『名場面の英語で味わうイギリス小説の傑作』ノート
斎藤兆史 髙橋和子 共著
NHK出版
「英文読解力をみがく10講」という副題が付いている。
有名なイギリスの小説10編を時代順に取り上げ、その名場面の原文を英文法に則って精読し、原作者の緻密に工夫された表現を理解するためのガイドブックになっている。
取り上げられている作品は、順に『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン)、『オリヴァー・トゥイスト』(チェールズ・ディケンズ)、『ジェイン・エア』(シャーロット・ブロンテ)、『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ)、『ダーバヴィル家のテス』(トマス・ハーディ)、『闇の奥』(ジョウゼフ・コンラッド)、『人間の絆』(サマセット・モーム)、『インドへの道』(E.M.フォスター)、『ダロウェイ夫人』(ヴァージニア・ウルフ)、『日の名残り』(カズオ・イシグロ)の10の作品である。
書店の棚で、「イギリス小説の傑作」という文字を見て手に取り、目次を開いて、『闇の奥』と『日の名残り』が取り上げられているのを見つけたときは、嬉しかった。この2つの作品を数年前に読み(もちろん翻訳本で)、読み終えたときにこの二つの作品とも読後感として、少しモヤモヤ感が残っていたことを思い出したからである。
翻訳作業は、原作者が原文に込めた味わいや真意を汲んだ日本語にするのには大変な労力と読み込む時間が必要だ。
それでも、先に挙げた2作品――最近読んだせいもあるが――のなかで、この文章はどういう意味だろうと何度か読み返した箇所もあった。そんなときは原文に当たって自分なりに翻訳(?)するのがいいのであろうが、全部原文で読み通せる自信と時間もないし……とそのままにしていた。
どこか頭の片隅に残っていたのであろう。この「イギリス小説の傑作」という書名に反応し、目次を開いたらまさにこの2つの作品が取り上げられていたというわけだ。まさに〝出会った〟としかいいようのない体験であった。
コンラッドの『闇の奥』という中編小説については、2022年11月18日にこのnoteで取り上げた。
貿易会社に勤めているマーロウは、アフリカの奥地にいるクルツという社員を救出せよという社命を受ける。表向きは彼が重い病気に罹ったので救出せよ、というものだった。しかし実のところは、クルツは貿易会社の社員でありながら、その分を超えて原住民を手懐け、略奪に近い象牙貿易で絶大な権益を握って私物化しており、会社からの帰国命令に反し、荒涼たる奥地に行ってしまい、その動向をつかめないままだったのだ。
犠牲者を出しながら、クルツをようやく救出したマーロウは、ある夜、蝋燭を一本灯してクルツが横たわる船室に入る。するとクルツは震える声で、「私は闇の中に横たわって死を待っている」とつぶやく。彼の目から30センチも離れていないところに灯りがあるにも拘わらず――マーロウは彼の表情に〝絶望〟を見て立ちすくむ。クルツは、何か幻覚を見たかのように、二度、囁くような、ほとんど息だけの声で、こう言った――「怖ろしい! 怖ろしい!(※)」。そしてクルツは息を引き取った。
(※)光文社古典新訳文庫・黒原敏行訳による。ちなみに中野好夫の訳では、「地獄だ! 地獄だ!」となっている。
髙橋によれば、この箇所は灯り(The light:文明的な社会の一端)と闇(the dark:未開の地、原始の世界、人間の忌まわしさや邪悪さ、死のイメージ)の対比にあり、クルツの最期の言葉――「恐怖だ! 恐怖だ!」のあとに、マーロウが「キャンドルを吹き消した」ことも、象徴的な意味と捉えることができるという。
そして原文の「horror」は、嫌悪や恐怖、強い反感などが入り交じった感情や、衝撃的なものや恐ろしいものによってかき立てられた感情として定義され、また一方で、畏敬や敬虔の念と、恐怖感の入り混じった感情であることも示されている(出典:Oxford English Dictionary)。確かに作者はマーロウに、クルツの最期の姿をみて、恐怖を覚えただけでなく、「魅惑された」(黒原敏行の訳では「惹きつけられたんだ」)と語らせている。
「The horror! The horror!」をそのまま日本語に訳すと、単純な感情のように思えるが、髙橋によれば、〝The〟が頭に付く場合には〝horror〟のあとに必ず〝of~〟が付くという。例えば「The horror of starvation(飢餓の恐怖)」などである。それを〝The〟を付けながら、その後の〝of〟以下を省略しているということは、そこにあえてコンラッドが複雑な意味を持たせていると解釈できるとしている。単なる強い恐怖感を表す「terror」とコンラッドが書かなかったことに深い意味があるのだ。
その観点からクルツの人間像をみると、また別の面がよりはっきり見えてくる。この点については前に書いたので、ここでは触れない。
もうひとつの『日の名残り』は、長崎生まれでイギリス育ちのカズオ・イシグロが描く古き良き英国の老執事の物語である。この作品でも、翻訳ではわかり得なかった原作者の精妙な表現の工夫が随所にあることがわかった。
主人公=語り手のスティーヴンスはダーリントン・ホールという大邸宅で働いており、もとの主人で英国外交に影響力のあったダーリントン卿が亡くなったあと、この屋敷はアメリカ人の手に渡るが、スティーヴンスはそのまま執事を続ける。
ある日、昔一緒に働いていた女中頭のミス・ケントンから手紙を受け取る。
その手紙の内容から、スティーヴンスは、ミス・ケントンの結婚生活はあまり幸せではなく、この屋敷に帰りたがっているのではないかと思い、アメリカに一時帰国する主人に休暇をもらい、旅行をかねてミス・ケントン(いまは結婚してベン夫人)に会いに行く。
久しぶりに会ったミス・ケントン――語り手がずっとこのように書いていることにも語り手の思いが込められている――は、もっといい生き方ができたかもしれないという。
さらに、「I get to thinking about a life I may have had with you(直訳:あなたと共有し得たかもしれない〈が実際には共有しなかった〉人生)」を生きていたらどうなったかと考えることがあると彼にいう。この言葉は、彼女がスティーヴンスとの結婚を考えていたことを暗示するものだ。
この言葉を聞いて、スティーヴンスは執事という職業ゆえの禁欲的な行動規範にとらわれ、独身時代の彼女に思いを寄せていながら、行動を起こせなかったことを悔やむのだ。それでもなお冷静を装い、執事言葉で彼女に別れを告げる彼の言葉は、己の気持ちさえも欺いているように思える。
海外の小説を翻訳で読めるのは大変ありがたいことだが、この本のおかげで、翻訳文で読むだけではわからなかった作品の深みや作風が理解でき、さらに英語特有の表現をもとに丁寧に説明がなされているので、作品をより深く味わえた。
おのおのの小説のあらすじや登場人物も紹介され、名場面やポイントとなる文章が訳出され詳細な解説が施されており、イギリス小説のよきガイドブックである。