推しを語る①羽生拓矢
どうも、ゆーすけです。
なんか最近推しへの愛?を語っている人が増えた気がするので、
その流れにのってこれから何人か推しがいるので紹介していきたいと思います。
シリーズ第1弾として、羽生拓矢選手を取り上げます。
2022年11月13日、まとめの章に加筆しました。
【2022年11月27日、続編を書きました。】
注意
独自見解が含まれます。特定の選手を貶める意図はありません。
選手紹介だけでなくその後の影響も記載しているので、かなり長いです。
駄文です。
ポエムにならないようにしていますが、ポエムになっている可能性があります。
選手の紹介
中学時代から実績のある選手でジュニアオリンピックは1位1回、2位2回と抜群の成績を残します。
高校に進学すると、5000mで高校1年歴代1位、高校2年歴代2位の記録(いずれも当時)をマーク。
全国高校駅伝では、1年時3区区間2位、3年時1区区間2位と華々しい実績を残します。
最近では2020年日本選手権5000mで9位に入っています。
羽生選手は身長156cmのひときわ小さい体から繰り出される大きな走りが持ち味です。
最近でいうと國學院の平林選手のような選手、というとわかりやすいでしょうか。
これだけの実績を持っていると、相澤晃選手のようなスターになっていると思う方もいるでしょう。
しかしながら、羽生選手は「知る人ぞ知る」選手になってしまいました。
それはなぜか。
ケガに苦しんでいて、大学以降駅伝にほとんど出場していない選手だからです。
なぜ推すのか
私が羽生選手を推す理由は、積極的な走りにあります。
羽生選手のレーススタイルは「序盤からハイペースに持ち込む」です。
全国大会は往々にして牽制がちとなり、スパート勝負となることがあります。
しかし、彼がいると展開がガラッと変わります。
スパート勝負に持ち込ませないのです。
その結果、翌年以降のレースの戦略が変わる、ということがありました。
特に高校駅伝は戦略が180度変わってしまいました。
ここからは自分が知ったきっかけ、実績、そし翌年以降に与えた影響を書いていきます。
きっかけ:2013年12月
私が羽生選手を知ったのは毎年12月に京都で行われる全国高校駅伝直前です。
(なので、中学時代のことは触れません。すみません。)
高校1年生になった自分は、同世代の選手で注目選手を見つけようとしていました。
そこでこんな情報を目にします。
5000mの高校1年最高記録が11年ぶりに更新された、と。
しかも後に世界大会代表となり、現在も第一線で活躍されている佐藤悠基さんが保持していた記録です。
その記録を14分00秒55に更新した選手こそが羽生拓矢選手でした。
2013年全国高校駅伝
勢いそのままに全国高校駅伝で3区(8.0875km)に出走。
3区は2番目に距離が長く登り基調、そして向かい風なので準エースが投入されます。
そして最長区間への出走が禁止されている留学生は大半がここに集まります。
羽生選手は早々に世羅高校の留学生、ポール・カマイシ選手に抜かれてしまいました。しかし、圧巻なのはそこからでした。
強豪校の集団に追い付き、そして突き放す。
単独走でカマイシ選手を追っていきます。
結果的には、23分39秒の日本人歴代3位(当時、現在は6位)の区間2位をマークします。
この記録は現在でも1年生の最速記録です。
準エース区間で区間2位で1位は留学生。
ということは強豪校の準エースを軒並み なぎ倒したことになります。
ここで同時に出走していた選手を見てみましょう。
翌シーズン箱根駅伝4区で区間新記録の鮮烈なデビューを飾ることとなる、田村和希選手(西京高→青山学院大→住友電工)をも上回っています。
ただ、田村選手は大学で一気にブレイクした選手なのでそこは注意する必要があります。
はっきりいって衝撃的でした。
ここまで1年生がケニア人留学生と戦えてしまうのかと。
もちろん留学生が日本の寒さに対応できていなかった面はあるでしょう。
しかし、それにしても、です。
このとき私が気づいたのは、日本人選手は留学生にだって勝負を挑んだっていいということです。
