この先の未来へ
さだまさしさんが、新曲「キーウから遠く離れて」を披露した。
思いをすぐ実践できる姿に感銘を受けた。
その原動力は、放っておけない。見過ごすわけにはいかないという
さださんの紛れもない愛の思いから来るのだと思う。
少し前たまたまYouTubeで「遙かなるメリークリスマス」を聞いて、
この方はロックンローラーだったのか!
と、衝撃を受けたばかりだった。
そうだ。もとはフォークソングといえば反戦歌でもあったのだ。
ロシアによるウクライナ侵攻は未だ止むことはなく遠く離れた地にいる者として何が出来るのだろうかと悩ましい日々が続く。
一昔前の戦争であれば、敵味方にはっきりと分かれて、
人々は心の中でも闘い罵り合っていたのかも知れない。
けれど現代はそうではない。
遙か遠い地の闘いの姿は、自分のこととして辛く胸に迫ってくる。
見ず知らずの人たちの苦しみ、悲しみは、
私自身の苦しみ、悲しみでもある。
そう、一人ひとり個別の存在であるように見えて
実は私たちは見えないところで繋がっている。
それを体感しているひとは多いのではないだろうか。
私たちは痛みを通してでしか、互いに分かり合い、
認め合うことができないのだろうか。
だとしたら、そうせざるを得ないほどに
人間とはいまだに愚かで未熟な存在なのだろう。
仏陀は慈悲を、キリストは愛を人類に説いた。
そしてアインシュタインは相対性理論をー。
けれども、
私たちは何のためにこの世に生まれてきているのかさえ分らずにいる。
科学万能と言われても、この世が何で出来ているのかさえ気づかない。
「科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある」
アインシュタインは娘リーゼルに書き遺している。
「愛は神であり、神は愛だ」と。
神が愛ならば、人間もまた愛であるはず。
同じ時代に生きていても環境はそれぞれに違う。
思うところも違うだろう。
一人ひとりの持てる愛を、
どんな思いで、どのように発揮していくのか
それが今問われているのだろう。