『いのちの木』ノート
ブリッタ・テッケントラップ作/絵 森山京/訳
ポプラ社
2021年3月30日
私が勝手に命名した〝木〟シリーズの7冊目は童話です。(童話なので、いつもと文体が違うでしょう?)
『いのちの木』の原題は、『THE MEMORY TREE』――です。絵もシンプルですが、心に染み入ってきます。
ある森で仲間の動物たちと仲良く住んでいたキツネは、だんだん歳をとり、お気に入りの森の空き地まででかけ、そこで大好きな森の景色を眺めたあと、弱ったからだを横たえてまぶたを閉じ、息をはいてその眼は二度と開きませんでした。
キツネのからだには雪が降り積もり、それを見たふくろうは枝から飛び降りて、キツネによりそって座りました。ふくろうはキツネと長い間ともだちでした。
そこにリス、イタチ、クマ、シカ、ウサギやネズミやトリたちなど森のおおくの仲間たちがやってきて、いろいろとキツネとの昔話を始めます。おちばひろいの競争をしたフクロウ、一緒に夕陽をながめたネズミ、クマはコグマのめんどうを見てくれたことを思い出し……とそれぞれがキツネとの思い出を語り、それぞれがキツネと過ごした楽しい時間を、ほほえみを浮かべながら思いかえしていました。
そしてしばらくすると、キツネが横たわった後にオレンジ色の芽がでてきて、翌朝には小さな木に育っていました……。
短い物語ですから、これ以上書くと物語は終わってしまうので、これくらいにします。
『いのちの木』は、死とは何かを教えてくれる童話です。
キツネの死を契機に、キツネのまわりでそれぞれの動物がキツネとの思い出話をして、あるときは懐かしさ、あるいはキツネの温かさなどを共有して、キツネを偲ぶ。
そこにオレンジ色の芽が出て、やがて森で一番の大きな木に育つ。
そしてその木は、森の動物たちの生きていく支えになります。〝死〟というものは悲しみではなく、まわりに生きる喜びを与え続けるものでなくてはならないのです。それは生き方そのものなのです。
エピクロスが言ったように、「死は私たちにとって何ものでもない。なぜなら我々が存在する時には、死はまだ訪れていないのであり、死が訪れた時には私たちは存在しない」のです。結局は、私たちの死を経験するのは、私たちではなく残されたまわりの人たちだということです。私たちの死は、喪失感を含めやはりまわりの人に感じてもらうしかないのです。〝〇〇ロス症候群〟などという言い方がよくされますが、それに罹るのはまさに失った側の者たちです。
「キツネは、みんなの、こころのなかに、いまも、いきつづけています。」
ヨハネによる福音書に、「一粒の麦もし死なずば、ただ一粒にてありなん。もし死なば多くの実を結ぶべし」……麦の粒が地に蒔かれなければ、一粒の麦は一粒のままである。しかし、一粒の麦が地に蒔かれて、それから芽がでて、穂を出すならば、新しい実がたくさん結ばれるのです。