確かに、留学生は強いです。
でも、負けなければいけない、勝負をしてはいけないというルールはありません。
(勝てるのなら)勝ったっていいのです。
この世代は長距離で世界大会の代表となっている男子選手がすでに3人います。
あくまで勝手な想像ですが、これが彼らが世界に目を向けるきっかけの一つとなったのかもしれません。
ちなみに、この週末はフィギュアスケートの全日本選手権(ソチ五輪代表選考会)も開催されていました。
そのため、同じ週に2人の「羽生」が活躍することとなりました。
ソチ五輪直後の別レースでは、増田明美さんが羽生拓矢選手に対して、羽生結弦選手になぞらえた迷解説をしています。
2014年
この年羽生選手はヨーロッパ遠征で5000mで13分52秒98(当時高校2年歴代2位)をマークします。
インターハイ決勝でブービーになった直後だったので、好タイムに私はかなり驚きました。
しかも、後日驚くべき事実が発覚します。
羽生選手はいわゆる「ロスバゲ」(飛行機移動の際に荷物だけ別の場所へ運ばれてしまうこと)にあっていたというのです。
そのため他の選手のシューズを借りて出走していたとのこと。
もちろんサイズは合っていないです。
その中での記録。
顎がはずれるかと思いました。
ここで羽生選手はインターハイの失敗を払拭。
そして私は全国高校駅伝の出走を期待しました。
しかし、全国高校駅伝をケガのため欠場。
翌年にお預けです。
実はこの年、前年の羽生選手の再現を狙ったのか、1区でも上位になれるような有力選手を3区に置くチームがありました。
前年スパート勝負を演じた鬼塚選手を置いた大牟田、
前述した5000m高1最高を塗り替え、後に世界陸上の代表となる遠藤選手を置いた学法石川などです。
しかし、気温が高かった影響か、やや不発に終わってしまいます。
ただ、その中で24分を切り、羽生選手に迫った同学年の選手が2名います。
「人間じゃねーあれ」で知られる今西選手(小林高→東洋大→トヨタ自動車九州)、
出雲駅伝チーム初優勝のメンバーとなる青木祐人選手(愛知高→國學院大→トヨタ自動車)です。
2015年全国高校駅伝
この年、私は不安でした。
去年のようにケガをしていたらどうしよう、と。
県駅伝で区間新を出していたので好調であることは想像がつきました。それゆえに怖かったのです。
まさに祈るような気持ちでした。
そして無事、最長区間でエース区間でもある1区(10km)に出走。
このコースはスパート勝負になりやすい区間です。
なぜなら、この区間は、7km過ぎまで坂を登ってそのあと下るコース設定だからです。
そのため終盤まで力を使わずにスパートの強い選手が有利、つまり序盤から飛ばす羽生選手は不利となるはずでした。
しかし、積極的な走りはエース区間でも変わりませんでした。そして不利をはねのけたのです。
羽生選手はスタート直後から先頭をひた走り、中間点の通過は、直近2年より41秒も早い14分29秒。集団が縦長になり淘汰されていきます。
坂を上りきり7km地点に到達したとき、例年10~20人いる先頭集団はわずか3人でした。
(現地映像)
正直、強烈なスパートを持つ鬼塚(大牟田高→東海大→実業団)が、勝負にすら持ち込めないことになるとは思いもしませんでした。
7キロすぎに關(佐久長聖高→東海大→SGホールディングス)に離されますが、残り1kmで追いつきます。
自分はテレビ越しに見ていただけでしたが、かなり舞い上がっていました。
そして涙が出そうでした。
あのときの羽生が戻ってきた。そう思いました。
そして走破タイムは29分09秒の区間2位。
当時の日本人歴代4位のタイムでした。
例年の区間賞のタイムが29分40秒前後であったこと、レースのほとんどを引っ張ったことを考えると、驚異的な記録です。
しかも当時は薄底シューズが全盛で、高速シューズと言われる厚底シューズの登場はこの2年後。そういった面でも見た目以上に価値のある記録と言えます。
「羽生後」の高校駅伝
母校・八千代松陰
羽生選手に憧れた選手がいたのかはわかりませんが、八千代松陰はこれ以降羽生選手のように積極性の強い選手を続々と輩出しています。
