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『四角形の歴史』ノート

赤瀬川原平著

毎日新聞社刊

 

「四角い画面。四角いファインダー。その四角形はどこからやってきたのだろう?」という素朴な疑問を解くために書き起こしたこの本は、『こどもの哲学 大人の絵本』シリーズの3冊目である。

 通常、私たちはこんなことは考えずに直線を基本とした線分で囲まれたモノに取り囲まれている。書類、パソコン、本やそれを収納する本棚や家具しかり。建物もガウディのサグラダファミリア教会や現代建築の一部を除いて直線が基本であろう。

 自然界のモノには直線はあまり見つからず、曲線が多い。山や川、草木や葉っぱ、太陽や月、果物、そういえば人間の身体にも直線はない、などなど思いつけばきりがないくらいだ。田んぼは直線が多いのではと言う人がいるかも知れないが、あれは人工物である。

  この本は120ページ足らずであるが、大きな活字で組まれており、文字数は少ないが内容は濃い。各ページに赤瀬川原平の丁寧でどこか懐かしいイラストが描かれている。

 〔Ⅰ 風景を見る〕章の冒頭、「いつものように、風景を撮ろうと、カメラのファインダーをのぞきながら、ふと考えた。犬も風景を見るのだろうか。」とふと考える。犬は目の前のモノしか見ず、風景を見ないのではないかと思う。そして「犬は物を見る」と結論づける。眼には入っていても犬の意識には風景は届いていないのではないかと推測する。このことは別に犬を貶めているのではなく、人間も昔は物しか見ていなかったはずだというのだ。そしてそれは絵の歴史を見れば分かると赤瀬川はいう。

 〔Ⅱ 絵の歴史〕の章では、風景画を意識して書きはじめたのは、モネやピサロやゴッホの印象派からだという。それ以前は人や物ばかりを描いていた。ただし肖像画の背景にときどき遠景が描かれているがあくまでオマケなのだ。ダ・ヴィンチのモナリザを思い出していただければ分かると思う。

 〔Ⅲ もっと昔の絵の歴史〕の章では、人間が描いた一番古い絵はアルタミラやラスコーの洞窟の壁に描かれた動物たちの絵で、そこには風景や人間さえも描かれていない。まだ犬の目(目的物しか見ていない)なのだ。

 そのうち人間の意識の中に四角い人工の抽象空間が生まれてきて、そのきっかけは住居の窓ではないかという。よく絵描きさんや風景カメラマンが両手の指で四角いフレームを作って向こうを眺めているのを見たことがある人もあるだろう。

 そして四角いフレームができると、そこに余白が生まれそれを埋める風景が目に入ってくるのだ。それも雨の日に、外に出られずに、仕方なく目的なく外を見ていたのがはじまりではないかという。

  この『こどもの哲学 大人の絵本』シリーズの1冊目は『ふしぎなお金』、2冊目は『自分の謎』である。それ以降の刊行は不明である。いまネットで探しても出てこない。

  著者の赤瀬川原平(本名:赤瀬川克彦)は、作家であり前衛芸術家で、尾辻克彦という筆名での純文学作品のほか、芸術論や絵画論まで幅広い著作がある。趣味のカメラについて書いた『中古カメラあれもほしいこれもほしい』などカメラの本や趣味のカメラを生かした『超芸術トマソン』などの著作もある。

 ちょっと脱線するが、この〝超芸術トマソン〟は、赤瀬川原平が中心となって創出した概念である。街のあちこちに存在する、作った意図のわからない物や、もともとは役に立っていたはずのものが、建物の改造によって存在の意味がなくなったものなどを写真に撮って『超芸術トマソン』という本を作った。

 どんなモノが〝トマソン〟にあたるのか。私の本棚のどこかにこの本はあるのだが、見つからないので記憶にたよって説明すると、台形の上りと下りの階段が建物の壁に取り付けられているのだが、階段を上がりきった踊り場にはドアもなく、上がったら下がるしかない階段(名付けた名前は〝純粋階段〟)とか、建物の二階の高さに取っ手付きのドアがあるが、そこまで上がる階段はないので、建物に出入りできないドア(内側から開けると危険だ!)とか、壁に庇がせり出しているが、その下には窓がない(以前はあったのだろう)建物などなど収められた写真を眺めながら、こんなものよく見つけたなと笑ってしまうことしきりであった。

 ちなみにこの「トマソン」の由来は、昔々(?)読売ジャイアンツに2年間だけ在籍したゲーリー・トマソンという元大リーガーの名前に由来する。何故そんな名前がついたのかは、各自お調べ下さい。

 またそのほか『新明解国語辞典』の通常の辞典とは一風変わった語彙の解釈や用例を紹介した『新解さんの謎』等、多彩な著作がある。私はこの本を読んであまりに面白かったので、『新明解国語辞典』を買ったくらいである。

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