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『単独飛行』ノート


ロアルド・ダール(1916~1990年)
永井淳 訳
早川文庫

 この作品は、短編小説の名手と言われ、また児童文学作家として有名なロアルド・ダールの自伝である。また『007は二度死ぬ』(1967年)などの映画脚本も手がけている作家だ。
 この作品に先立つ自伝として『少年』があるが、この作品はこのあとの時代に続くものだ。
「人生は数多くの小さな出来事と、数少ない大きな出来事から成り立っている。だから自伝というものは、退屈になることを避けようとするならば、書く内容をきびしく篩(ふるい)にかけて、どうでもよいような出来事はすべて切り捨て、鮮明に記憶に残っていることだけに集中しなくてはならない」と著者は前書きで書いている。

 シェル・カンパニーに勤務する著者は22歳の時にアフリカに3年間の赴任を命ぜられ、「マントラ号」という9千トンの老朽船で、最初の目的地であるモンパサに向かう。その船上で〈大英帝国は昔日の栄光いまだ衰えず、帝国を支えていた男女は、読者の大部分が会ったこともなく、これからも会う機会などありそうもない種族〉と出会うところから始まる。

 素裸で船の甲板を走り回る軍人とその妻。オレンジを食べるときに絶対に手で触らず、ナイフとフォークで食べる婦人。ディナーに向かう正装の上着の肩に塩をふりかける男(実は当人にとって深刻な問題を回避するための行動であることがのちにわかるのだが……)。程度の差はあれ、この船上の人間は一人の例外もなくみな頭がいかれていると著者は書く。
 イギリス国民であるダールがこれらの〈種族〉を興味深く観察する目は、両親がノルウェーからの移民というマイノリティーの出自にあるのかも知れない。

 アフリカでの生活が始まった。ロアルド・ダールが最も忌み嫌う蛇との遭遇もあった。
 コックの奥さんがライオンに咥えて連れ去られ、大騒ぎになり追いかけて行った
ら、銃声に驚いたライオンは奥さんを地面に置いて逃げてしまった。ロアルドは、奥さんはてっきりかみ殺されているだろうと思っていたら、咬み傷もなく服さえもかみ切られていなかったのに驚く。その奥さん曰く、まるで自分の子供みたいにそっと咥えてましたと。このライオンの驚くべき行動について、ハンターや動物の専門家がいろんな意見を寄せてきたが、どれも的外れで納得できるものではなかったと言う。

 後半、この本のタイトルの由来となっている章が始まる。
 第2次世界大戦が開戦して2ヶ月後の1939年11月、ロアルドは軍隊に入ってヒトラーとの戦いに身を投ずる覚悟をする。そしてシェル・カンパニーにその旨を申し入れると快諾してくれ、戦争が続く間は、世界中どこにいようと君が生きている限り、サラリーの銀行振込みを続けると気前の良さを示してくれた。
 空軍二等兵として従軍した著者は、最初はタイガー・モスという複葉機で練習し、わずかな訓練期間のあと、本格的な戦闘機に搭乗することになり、誰が操縦を教えてくれるのかと教官に聞くと、「コックピット(搭乗席)がひとつしかないのにどうやって教えろというんだ?」と言われ、こんなやり方は間違っていると思うが、口には出せない。
 エジプトでの出来事だが、他の飛行場に複葉機のグラディエーターで移動せよとの命を受け、その理由や指示の曖昧さに驚きながらも地図一枚を頼りに飛び続けていたが、目的地が見つからず、燃料切れで墜落に近い不時着をして瀕死の重症を負う。

 その後、ギリシャにホーカー・ハリケーン戦闘機隊の一員として派遣されたロアルドは、本格的な操縦と空中戦の訓練を受けないままの素人同然で空中戦に挑み、ナチスの爆撃機を撃墜したり、メッサーシュミット戦闘機の大群と闘ったり、思わぬ活躍を見せる。そして著者は九死に一生を得ることになるが、大怪我の後遺症で、ついに本国に送還され、愛する母親との再会を果たす。本文中に挟まれた、戦争中も母親宛書き続けた手紙が微笑ましい。

 もう一つ。この本の解説の宮崎駿監督の話(口述)も含蓄があって実に面白い。彼がアニメ『紅の豚』を作るときに、この作品があるヒントを与えてくれたと語っている。

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