彼女はこの時期既にほぼ離縁済みだった──同居人を引きずり出した。
その時に約束した。私も死のうとしていたから、自死を止められる苦しみはわかる。私のエゴで生かしているのだから、君が嫌なことは一切しなくていい。したくないのであれば仕事も家事もしなくていい。私は君を生かすために、最低限の生活を保証する。代わりに、それ以外のお金は出さない。ただ、もしも元気になった時。遊びたい、欲しいものがある、だからお金が欲しい。そういう時に、本当に自分のためだけに働きたいと思えた時に、好きに働くといい。君が働いたお金を君の為だけに使うことを、私は咎めない。
うーん、こうして俯瞰すると本当にいかれている。気狂いだとしか思えない。でも、自死を止める重さ、人の人生に関わる責任をとるというのは、こういうことをいうのだと考えたのだ。気狂いだとは思うが、後悔も反省もしていない。
かくして私たちは人生を共にすることとなった。ことのあらましだけを述べると私がヒーローともとれるが、実際の私はだいぶ計算ずくでの身元引受けだった。そんなに褒められたもんでもない。人に話すとすごいだのなんだの言われるが、正直「素人は黙っとれ──」状態である。
なんだかずるずると書き綴ってしまったが、私が同居人にした約束を破るわけにはいかないので自分が働くしかない、ただそれだけなのである。
私が働いて養ってくれると、疑うことすら知らないかのように家で大人しく待っている同居人のためだけに、唯一、食に楽しみを見出している同居人に少しでも美味しいものを食べさせるためだけに、あくせくと働いてきた。
ああ、早く復職したい。復職して同居人に、彼女の大好きなグラコロたくさん食べさせてあげよう。
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