映画「MNAMATA」~未だ繰り返される現在進行形の環境破壊~
ジョニー・デップ製作主演映画「MINAMATA」を観た。
平日の田舎町での上映のためか観客は10数名ほど。だがエンドロールが終わったとき前の座席から小さな拍手が聞こえた。
見終ったとき子どもの頃の胸の痛みと息苦しさを思い出した。
私は子どもの頃から公害と隣り合わせで暮らしていた。空はいつもどんより曇っていて、空気は嫌な匂いがしていた。父は京浜工業地帯に勤務していて通勤に便利な社宅に住み定年まで家族はそこで暮らしていた。
小学校では「光化学スモッグ注意報が出た日は校庭で遊んではいけない」という決まりがあった。
注意報は必ずしも朝出されるわけではなく、休み時間に外遊びをしていると胸が固くこわばり呼吸し辛くなることがよくあった。そういう日は必ずと言っていいほど昼過ぎになってから注意報が出されたのだった。
当時、親たちは必死で働いていた。今とは違い景気は右肩上がりだった。そして「もう戦後ではない」と言われるようになっていった。贅沢出来るわけではなかったが世の中は活気づいていた。
しかし、その好景気とはうらはらに日本の高度経済成長の負の遺産ともいえる「四大公害病」が起きていたのだ。
水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、第二水俣病。
いずれも環境汚染によって命に関わる深刻な健康被害がもたらされた。企業側はそのことを知りながらも事実を隠蔽し被害は拡大していった。国は因果関係の事実認定を先送りするなどして被害者救済はなかなか進まなかった。
情報開示などまともになされない当時、報道も限定的であり誤解が生まれ差別も起きていった。だが、そうしたことは今も昔も変わらない。東日本大震災での福島第一原発事故で避難を強いられた方がたは、行く先々でいわれのない差別に苦しまれたのだ。
忘れてならないのは水俣病は過去のものではないということ。1973年に公害健康被害補償法が制定され被害者が補償を受けられる ”仕組み” はできた。しかしその診断基準は厳格化され、申請しても未認定となる被害者も多いという。2020年の賠償訴訟において福岡高裁は原告全員棄却とした。幼い頃からの感覚障害等の水俣病の典型症状があっても水俣病によるものと認めないとしている。
映画ではジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスが、被害者らにカメラを向ける前、「あなたの大切な家族との時間を共有させてもらえないか」と、最大限の敬意をはらうことを約束するシーンが印象的だった。
被写体一人ひとりに寄り添う思いがあってこそ真実を伝える撮影を可能にし、世界に衝撃をもたらしたあの写真集「MINAMATA」となったのだろう。
ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。第一の責任は私の写す人たちにたいするもの。第二の責任は読者にたいするもの。このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている
— ユージン・スミス、写真集『水俣』英語版の序文
環境問題の一方で、個人的には映像美に心打たれるものがあった。
もちろん創作演出されたものではあるのだが・・・。描かれている一人ひとりは普通の生活者だ。家族に障害があろうとなかろうと、お互いを掛け替えの無い存在として、支え合い、日常を精一杯生きている姿がそこにはあった。もとは自然の恵みがありそれに感謝しながら人びとの生活はあったのだろう。主人公の目の前に広がる穏やかな海。その恵みを汚し人びとの生活を破壊したのは目先の利益しか見ようとしなかった人間たちの身勝手な思いなのだ。
そして終盤、長く封印されていた写真「入浴する智子と母」の映像が映し出された。被写体の智子さんは「宝子」としてご家族から大切に育てられた。胎児性水俣病患者として母親の胎盤を通じて有機水銀に汚染され、肢体不自由で目が見えず喋ることもできなかった。母親が食事から摂取してしまった水銀を胎児が吸収し、母体や後に生まれた子どもには障害が出なかった。だから皆で協力して大切に育てた。食事も何時間も掛けて食べさせなければならず、夜寝るときは床ずれができないよう毎晩両親が交代で抱っこをしていたのだという。この写真はキリストを抱くマリア「ピエタ」になぞらえ「水俣のピエタ」と呼ばれるようになった。
障害をもって生まれたこどもを家族が協力をし合い助け合って生きていく姿に、人とは如何に生きるのか原点を教えられたように思う。写真に写る母の姿は愛そのものだ。全てをありのままに受けとめて、逃げ出さずに全身全霊で現実に向き合い、大きな愛で娘を抱きしめている姿に涙が止まらなかった。
そして今も世界中で同じような環境破壊が起きている。
犠牲になるのはいつも名も無き市井の人びとだ。
幼い子どもたちは搾取されていく。
人を傷つけるのは人間の心から
人を愛するのも人間の心から
一人ひとりの心が何を思うのか
黙っていてもいつかは必ず顕在化する。
環境破壊をやめるには
人間の心を変えることから。
そこから全てが変わっていく。
ジョニー・デップは映画を作りたかったのではない。私たち一人ひとりに問いを投げかけているのだ。同じ地球に生きるひとりとして。今のままでいいのか。その生き方でいいのか。
そして人生においてやるべき事をやり遂げた男の傍には常にそれを支えた女性の存在があることも忘れてはならない。
映画「MINAMATA」
感動しましたと、そう感想を述べて終わりするのか、全ては私たち一人ひとりに委ねられている。
NO MORE MINAMATA!
NO MORE ENVIRONMENTAL DESTRUCTION!