手からこぼれ落ちる前に。
人生には忘れたくない瞬間、心に留めておきたい時間、忘れたくないと切に願ってしまう、そんな日がある。
時間。それはとても偉大で、それでいてとても残酷だと思う。
「時が、時間が解決してくれる」とはよく言ったもので、私は最近そんなことはないのではないかと思う。いつまで経っても、どれだけの時間が過ぎても過去になりきれない過去が私の中にはあるし。ずっと解放してくれない気もしている。なんなら時間は解決する気さえさらさらないのでは、とさえ思う。
そんな時間は、一方で、私が忘れたくないと願った瞬間を、
確かに私が過ごして、私が手にした瞬間であるにもかかわらず
少しずつ少しずつ指の隙間から水がこぼれ出ていくように
記憶もこぼれ落ちていく。私の願いとは裏腹に。
忘れたくないと願ったはずなのに気づけば思い出せなくなっていることがたくさんある。そんな時とてつもない寂しさと虚無感に襲われる。
だから人は、
逃したくないその瞬間を
日記に書き留めたり、
写真や動画に残したり、
ありとあらゆる手段を用いて到底太刀打ちできない、敵わない相手、時間に歯向かっているのかな。何もしなければ逃げられてしまうだけだものね。
最近、私は北海道の函館の湯の川という小さな街に住んでいた。「住んで」といっても十日間ほどなのだけれど。
あえて「住んだ」と言おうと思う。
そこでの日々が日常になりかけたので。だって、旅行は、旅は非日常でしょう?湯の川での日々は日常だった。
だから「滞在した」ではなく、「住んだ」という。
この時期に函館に行こうと思った理由は一つで
卒業論文に集中できる環境が欲しかった
東京だってできるじゃん?確かに。
でも裏を返せば東京じゃなくたってできる。寧ろ東京にいると、アルバイトやインターンがある。
毎日のように働いて、
空き時間にMTGが入って、
日中には時間が取れない分、仕事終わりに閉店間際までカフェにいさせてもらって、家に帰って夜中まで作業。
疲れてて集中力はもちろん落ちるし、寝不足になるし、
睡眠ってとても大切で、睡眠時間が確保できなくなればなるほど、心に余裕がなくなってくる。
本当に悪循環だと思った。このままでは精神的に少し危ういなと思った。この数ヶ月間の自分を振り返ってみて。
息抜きにと自分を甘やかして友達と遊ぶ予定を入れたりしてしまうし。(これは完全に自分の甘さなのだけれど)
そんな雑多で誘惑が多すぎる東京にいたくなくて、どこか篭れそうな場所を探してた。そこで見つけたのが函館だった。
すごく正直にいうと別に函館でなくても良かった。食べ物が美味しくて、程よい田舎で、篭れそうな場所であれば。
でも、とても良かった。今では函館を選んだのは必然だったのではないかと思えるし、あの時の私の選択は間違ってなかった。天才なんじゃないかとさえ思う。やっぱりもってる、私は。もう一度いくのであれば湯の川以外は考えられない。それほどまでに良かった。
滞在していたのはTUNEというところ。
まるで我が家なのではないかと思うほど自由に、過ごさせてもらった。本当に一日中篭って作業させてもらってたな。(1.5日だけ観光客として満喫させてもらったけれど。)
Wi-Fiもある、電源もある、どれだけいても追い出されない。完璧な作業スペースだった。
でもそれ以上に湯の川であって良かった理由は間違いなくTUNEで出会えた人たちがよかったから。それと湯の川の町の人たちが本当にいい人たちばかりだった。TUNEは4階がシェアハウスになっているのだけれど、そのシェアハウスの人たちが皆、本当に素敵な人たちばかりだった。
寒くないようにと私の近くにストーブを持ってきてくれたり、ブランケット貸してくれたり、
充電のために微妙な体勢でPC作業をしていたら,延長コードを貸してくれたり
部屋でも作業がしやすいようにと作業用にデスクをわざわざ出してきてくれたり
私が卒論をするために籠りに来たという目的を忘れずに、理解し、尊重して、でも息抜きができるようにと
1日だけ夕方から函館の観光に連れて行ってくれたり、
お昼ご飯や夜ご飯に誘い出してくれたり、話し相手になってくれたり。
へへ細かく書くつもりはないけれどね(ここまで書いておいて笑)どんな時間を過ごしたかは私とTUNEの人たちとの秘密。そして私が何を思って、何を感じたか、という細やかな感情面は私だけの秘密。日記に記しておいた。(ここに書き始めたら本当にキリがなさそうだし、もう1800字も書いてる!)
とにかく本当に素敵な場所で、素敵な人たちに囲まれて過ごせた私はとても恵まれているな、と思った。
ちゃんと1月中旬、終わらせたら、2月もう一度湯の川に戻ると決めたんだ。会いたい人たちがいる。
いい時間を過ごさせてもらっただけでなく、頑張れる理由を与えてくれたことにすごく感謝しています。ありがとうございます。
これまでもたくさん旅をしてきて
帰りたくないと思ったことは幾度となくあるけれど、日常になりかけたこの非日常を手放したくないと涙を流すほどに想ったことはこれまで一度もなかった。