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「ソーイングボックス」は秋山黄色なりのハッピーエンドだったのか
”大切なもの全部いなくなれば
そりゃ少しは救われるだろうさ”
秋山黄色(以下 黄色さん)が書く歌詞は、
初見でエンパシー(共感、感情移入)を抱くというより、ハッと気づかされ考えさせられるものが多い。
黄色さんは、今年3月にリリースされた3rdアルバム『ONE MORE SHABON』に関するインタビューで、
「見て呉れ」制作にあたり『なんかよくわかんないけどかっこいい』と感じてくれる音と言葉の組み合わせを目指したこと(ROCKIN’ON JAPAN,2022年4月号,p155)
次作では『グワッと考え方が広がるような言い回しを思いつきたい』(MUSICA,2022年3月号,p.91)といったことを話している。
「ソーイングボックス」では、見事にこの2つをやってのけたと思う。
もはや何層あるのかわからない、おもちゃ箱のようなガチャガチャした音の組み合わせ。
理解はできるのに日常では思いつかないような日本語の言い回し。
一度聴けば黄色さんの音楽だとわかる”らしさ”を持ちながらも、確実にパワーアップし新境地に達したのでは。
ここからが本題。
先日、黄色さんがTwitterで約1時間のスペースを開いた。
Director&Collageとして今作のMVに携わったいがきち(以下 いがきちさん)と2人で曲について話す内容だ。
そこで私が最も印象的だったいがきちさんの言葉が、ざっくり要約するとこんな感じ。
MVに出てくる学校は小学校。誰もが通った場所が舞台ということは、きっといろんな人が共感しやすくなる。ただ、その共感は決してプラスにだけ働くわけではなくて。聴く人が曲・MVと自分を重ね合わせすぎたとき、もしそれがバッドエンドになってしまったら?その人は明日から希望を持って生きていけるのか?バッドエンドにも出来たけれど、ハッピーエンドにした。
これについては実際にMVを観ればわかるが……
というかまずはMVを観てほしい。
もう観た人はもう1回、いや黄色さんは100回って言ってたからたくさん観よう。
めちゃくちゃハッピーエンドってわけでもないが、たしかにバッドエンドではない。
いがきちさんが述べたことを私なりに言い換えると、
感情移入がしやすい作品は、同時に破滅へのリスクも抱えている、ということ。
のめり込むほど、自分の境界がなくなるほど、作品が心に与える影響は大きくなっていく。
きっと多くの人が音楽で救われたことがあるように、良い方向に作用すれば何も問題はない。
後に残るのが、どうしようもない絶望だったときは怖い。
ここで冒頭の、初見の黄色さんの言葉は共感性<気づきという話に戻りたい。
そんな考えあったのかと気付かされるから、何回も聴く。
もっと歌詞を読み解きたいから、何回も聴く。
そもそも黄色さんが好きだから、何回も聴く。
何回も聴いているうちに、自分との共通点や新たな発見が見えてくる。
気付かぬうちに共感は膨れ上がって、自分の中で「ソーイングボックス」が占める面積は大きくなっていく。
この重いテーマを、ポップな曲調と映像で中和してくれてありがとう。
もし救いがないどん底で来られたら。
この文章書く間ずっと「ソーイングボックス」を聴き続けた私は危うく破滅してたかもしれない。
黄色さんが、ポジティブに着地させる天才で良かった。
いがきちさんが、とんでもないバッドエンドを用意しなくて良かった。
『ONE MORE SHABON』で、強い言葉やネガティブな感情も、最後にはポジティブに着地させてみせた黄色さんだからこそできたことだと思う。
”愉快なメロディが一番の薬”
愉快のひとことでは表せない黄色さんのメロディだけど、その中毒性と密かに孕むリスクは本当に麻薬級。
これは個人的なお願いだけど、どうかこれからも死を恐れながらとことん生死に向き合ってほしいし、こんなお願い無視して自由に突き進んでいってほしい。
明日のロッキン、楽しみにしています。