『平気でうそをつく人たち――虚偽と邪悪の心理学』ノート
M・スコット・ペック 著
森英明 訳
草思社刊
世の中には真偽不明の情報が溢れている。誰でも気軽に発信できるSNSの世界で特に甚だしい。
真実とは何かということはもちろん、真偽を見極めるのは難しいことではある。しかし、明らかなウソがまかり通る世の中にはなってほしくない。自分に都合の悪いことを突きつけられたら、「フェイクニュースだ」と決めつける政治家もいるし、なんでもかんでも〝陰謀論〟に還元し、それに賛同し追従し拡散する人とはお友達にはなりたくない。
「フェイクニュース」などの拡散と拡大再生産は、ネット空間でよくいわれる「フィルターバブル」と「エコーチェンバー」という機能に踊らされ、批判精神を欠いた人間の行動によるものと思われる。そして、「フェイクニュース」そのものの根底に、この本に描かれている虚偽の言説に抵抗のない人間がおり、その表面化がいまのSNSの世界における現象ではないかと思い至り、27年前に読んだ同書を再読した。
この本の日本語訳は1996年に刊行されている。
著者のM・スコット・ペックは精神科医で心理療法家である。彼は1978年に発刊された『愛と心理療法』で有名になった。
この『愛と心理療法』は、ベトナム戦争後の精神的沈滞が続いていた当時のアメリカで300万部を超え、その後13年以上(1996年12月時点で680週)の長きにわたってニューヨーク・タイムス紙ベストセラー・リストに掲載されてきたというロングセラー(以上、「訳者あとがき」による)で、現在では累計700万部を超え、アメリカで聖書に次いで読まれている本だといわれている。
『愛と心理療法』は、「人生とは困難なものである」という言葉から書き起こされ、そうした現実に対処する修養を身につけることが重要であるとし、読者に生きる勇気を与えてくれる本であった。
ちなみに、『愛と心理療法』の原題の『The Road Less Traveled』、直訳すると「進む人が少ない道」の「道」は、筆者は「精神的成長という道」と解釈している。
この本に続いて書かれたのが、本書である。原題は、『People of the lie:The Hope for Healing Human Evil』。直訳すれば、「嘘をつく人達:人間の邪悪を癒す希望」である。
本書では、著者のM・スコット・ペックの診療室に訪れた患者の臨床例から、患者とのやりとりを中心としてその詳細を記して分析している。
例えば〈第1章 悪魔と取引した男〉では、強迫神経症の男性とその妻との関係の事例、〈第2章 悪の心理学を求めて〉では、2歳上の兄がライフルで自殺し、その後、抑うつ症と診断を受け、診察に訪れた15歳の少年と〝邪悪〟な両親――兄が自殺に使用したライフルを、この少年へのクリスマスプレゼントとして贈った――の例、〈第3章 身近に見られる人間の悪〉では、成績が急降下して教師から精神科の診断を受けるようにといわれた「うつ状態」にある15歳の少年と、弁護士をしている父親や母親との関係――自分たちは健全だと思っているあなた方がまず治療を必要としているとスコットは両親に伝えた――の例、〈第4章 悲しい人間〉では、恋人と別れたあとのうつ状態を訴えて治療を受けに来た35歳の女性とのやりとりなどを再現し、患者のみならず、患者を取り巻く家族を含めた巧妙な責任転嫁のやり方とその特徴的な行動を分析している。そして彼ら彼女らの核にあるのが過度のナルシシズムであることを指摘している。
しかし、彼の診療室を訪れた患者やその家族の治療の全てに成功したわけではないことも率直に告白している。
〈第2章 悪の心理学を求めて〉や〈第3章 身近に見られる人間の悪〉で取り上げられた様々な症例から、邪悪な人間、平気でうそをつく人間とはどういう人たちなのか、拾い出してみると――
●善人であるかのように見られることを強烈に望んでいる(P100)――周りからよい人と思われたいと願い、行動する人。偽善者。
●自己批判や自責の念に耐えることができないし、また、耐えようともしない(P100)――自分が間違っていてもそれを反省するどころか、自責の念を持ちたくないために、すべて他人のせいにする人。
●自分は完全で、欠点がないと思い込んでいる(P101)――自分は絶対間違いはしないし、間違えているのは自分以外の人間であると思い込む人、そう思い込むことができる人。
●立派な体面や自己像に強い関心があり、世間体を獲得し、それを維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する(P101・P179)――自分は常識的をわきまえた道徳的に正しい人間だと確信しており、体面や世間体を維持するために仕事や社会的活動に熱心に取り組む人。
●屈服することのない、自分の道を歩む強力な意志をもつ(P103)――これをエーリッヒ・フロムは「悪性のナルシシズム(自己愛)」と呼んで、ある種の病的ナルシシズムとしている(P103)。
●他人を支配しようとする(P103)――最近使われるようになった言葉でいえば、何かと〝マウント〟をとりたがる人も同類であろう。
●うわべをとりつくろうとする(P143)、また愛を装う見せかけの態度をとる(P144)――「あなたのことを思って、あえて厳しいことを言っている」とよく言う人。
●他者をスケープゴートにして責任転嫁行動をとる(P179)――きわめてしつこく隠微な形で他人に責任転嫁をし、それを公言して非難する人。
以上、同書に規定するそれらの人間の特徴を書き出して、――(ダッシュ)以下で、筆者が身近な言葉で表現してみたが、これらの人は、どんな町にも住んでいる、ごく普通の人であるとも書かれている。
〈第5章 集団の悪〉では、個人ではなく、ベトナム戦争における米軍の「ソンミ村虐殺事件」(1968年3月16日に発生)という戦争犯罪を例に、集団における〝悪〟と、「敵をつくる」という集団ナルシシズムのかたちなどを分析している。
スコットは、この事件の心理学的側面を調査する委員会の委員を務めた経験から、集団における人間の悪も科学的に究明している。
彼は、アメリカのベトナム介入は当初から欺瞞と歪曲を特徴とするものであり、それがエスカレートし、アメリカのベトナム戦争全体を通じて支配していた残虐性と邪悪性の流れの中で、この虐殺事件が起こったと結論づけている。
この章の最後では、「死刑制度」と「戦争」について、スコットはモーゼの十戒の第七の言葉「汝殺すなかれ」を文字通り解釈したいと述べ、あらゆる倫理原則のなかで最も素晴らしい「目的は手段を正当化しない」という言葉の持つ完全な普遍性を信じたい、と述べる。
しかしながら、より大きな殺戮を防止するために殺人を行うことが必要な時もあり、これが道徳的にも正しいという結論を避けることもできないし、こうした考え方をする自分にもきわめて不快の念を抱いているとも述べ、その苦しい二律背反の心情を正直に吐露しているところに、この問題の難しさが現れており、著者の率直さ、正直さに共感を覚える。
ちなみに一般に殺生を禁じる仏教においても「一殺多生」という考え方があることを付記しておく。
最後の〈第6章 危険と希望〉では、〝悪〟を研究するために〝悪〟に近づくことの危険性を伴う「悪の心理学」の研究と、人間の〝悪〟を科学的究明の対象としないことを比較した場合、「悪の心理学」研究の欠落こそがより危険だとし、「悪の心理学」の必要性を論じている。
スコットに最初の著作である『愛と心理療法』の完訳版(氏原寛、矢野隆子共訳)が今年の2月に刊行されたので、あらためて読んでみようと思っている。