『外事警察秘録』ノート
北村滋著
文藝春秋刊
外事警察に関する本をnoteで取り上げたのは、2021年3月21日の『鳴かずのカッコウ』(手嶋隆一著/小学館刊)と、同年10月31日の『警視庁公安部外事課』(勝丸円覚著/光文社刊)の2冊で、これで3冊目である。
著者の北村滋は、1980年に警察庁入庁。警備局外事情報畑を歩み、2011年、野田内閣で内閣情報官に就任し、政権交代後も引き続き第2次から第4次安倍内閣まで同職に留任。2019年に国家安全保障局長に就任し、2021年に退官した。
足かけ21年にわたり、外事警察としてインテリジェンスに携わってきたプロフェッショナルである。
本書で取り上げられている事案は、横田めぐみさんの偽遺骨事件、日本赤軍との戦い、オウム真理教のロシアコネクション、中国企業「華為(ファーウェイ)」の脅威、北朝鮮への不正輸出の摘発、ロシアの「背乗りスパイ」(真正の旅券等で日本人になりすまして活動する手口)、プーチンのスパイとの攻防、3・11福島第一原発をめぐる日米協力、在日コリアン総聯と民団の統一計画、山口組のマフィア・サミット計画、中国スパイのTPP妨害工作、特定秘密保護法の成立、の12件である。
わが国のインテリジェンスコミュニティの事実上のトップであった著者がこの本で書き記した内容は、その職務の性質上、あるいは法令上の制約もあり、全てのことが明かされているわけではとは思うが、私たちが日常、新聞の一面で、あるいはベタ記事等で報道された記事だけではよくわからない事件の裏にある背景が、この本を読んでよく理解できる。類書で読んだことのある事件もあるが、それらの背景を含めてその分析が格段に深い。
オウム真理教は、崩壊しつつあったソ連の混乱に乗じて、ある大学の基金に多額の寄付をして、その見返りとしてロシア高官との関係を構築して、ロシア国内での宗教法人登録、警備会社や建設会社、貿易会社の設立、教団関係者へのマルチビザの発給など便宜供与を受けていた。またロシアのテレビ局の番組枠や、ロシア通信省から日本向け放送の電波枠を獲得していた。自分たちの活動のプロパガンダに使う予定だったのであろう。
さらにロシア側からは、オウム真理教の軍事化のための技術情報や軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器と防毒マスクなどの装備、さらには訓練などを提供していたことが判明している。
最終的には、オウム真理教が組織的にロシアを利用しようとしていた事は事実とわかったが、オウムの国家転覆企図へのソ連・ロシアの国家的関与は明らかにはならなかったと結論づけている。
中国との関係では、広東省深圳に本社がある「華為技術有限公司」という電気通信企業が、日本法人「華為技術日本」を設立し、すでに経団連に加入している。
驚いたのは、2008年7月の北海道洞爺湖サミットで、「華為(ファーウェイ)」が会場周辺に無線通信基地局を設置し、サミットの取材に訪れていたメディアにデータカードを無償で配布するなど便宜を図っていたことだ。
サミット参加国の首脳や代表団などは、機微な情報は専用の暗号化回線を使うので傍受は困難とされているが、中には暗号化されていない一般回線を使う場合もあるので、通信の保全がなされなかった可能性も排除できないと著者はいう。また諸外国における「華為」の違法活動の例が列挙されている。
中国の最重要戦略は、徹底した〝軍民融合〟にあり、最先端の民間技術を積極的に軍事に転用するための国家戦略であるとして、製品化においても、軍事と民生の境界をあえて設けないところに、中国の真の脅威があるのである。「華為」という社名も直訳すれば「中国のために」だ。
いまでもファーウェイ製のスマートフォンやスマートウオッチが量販店の店頭などで売られているが、大丈夫なのだろうか。昨年のはじめに、米国が「華為技術(ファーウェイ)」を輸出禁止の対象としたニュースが流れた記憶があるし、その前には同社製の通信機器の国内での販売を禁止したはずだ。
著者の北村滋は、国家安全保障局長時代に、官僚としては珍しく、トランプ大統領とプーチン大統領と首脳等の随員ではなく、当事者として会談をしている。
2020年1月16日にプーチンと約40分間の終始和やかな会談のあと、別れ際に、プーチンは、「同じ業種の仲間だよな、君は」と声をかけてきたそうだ。プーチンはソビエト連邦国家保安委員会(略称:KGB)の諜報員であったことは有名だ。会談の前に、会談相手(ここでは著者)の経歴など詳細に調べるのは当たり前だが、この言葉を別れ際にわざわざ口にしたことによって、プーチンがこの会談に何を求めていたのかを理解したそうだ。
このほか、金王朝一族の贅沢と軍事力強化のための、北朝鮮の国を挙げての大規模かつ巧妙な物資調達網の摘発など、どの章も興味深く読んだ。
一見平穏に思えるわが国の裏に、このような水面下の攻防戦が繰り広げられていることに慄然たる思いがする。しかし、このような活動が、国の主権と正当な権益を守るために必要不可欠であることを理解したい。
なおこの本は、これまで文藝春秋に連載されたものを一冊にまとめたものである。