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全てに感謝して、「いただきます」

最近SNS界隈で見かけた投稿に目を疑うものがあった。学校給食の場で「いただきます」を言わないというものだ。

給食費を払っているのに、なんで「いただきます」なんて言わないといけないのか。そんな保護者の言葉を受け入れて、黙って給食を食べ始める学校があるのだとか。

情報ソースがあいまいで、少し調べると幾つも出てきた。地方新聞の読者投稿欄に、親の立場からやめさせるべきという投稿があったとか、学校名を明かさずに、そういう学校があるらしいという曖昧な記事や伝聞に等しいものまで。
ネットの書き込みに至っては、20 年以上も前から同様の話が散発的に見受けられた。

もしかしたら、本当にそう思っている保護者がいて言われた通りにしている学校現場があるのかもしれない。もしかしたら、ネットで盛り上がりそうだから(数字が稼げそうだから)文章を書いたのかもしれない。
でも、どちらにしても、「いただきます」という言葉に対して、そのような投稿がなされる今の日本なのだなと悲しい気持ちになった。

要はお金を払っている人間が偉い。

金さえ払えば何やっても良い。極論を言えば、そういう考え方が心のどこかにあるのかもしれない。目の前に出された給食よりも、自分の払った給食費、お金の方が価値がある。そんな構図が浮かんでくる。

私は、お米も、野菜も、牛や豚や鶏も、魚や魚介類も、何一つ自分でつくることはできません。
作ろうと思ったこともないです。
だって、体力的に無理だから。


日の出前の暗い中、毎日毎日畑に出て…
病気にならないように注意を払って…
何か月も陸に上がらないまま船に揺られて…

そうやって生産者の方がたが丹精込めてくださっている。輸送、配送、様々な過程だってある。

そうした命をいただかなければ生きていくことはできないのです。

だから、まず最初に
すべての命に対して、ありがとう。
そして、生産してくださって、ありがとう。
育ててくださって、ありがとう。
直接声は届かなくても心の中で感謝のやり取りがそこにはあると思うのです。

書く必要もないくらい当たり前の事に、想いを馳せることができない。そこまで心が追い込まれる何かがあって書くのかもしれませんけれど。

あ~あ何てこと
ため息をついてミカモは空を見上げるのです。
そして、こんなに彩り豊かな世界の中で生かされているんだって感動して、心癒されるんです🌸

そうしたら、日々、目にするもの、手にするものは何一つ当たり前ではないんだと思えてくるのです。ましてや口にするものに対しては

「私のもとに来てくれてありがとう」
「いただきます」
自然と感謝の思いが湧き上がってくるのです。

今日もご飯をいただける有り難さ
その全てに感謝して
「いただきます」🙏✨

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Mica Moriya*ミカモ
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