サーレマー島観光
8月23日 少し晴天少し曇り
今朝は少し早く目が覚めた(5時くらい?)ので、タリンの旧市街まで散歩してきた。流石に世界遺産だけあり、石畳の重厚な作りの建物が多く並んでいた。今回止まっているホテルからもこれから住む大学寮からも10分ほどなので、時間があればいつでもまた散歩にこれるだろう。
今日はタリンの南の方にあるサーレマー島に一泊の予定でバス旅行に行く。エストニアに来たばかりで右も左もわからないが、この機会を逃すといつ行けるかわからないので、とにかく行く。
少し話が遡るが、僕には北京のビッグジャズのバンド、BjBjで知り合ったYさんというピアノ弾きの友だちがいて、もうかれこれ10年以上懇意にさせていただいている。彼女は現在はフィンランドに住んでいて、僕もせっかく近所(?)まで来たので、そのうち遊びに行こうと思っている。そのYさんがエストニアに詳しいSさんという友人(日本在住)を紹介してくれた。Sさんは日本でエストニア料理の本なども出版していて、定期的にエストニアに取材旅行にいらしているそうだ。それで今回連絡を取らして頂いたが、今ちょうどサーレマー島にいるとのこと。レンタカーでいろいろなところを回るし、一緒に来ないかと誘われたのだ。僕は明日の入寮まで時間があるし、折角のお誘いなので突然ではあるが行くことにした。
急に決めたので、昨日・一昨日あたりに慌ただしくバスチケットの手配をして宿もSさんと一緒のところをウェブで予約した。バスはタリンのバスセンターからLiivaというサーレマー島の入り口の街まで15ユーロ、宿は一泊27ユーロだ。
今朝は旧市街散歩を1時間で切り上げてホテルでチェックアウトしてから徒歩でバスセンターに向かった。約20分で到着。途中でスープキッチンの炊き出しを見た。エストニアにも不況の波が来ているのを感じる。バスセンターで帰りのチケットと炭酸水を購入してバスに乗り込む。二日前に購入したチケットはどこにしまったか、とりあえずQRコードの写真を撮っていたので助かった。今はフラットなエストニアが窓外を流れていくのを見ながらこの日記を書いている。バスにWiFiが装備されているので快適だ。エストニアの植相は本当に北海道に近い。故郷を思い出して懐かしい。
でも緯度からいうとタリンはもっとずっと北にある。稚内が大体北緯45度、僕の故郷の函館は41度だが、タリンは59度。地球の真ん中に三角定規を当てると、二等辺三角形の方の角度が北海道の北端、タリンはもう一つの三角定規の角度になる。だからこれは想像だが、日照時間は夏至で18時間、冬至で6時間とかになりそうである。まだまだ秋分までは日が長い。
バスはエストニアの田舎町をつないで進んでいく。Virtsuからはバスごとフェリーに乗った。巨大なフェリーの中は広々としていて、食べ物やキオスクも豊富。2ユーロで食べたローストポークはとても美味しかった。それにしてもエストニアの空は綺麗だ。また北海道を思い出す。
フェリーを降りて10分でムフ島のLiivaに到着。Sさんが迎えに来てくれていた。で、まずはLiivaの「道の駅」的な場所をまわる。最初はエストニアで一番美味しい(と言われた)パン屋チェーンのMuhu Pagaridでナッツ入りライ麦パンやシナモンパンを購入。地元の産品屋さんでエストニア名物の杏茸を買ってから、Coopでベーコンなどの食材を調達。La Muuでアイスクリームを食べて出発。
ムフ島での一番めの目的地はムフミュージアム。トーマ・タルさんという人の実家を利用した島民の昔の生活様式がわかる博物館だ。その後、サーレマー島に行ってレストランMIAで昼食。オーナーはムンバイ出身のインド人で僕はチキンカレー、Sさんはローストポークを頂く。
その後、サーレマー島の中心地、クレッサーレにあるクレッサーレ城跡に行く。正方形の城跡が複雑な幾何学模様の堀に囲まれていて、その姿は函館の五稜郭に酷似していて、びっくりした。そのあとは大勢のエストニア人がロシア人に虐殺された場面として島の東端のソルベ灯台を見に行った。今晩はコテージスタイルのホテルで自炊するので、有名スーパーチェーンでMaximaで他に必要な食材を購入。そこからサーレマー観光の最後に数千年前に落下したと思われる隕石の跡のカーリ・クレーターを見に行った。酪農国らしく、クレーターの周りは牛臭かった。
ホテルに辿り着いて少し休んだあと、エストニア料理研究家のSさんの指導のもと、杏茸とベーコンのクリーム煮を作る。少し甘味のライ麦パンやピザ、チーズも美味しくて食べすぎた。で、就寝前のひと時にこの日記を書いている。
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