飯田貴之(青山学院大学→富士通)、佐藤一世(青山学院大学)、石井一希(順天堂大学)、そして現在高校3年生の綾一輝、工藤慎作です。
関東一の激戦であろう千葉で羽生選手のいる間に3連覇。そして2018年以降5連覇中。県内一番手の確固たる地位を固めることとなります。
全国高校駅伝への影響
全国高校駅伝への影響は特に1区への影響は甚大でした。
7kmをすぎてからのスパート勝負ではなく、実力者が引っ張れるところまで引っ張って逃げ切るスタイルが定着しました。
なぜか。2015年、序盤に大差をつけるメリットが明らかになったからです。
この年は世羅が大本命。対抗馬はドリームチームともいうべき学法石川とされていました。
学法石川が先行に失敗し優勝できなかったことが1区重視を加速させたと考えます。
2015年学法石川
長くなるので詳細は別記事にしますが、この年の学法石川には、高校生で超一流とされていた5000m13分台の選手が3人(1チーム3人は初)、そしてインターハイチャンピオンがいました。
学法石川が優勝するためには、選手層の厚い世羅に先行することが必須。特に1区の出遅れは厳禁といった状況でした。
しかし、羽生選手の影響で例年になくハイペースに。
世羅はその流れに乗る一方で、学法石川は悪くないタイムではありますがやや出遅れる形となりました。
結果は世羅は大会新で優勝、学法石川は7位となり初優勝はならなかったのです。
(同学年の選手たちが2015年全国高校駅伝を振り返る動画)
ただ、ここ数年の展開を見る限り、スパート勝負に傾向が戻るかもしれません。
一昨年の石田、昨年の長嶋と逃げ切り失敗が相次いでいたり、3区で佐藤圭汰が留学生と競り合って日本人最速記録を更新したりしているためです。
ちなみに全国高校駅伝1区の日本選手最高タイムを持つ佐藤一世は八千代松陰高校出身。月刊陸上競技によれば、このときのターゲットタイムは羽生のタイムだったそうです。
大学、社会人
羽生選手は東海大学では故障に苦しみます。
駅伝の出走は1年生の全日本大学駅伝の1回だけ。
チーム内の食中毒の流行で出番が回ってきたとみられ、本来の力とはほど遠い成績となりました。
ただ、テレビにはその他にも映ってくれました。
箱根駅伝では1箇所だけ、必ず放映される給水地点があります。
9区横浜駅前です。
そこの給水要員に複数回起用されました。
4年生のときの映像は2022年大会のサッポロビールのCMに使用されています。
一方で、5000mのレースで16分~17分かかることもありました。
もう羽生拓矢の走りを見ることはできないのかもしれない。
正直覚悟はしていました。
しかし、大学卒業後はトヨタ紡織に入社します。
これを聞いたとき嬉しさは感じましたが、少し複雑でした。
ケガに苦しんでいる本人にとって、自分が期待していることは果たして幸せなのだろうか。
そう思いました。
しかし、それは杞憂でした。
トラックで順調に実績を積み上げます。9月の記録会で高校2年以来の自己ベストを更新すると、昨年の全日本実業団5000mでは13分28秒82をマークし、ついに13分30秒を切りました。
ロードでは、2020年に中部実業団駅伝に出場。1区区間新。見事に駅伝でも復活しました。
ただ、ニューイヤー駅伝は故障のため出場できていません。
まとめ
羽生拓矢は「小柄なフロントランナー」です。
ケガに苦しみながらも復活、そして進化をしています。【2022年11月13日加筆】
2022年では10000mで28分12秒68の自己ベストをマーク。
さらには中部実業団駅伝4区(最長区間)に出走します。
結果は、高温多湿、さらには雨が降りだす悪条件の中、区間記録に迫る区間賞。
世界陸上オレゴンマラソン代表の西山選手を破ってのことです。
【加筆終わり】
正月の駅伝に縁がなかなかない羽生選手。
いつの日か、その姿を元日に見られることを願っています。
【2022年11月27日、続編を書きました。】
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