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『珈琲が呼ぶ』ノート
片岡義男著
光文社刊
片岡義男は、小説家でエッセイスト、写真家でもあり、翻訳や評論もある。
筆者の若かりし頃、片岡義男の洒落て垢抜けたアメリカンテイストの文体の小説やエッセイをよく読んだ。文章も表現も淡々としていながら、どこか懐かしさが溢れる内容であった印象がある。
この〝珈琲〟を巡るエッセイ集は、いつもnoteを読んで感想を送ってくれる友人が紹介してくれた。
片岡義男の作品を読みはじめたのは30代の頃だ。はっきりと覚えている作品名は、『ぼくはプレスリーが大好き』、『スローなブギにしてくれ』の二つだ。片岡のアメリカの文化を紹介するエッセイを、何かの雑誌で読んでいた記憶もある。
この本は、著者の『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』という本が発刊され、喫茶店で打ち上げの打合せをしている時に、次の本を何にするかという時に編集者から出た言葉――「コーヒーですよ」から生まれた。
コーヒーの注文ではなくて、次の本はコーヒーにしようという意味であることは片岡にもすぐわかった。片岡は、コーヒーそのものについてでなければ、自分にも書けることがあるのではないかと閃いたという。
「話は多岐にわたるよ」と片岡。
「その多岐ぶりの一端を披露してください」と編集者。
この本は、そんな一言から始まった、コーヒーを巡る45のお話からなるエッセイ集である。
最初に置かれたエッセイ〈一杯のコーヒーが百円になるまで〉の一行目に、「小田急線・経堂駅のすぐ近くに喫茶店がある。」と出てくる。この文章に筆者はいきなり引っかかってしまい、そのまま350ページ近くある本を3日で一気に読み通した。
というのは一昨年、友人に誘われて、加藤周一の編集者であった鷲巣力氏の話を聴くために出向いたのが経堂駅前だったからだ。ランチを交えた懇談会の時刻には早く着いたので喫茶店を探した。駅前にはチェーン店もあったが、そこには入らずに、静かな雰囲気の喫茶店を探して入ったが、片岡が行ったのと同じ喫茶店かどうかはわからない。
鷲巣氏の著作である『書く力 加藤周一の名文に学ぶ』(集英社新書)を、2022年12月23日にこのnoteで取り上げた。それを読んだ友人が、鷲巣氏とのランチ懇談会に招いてくれたのだ。その友人は加藤周一と長く親交があった。
片岡義男は1939(昭和14)年3月の生まれだから、まもなく86歳になる。筆者とはちょうどひとまわり歳のひらきがあり、同じ年代とはいえないのだが、書かれている内容に親近感を感じるのは何故だろうか。
神田神保町の路地裏の喫茶店「ミロンガ」のこと――いまもある。見覚えのある看板の写真が載っている。そのほかお茶の水の聖橋のこと。筆者も行ったことがある京都・太秦撮影所のことも書かれている。
太秦撮影所が出てくるのは、〈去年の夏にもお見かけしたわね〉の章。
13、4歳の頃の美空ひばりが京都に来たときには必ず立ち寄ったという喫茶店が撮影所の近くにある。いつも母親と一緒にきて、ホットケーキを食べていたという。母親は電話で、「目立たない席を」と予約していたとその喫茶店の二代目オーナーが新聞のインタビューで答えているのを片岡は読んだ。
片岡もこの喫茶店をよく利用し、ここが美空ひばりの座った席だと聞き、片岡は美空ひばりと自分の時空間がほんの一瞬だけ交錯する想像が膨らみ、そこから、その頃の美空ひばりと10歳くらいの自分が出逢うというフィクションが生まれた。
ひばりは、「去年の夏にもお見かけしたわね」と彼に声をかけてきたという暑い夏の一コマだ。
洋楽関係では、キングストントリオやピーター・ポール&マリーが歌っていた反戦歌「花はどこへ行った」(原題:Where Have All The Flowers Gone)のことも書かれているし、ボブ・ディランやレゲエのボブ・マーリイ、オーティス・レディング――筆者が高校生の頃、飛行機事故で亡くなった――などまさに筆者の高校時代の音楽シーンそのものだ。名前を見ただけで彼らが歌っていた曲が溢れるように出てくる。
