『人質の朗読会』ノート
小川洋子
中公文庫
小川洋子小説はこれまで『博士の愛した数式』しか読んだことがなかったが、この本を友人から勧められて読んだ。
冒頭書かれている事件の発端と経過を読んで脳裏に浮かんだのは、1996年12月にペルーの首都リマで起きた在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件であった。この事件の実行犯は、トゥパクアマル(MRTA)という左翼ゲリラ組織であった。翌年の4月に、フジモリ大統領の英断で、ペルー政府軍特殊部隊が突入し、最終的に日本人24人を含む72人の人質が解放されたが、終結するまで4か月以上に及んだ。
もちろんこの物語の人質事件とは規模だけでなく経緯や結末も違ってはいるが、作者はこのリマの事件を下敷きにこの物語を書いたのではないかと思わせる箇所がいくつかある。
例えば、宗教指導者がゲリラグループと政府側の仲介をしていたと書かれているが、リマの事件で人質解放交渉にあたった仲介役の一人に、ペルーカトリック教会のフアン・ルイス・シプリアーニ大司教がいたことがこの物語との関連を連想させる。
『人質の朗読会』の主人公は8人の人質と、ひとりの政府軍兵士である。
人質になった人たちは、たまたま遺跡観光のマイクロバスに乗り合わせ、事件に遭った。
ゲリラグループに急襲され、運転手を除いて8人が連れ去られ、それから政府軍と警察の特殊部隊が監禁されていた元漁師小屋のアジトを急襲するまで、100日以上に及ぶ監禁生活が続いた。
最後は悲劇的な結末を迎えるが、監禁されていた小屋の戸棚の横板、引き出しの底、窓枠、テーブルの脚など様々なところから、針やヘアピンなどで刻まれた人質の人たち全員の筆跡が発見される。
さらにその後、犯人グループの動きや人質の状況を探るため、国際赤十字が差し入れた救急箱や浄水器や辞書の中に仕掛けられていた特殊部隊の盗聴器に人質全員の声が記録されていたことが分かり、その録音テープを特殊部隊に参加していた一人の兵士が個人の判断で遺族に渡していたことが分かった。
最初は人質生活の退屈さを紛らわすためで、何でもいいから書き言葉にして朗読をしあおうというところから始まったようだった。もちろん、録音されていることなどは人質も犯人グループもまったく知らない。
語り合った内容は、いつになったら解放されるのかという未来ではなく、自分ひとりの中にしまわれている過去、それは未来がどうあろうと決して損なわれない過去の記憶だった。それを掘り起こしてお互い披露し合っているのだ。観客は人質8人のほか、見張り役の犯人グループと、その場にはおらず、人質救出のための作戦本部でヘッドフォンを耳に当てて理解できない異国の言葉を聞いていた兵士だけであった。
それらの録音テープの内容から推測すると、少なくとも遺言を残すという深刻な心境ではなく、長い人質生活の中で犯人グループとのコミュニケーションも生まれ、徐々に命の危険を感じる恐怖は薄らいでいたらしい。現在の精神医学でいう〝リマ症候群〟(誘拐・監禁事件などの犯人が人質と過ごすうちに、人質に対して親近感を抱くようになる現象で、〝ストックホルム症候群〟の逆の状態)と呼ばれる状態になり、このような話をすることが許されたらしいことがうかがわれる。
その録音テープの存在を知った日本のラジオ局の記者が、遺族と交渉をして、『人質の朗読会』と題されたラジオ番組が企画され、8回にわたって放送されることになった。
録音状態は決して良好とはいえず、聞き取りにくい箇所や読み間違いなど数多くあったが、修正等は一切施さないまま放送された。
「朗読の背後には、時折相槌を打つように、コノハズクの鳴き声が聞こえていた」とある。このことからも事件が起きた舞台はペルーであることが推測される。ペルーには「オオコノハズク」が生息しているからだ。
このあと、この8人の人質のそれぞれ抱えている物語が綴られる。
〈第一夜「杖」〉は、鉄工所の作業の様子を見るのが好きだった少女が、交通事故で肺と左足に重症を負い、8日間も意識不明だったときに出てきた夢で、その鉄工所の若い工員がバーナーで足を治してくれる夢を見た話。目が覚めてみると、切断寸前だった足が繋がっていたのだ。
少女の頃は、バーナーの火花をみては、鉄工所は破壊の場所だと思いこんでいたのが、夢に出てきた若い工員は、バーナーは「世界を創造する道具だ」とつぶやく。
〈第二夜「やまびこビスケット」〉の主人公は、定番のアルファベットや動物シリーズなどのビスケットを製造する工場に勤める女性。製造ラインで欠けたビスケットを、許しを得て持ち帰り、強欲で整理整頓にうるさい家主の老婆と一緒に食べながら、テーブルに欠けたアルファベットのビスケットで「sEiriseitoN」と並べてみる話。その家主が心臓発作で亡くなったときに家主の部屋で見つけたのは並べられたビスケット。警察がやってくる前にそのビスケットをポケットに入れて持って帰るのだ。
彼女は、製菓職人として独り立ちするまで、その11個のビスケットを大事に持ち、お守りとしていたという。
〈第三夜「B談話室」〉は、私立大学の出版局で校閲の仕事をしている28歳の男性が、外人から公民館への行き方を尋ねられて案内したことから始まる。いろんな教室やイベントの案内が貼ってある公民館の掲示板をみていると、窓口にいる若い女性から声を掛けられ、それを契機に、「危機言語を救う友の会」や「運針倶楽部定例会」、「蜘蛛の巣愛好会」、「溶鉱炉を愛でる会」などなど、会合名を見ただけでは何をしているのかよく分からない集会や会合が開かれていることがわかった。
彼は勤め帰りに、もう一度彼女に会えないかと公民館に立ち寄るが、ずっと会えないままで、そのうち彼女はもう姿を現さないだろうと気づきはじめていた。それにもまして自分が、どのような種類の会合にも驚くほどすんなりと一参加者として入り込めることに自分自身が驚く。
彼はその後、作家としてデビューする。そしてこのB談話室で行われていた多くの営みを「間違いなくこの世に刻みつけるために」小説を書き続けるのだ。
彼は一度だけ勇気を出して公民館の受付の小窓を覗いて、中にいる年配の男性に女性のことを尋ねたが、もう40年のあいだ受付は自分一人だといい、小窓は閉められてしまった。
このほか、〈冬眠中のヤマネ〉、〈コンソメスープ名人〉、〈やり投げの青年〉、〈死んだおばあさん〉、〈花束〉という題の全部で人質8人と、録音テープを遺族に渡した兵士の〈ハキリアリ〉という題名の合わせて9つのナラティブが書き綴られている。
この物語の存在の意味は、兵士が語る次の言葉に凝縮されている。
「彼らの朗読は、閉ざされた廃屋での、その場限りの単なる時間潰しなどではない。彼らの想像を超えた遠いどこかにいる、言葉さえ通じない誰かのもとに声を運ぶ、祈りにも似た行為であった。その祈りを確かに受け取った証として、私は私の物語を語ろうと思う」。
筆者はこの物語集を、この世に生きた人間の不条理の死への鎮魂歌として読んだ