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『芭蕉自筆 奥の細道』、『芭蕉自筆〝奥の細道〟の謎』ノート

前者は岩波書店刊
後者は上野洋三著 二見書房刊

 
 筆者は俳句をよくするものではないが、高校生の時に、奥の細道の解説本を読み、特に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句に出会ったときに、その場にいたような気持ちがして、何度も何度も読み返した。そして、たった17文字でその時の情景やそれを眺めている作者の心持ちを表していることのすごさを感じたものだ。この一句にまざまざと〝クオリア〟を感じたのである。

 さて、『芭蕉自筆 奥の細道』は1995年1月の阪神・淡路大震災を契機に、所蔵者が、芭蕉の〝自筆本〟という貴重な文化遺産の湮滅へのおそれから、その存在を明らかにし、1997年に複製・公刊されたもので、複数の芭蕉研究者のお墨付きを得た芭蕉の真蹟の影印・翻刻本(普及版)である。もともと限定版の複製本(装幀や判型などをそのままに複製した本)の発刊のみの予定であったが、『芭蕉自筆〝奥の細道〟の謎』の著者の上野洋三氏の努力で、普及版が発刊され、私も手に入れることができた。
 普及版は二段組みになっており、上段に芭蕉の自筆(写真版)、下段はそれを活字に起こしたものとなっている。
 ちなみに「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、自筆本には、「閑さや岩にしみ入蟬の声」とある。

 そして、『芭蕉自筆〝奥の細道〟の謎』は、その時の研究者のひとりである上野洋三氏の、250年ぶりに発見された資料が芭蕉自筆であると断定するまでの研究の経過と成果を書き下ろした本である。
 〝自筆本〟の文字、1万641字の全ての点検から、同じひらがなや漢字の拾い出しと比較、貼り紙の箇所――書いた文字の上に和紙を貼ってそこに加筆・修正を施した箇所で、芭蕉の推敲の後を辿ることが出来る――、書き癖(漢字を誤って書く癖)などを調べ尽くして、逆に偽物であれば、このような書き癖は行い得ない(正しい字を書いてしまう)という逆からの証明も含め、論証を尽くしている。

 そして世にいう〝曾良本〟――芭蕉と奥州・北陸の旅に同行した弟子の一人の曾良が、芭蕉の自筆本を書写・整理したといわれている写本。実際の筆者は曾良ではなく、同じく芭蕉門下の利牛であると上野洋三氏が断定――との異同の問題、特にある事情で芭蕉の手元に〝自筆本〟がないまま、いわゆる〝曾良本〟に芭蕉が自筆で加筆・修正を加えているのが余計研究を複雑にしている。

 筆者は読み終わったとき(1998年3月でした)、上出来の推理小説を読むような思いを味わったのを覚えている。

 某テレビ局の「開運なんでも鑑定団」は筆者が割に好んでみる番組だが、掛け軸や扁額、書状など書画の真贋を見極めることの奥深さと、その裏付けとなる研究の重要性を垣間見た思いがした。

 『芭蕉自筆 奥の細道』の奥付には、「1997年1月24日第一刷発行」となっているが、『芭蕉自筆〝奥の細道〟の謎』の奥付には珍しく発刊日が記されていないが、著者の「はじめに」の日付は、1997年7月となっている。

 

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