[台湾留学日記#7~台中人になるまで~ホームシックになりたかった話]
大家好!
前回の投稿からなんだかんだで1か月近く経ちました。。日本の大学生活にも慣れなおしてきたか来てないか…まあそんなところでしょうか。
帰国から2か月半、私は未だに台湾での日常が夢の中に出てきます。とにかく一生分の運を使い果たすくらい素敵な友人に恵まれた台湾生活だったもので、現実世界に引き続き夢の中に出てくる台湾で出会った友人はいつも私のことを助けてくれます。
昨晩は友達がわかめラーメンを片手に私を待っていてくれて、わかめラーメンがこぼれないように何とかハグする、という夢でした。寝る前何を考えているんでしょうか私は。。でも夢の中で大好きな友達に再会できて本当に幸せでした。
さて、ホームシックについて。今までの記事で触れたかどうか忘れてしまいましたが、私は台湾滞在中ものの見事に一度もホームシックになりませんでした。冒頭で言ったとおり、友達に恵まれまくっていたので寂しいと感じることがなかったのでしょう。
でも、本当に贅沢な悩みを言うと、ホームシックになっている友達が羨ましかったんです。
私の家は多分可もなく不可もなく、the一般的な家庭環境みたいな感じだと思います。親に対して不満も感謝もほどほどにある、といったところでしょうか。純度100%の感謝になるには私はまだ子どもすぎるようです。
台湾では日本人も他の国の留学生も同じ留学生同士支え合って生活していました。多くの人が1年近く実家を離れるのが初めての経験で、それぞれ自分なりの留学生活を楽しみながらも日本に帰りたい、母国に帰りたいという声はたくさん聞いてきました。
ただそれを聞くたびに「帰りたくなる家があるなんて羨ましいな」と思ってしまう自分がいました。はじめのうちは、いろんな家庭の形があるんだな、親と仲良しの人もいれば、私みたいにほどほどに心の距離がある人もいる、くらいにしか思っていませんでした。しかし渡航してから5か月ほど、8月頃になると”いつか帰国して実家に帰らないといけない日が来る恐怖”に襲われるようになりました。
ことあるごとに家という環境の恐怖があらわれるようになり、夏バテで体調を崩していた時の夢の中には怖い思い出として実家が登場しました。
いままでthe一般的な家庭環境だと思っていたウチは、そうじゃなかった…?
この疑問に帰国までの期間付きまとわれることになります。
幸いそういった相談をしたり、不安をぶつけても寄り添ってくれる人にたった1年とは思えない数出会い、ただ受け止めてくれる人、同じような悩みを私にも教えてくれた人、乗り越え方をアドバイスしてくれた人、さまざまな人に支えられました。その中で「愛」「優しさ」を学びなおし、私も誰かを支える側になれるようにしよう、と思うことができました。
一方でまた、誰かの「日本帰りたい!」"I wanna go back!" を聞いたり、あたたかい家族との思い出話を聞いたりすると羨ましくなってしまう自分がどうも大人げない、情けない、でも私もそう思える家族がほしい、単純で贅沢な欲望が湧いてきてしまいました。
あの子は自分の意見を尊重してもらって育ったんだ、あの子はたくさん褒められてきたんだ、あの子は親に○ねって言われたことないんだ、いいな、羨ましいなって。
特に悩み相談をしていた友人2人が日常的に英語で話す人だったので、英語で人に何か相談すると表現として他責になるせいか(that incident made me sad, みたいな、悪役が自分ではなくthat incidentになるみたいな意味です)今まで自分のせいだと思ってきたことが、もしかして自分あんまり悪くない…?と思いはじめてから「自分が嫌いになる家には帰りたくない!」「自分が好きでいられるここにいたい!」という思いが日に日に強くなりました。
本当にはじめのころは湯舟につかりたいから一瞬日本戻るのもありかも、とか思っていましたが、湯舟の気持ち良さなんて生きている自分が肯定される環境の心地良さに比べたら屁でもありません。まあこれ書き終わったら湯舟に浸かってくるんですがね。
話は戻りまして、あと数日で帰国する、という時、クラスの日本人の子たちとバーに行きました。そこで誰かが「やっと帰れる!」といい、まだ台湾に残る子は「いいなー」といい、また「帰りたい場所に帰れるなんて幸せじゃん」といい、お酒がまわって半分寝かかっていた私は寝たふりをしながら羨ましさと日本に帰る恐怖とで泣かないようにするので必死でした。
帰国の日は朝早いフライトだったので寝過ごすリスクを考えて前日は徹夜することにしました。徹夜というのが余計に不安定な自分をつくりだすのか、
明け方まで「帰りたくない!」「生きている自分が肯定されるこの場所を手放したくない!」「帰ったらまた毎晩泣かないといけない」「ずっとこの居心地がいい場所と優しい人たちに囲まれていたい!」そんな思いで大泣きしたことは今でもフラッシュバックします。
帰国した今、こうして文章を打っていると、日本では親友が待っていてくれた、コンビニスイーツが美味しい、湯舟がある、変圧器を使わなくていい、いつでも納豆が手に入るなど今自分が置かれた環境も捨てたもんじゃないなと思えたりするわけですが、実家での生活というのは帰国前に恐れていたのとほぼ等しい程度のもので、まあとてもポジティブな表現をつかえば、人の痛みを知る機会、といった感じです。自己肯定感を台湾から連れて帰ってきてしまった分、家という環境に対して「自分が悪い」では気持ちに整理がつかなくなってしまったようです。要するに台湾に戻りたいんです。
最近、誰しも帰国してからの6ヶ月はしんどいものだ、と聞きました。ここから3か月と半月経ったころどんな気持ちでどんな自分になっているか、しばらく観察してみることにします。
そして使い果たしたと思われた友達運もまだ残っていたようで、4月から新たに大学の友人ができたり、私が通っていた静宜大学からの交換留学生に大学内で出会ったりと、悪いことばかりでは全くなく、もっとポジティブな面にだけフォーカスすればもう少しQOLも上げることができそうな感じはします。
ホームシックを経験した人からすれば、本当に何をそんな贅沢で生意気なことを…と感じるかもしれません。ホームシックになりたかったなんてデリカシーのないことをよく言うな、と自分でも思います。同じクラスの子がホームシックで1週間泣き続けたと聞き、それを親身になって支えることができなかったどころか羨ましがっていた自分に腹が立ちます。
でもこの世のどこかの誰か、私と同じような気持ちを経験した人が心の中で「それな」と思ってくれれば、ホームシックが羨ましいという妙な悩みも経験した甲斐があるように思えるので、こうして言語化してみました。
今回も読んでくださってありがとうございます!再見!