『ブルーインク・ストーリー 父・安西水丸のこと』ノート
安西カオリ著
新潮社刊
副題と著者名で分かるとおり、有名なイラストレーターであり、絵本作家、随筆家としても活躍していた故安西水丸の娘で、絵本作家でありエッセイストの安西カオリが、亡き父の趣味や自分に残してくれた言葉、イラストへの思い入れ、故郷の南房総・千倉での幼い頃の想い出などを、ブルーインクで描いたイラストを添えて書き綴ったエッセイである。
私が安西水丸の名前を知ったのは、村上春樹が週刊朝日に連載していた「村上朝日堂」というエッセー(後に本として出版)の挿絵画家としてだった。日常の出来事を綴った村上春樹のエッセイももちろん面白かったが、安西水丸の淡々として力の抜けた自然体のイラストに惹かれて、当時、毎週のように駅の売店で買っていた。
そのほかは、村上春樹の作品の装幀や挿絵が印象深い。例えば、家の本棚にあるだけでも、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』『村上朝日堂の逆襲』『日出ずる国の工場』『ランゲルハンス島の午後』などがあり、村上春樹の作品の印象とほとんど一体化して思い出す。
父親のコレクションの話。決して、系統立てて集めるという蒐集方法ではなく、自分が気に入った民芸品、ぐい呑み、ブルーウィロー(磁器)、スノードーム、伝統こけし(宮城県遠刈田温泉のこけしなど――私の家の本棚に一体だけあるこけしは、昔、仕事の合宿で行った遠刈田温泉で買ったもの。その横には私が絵付けをしたヘッタクソなこけしも並んでいる)などを集めて仕事部屋に置いていたそうだ。一見雑然と置かれているようで、それが不思議に調和していたという。
父親が残した言葉その1――「絵を描くことは、身体の中にポラロイド・カメラを内蔵しているようなものだ」――こんな家があったら、こんな女の人がいたらと考えたらすぐ描けばよかった。あれこれ空想して描くことも、雑誌などの絵を模写することも、子どもの頃から楽しかったと父親は常日頃言っていたそうだ。
その2――「絵は上手下手で評価してはいけない」――もちろん絵が上手くて悪いわけではないが、絵画の先生になるのならともかく、特にイラストレーションの場合はただ上手いだけでは面白くないと著者は思う。絵は描いた人自身のことも表している。だから絵を見るだけでなく、こういう絵を描いているこの人はどういう人間なのかを見ることもした。「本当にその人しか描けないものを描いたかどうか」を父は重視していたと書いている。
その3――江國香織の『すいかの匂い』の表紙を描いたときに、「スイカを描くこと自体は難しくはない。だけどその『匂い』をどう表現するか。イラストレーターのしなければならない仕事はそういうことだと思う。ベン・シャーンの作品にはそれがある」。
著者は、最後の方でこう書いている。ちょっと長いが引用する。
「父の好きなお酒をいつまでも一緒に飲めると思っていた。当たり前のように過ごしていたひとときがかけがえのない時間だった。よくお酒の集まりの席では、父のまわりの方から、私が生まれるまで父は子供はいらないと話していたと耳にした。その父にとって、私との時間はどうだったのだろう。好きなことばかりしていたい父に苦労をかけたこともあったと思う。父親を知らない父が父親になってくれた。父がいなくなって世界はがらりと変わってしまったけれど、父のくれた大切大切な時間を今の自分がありこれからも続いていく。」
著者の娘としての、父親への最高の愛情表現として私は読んだ。