驚いたのが、エディ・ホッジスが歌っていた「恋の売り込み」(原題:I’m Gonna Knock On Your Door)のこと。筆者が小学校4年生か5年生の頃だったが、ラジオで何度も流れていた。ラジオで聴き、英語の歌を耳で覚えて、ああでもない、こうでもないとカナカナで歌詞を書いて、同級生と休み時間に適当に歌っていた。いまでも出だしの8小節の印象的なメロディーと歌詞は覚えている。
そのほか、エルヴィス・プレスリーやジャズギター奏者のバーデン・パウエル、レッド・ツェッペリンなど、よく聴いたミュージシャンが山盛りで出てくる。
雑誌では「リーダーズ・ダイジェスト」――中学時代に、近くに下宿していた大学生に見せてもらったのが最初だ。そのお兄さんは庭に面した明るい部屋に座って、パーコレーターでコーヒーを煎れていた。
「リーダーズ・ダイジェスト」は米国で刊行されているいろんな雑誌の内容の要約や本の抜粋で構成され、政治や国際問題から教育や健康など多岐にわたっていた。ところどころにカラーページもあり、独特の匂い(誌面の雰囲気も物質的にも)がしていた。内容はほとんど理解できなかったが……。
〈「コーヒーでいいや」と言う人がいる〉の章では、言葉の裏には気持ちというものが貼りついているとし、「コーヒーでいいや」「コーヒーでいいよ」「コーヒーでいい」「コーヒーにしておこう」「コーヒーがいいです」などの例文をあげて、その時の心理状態を分析し、喫茶店でコーヒーを注文する「コーヒー〝で〟いいや」と言う時の心理と、「で」の汎用性について語る。
〈四つの署名、一九六七年十二月〉の章では、ビートルズの4人がそろって写り、それに4人のサインが書かれている写真の話。ある音楽雑誌に掲載された写真の原板だ。ただし、4人のサインは本人たちが書いたものではなく、ロード・マネージャーだったマル・エヴァンスの代筆だという。
また、ビートルズが来日した時に日航機のタラップから降りて来たときに羽織っていた法被が、リンゴのだけは違っていたという話。当時の写真を見ると確かにそうだ。
法被はハッピー・コートと称して、占領軍兵士たちが故国に持って帰るのにちょうどいい東洋趣味あふれた安価なお土産として売られていたそうだ。
〈東京と電車の関係を劇映画のなかで見せる〉の章では、お茶の水にある聖橋の東側の欄干の、ほぼまんなかあたりから東の方向をとらえたショットが見開きカラーで5枚、すなわち10ページにわたって載っている。片岡は、この風景は江戸から現在までの東京の拡大ぶりを見せてくれているという。
全て同じ画角だが、総武線、中央線と、地上に出ている地下鉄丸の内線の上下6本の電車が一枚ずつ順に登場してくるという写真だ。
出版社(この本の版元の光文社)のカメラマンが片岡の依頼を受けてくれ、彼女は何日も現場に通って、何時間も費やしてついに電車が5本までは景色の中に揃っていく写真を撮影したそうだ。丸の内線が一本だけどうしても揃わなかったという。それは理屈ではあり得ても現実にはあり得なかった場面なのだ。
片岡義男は細事にこだわりがありマニアックながらも、それを超えて時代を先取りした感性と生き方をしている人だ。
この本も含め、片岡の作品はどれもエッセイと小説との境を軽やかに行き来するような物語が多い。それが片岡義男の独特の世界を醸し出している。
読み終えてから、スタバで挽いてもらった豆をサイフォンで淹れて飲んだ。
それでに思い出したのが、スターバックスで豆を買う時の話――「サイフォン用に挽いてください」と頼んで店員がすぐに「はい」と返事があったためしがない。必ず「え?」と訊き返される。私が、「アルコールランプとフラスコのような……」と説明すると、ますます分からなくなるようで、店員は奥にいる先輩に訊きに行く。すると「6番で」と返事がくる。
なので、最近はめんどうなので、私の方から「6番で」と言うことにしている。何十回も豆を買いに行っているが、「サイフォンで」が通じたのは1回だけだ。
おあとがよろしいようで……。