手取り13万が自分の価値

少し前になるが、手取り13万がどうのこうのというツイートを見かけた。

正直な話、だから何、としか言えない。
経緯はどうあれ、現在のその状態は身体的環境的などうしようもない問題以外の場合、すべては「自分で選んだ結果」である。言い訳などできないし、ましてや文句など言える立場にあるはずがない。

にも関わらず、そのツイート主はその内容のnoteで稼いでいるというではないか。笑止もいいところである。まあ、手取り13万から脱出出来そうで良かったんじゃないですか、って感じだ。

そうやって「国民の声=努力しない貧民の声」で食う。否、「同情する声」を食い物にする。そのへんの怪しい宗教と何が違うのか、論理的に説明してほしいものである。
その人はさながら「手取り13万教の教祖様」とでも呼べば良いだろうか。
……さもしいとは思わないのだろうか。思わないのだろうな。

何も考えず発言することはSNSによって極めて容易になった。玉石混淆、の域はとうに超えている。自ら情報を得る手段を選ぶ前に、信じるに値しない情報が次から次へと目に入ってくる。ほとんど自動的に。

簡易な個人ブログ的な存在であったはずのTwitterは今やデマや極端な思想の温床、正論などもはやどこにもない。プラットフォームとして使わせていただいておいて何だが、noteも同様である。しかも投げ銭システムがあるから収益化しやすい。そういったデマや正論ではないものまでが。

書きたいことだけ書いていたら単なる愚痴になってしまった。話をタイトルに戻そう。
私とて安月給である。何で都心(厳密にはどこが都心なのかは分からないけれど、地方出身者としてはじゅうぶん都心)に住めているのか分からないレベルの給料である。今の会社に入社した時も、居住地域を言うと決まって驚かれたし、コロナ禍に入り「生活大丈夫?」と言われたことさえある。本当に何で生活出来ているのか謎だ。
謎だ……、と言いたいところではあるが、私はかのツイート主のようにさもしくもなければ貯金がないわけでもない。年齢も年齢だし、自分の仕事人としての価値は理解している。だからこその給料だし、……もちろん、給料の額に満足しているわけではない。ただ、それが自分の価値だと思うだけである。

給料の額に不満があるならどうするか。
決まっている。
嘆くより先に知識の吸収、そして実践、趣味の充実、体力づくり、そして仕事そのもので「今の給与体系で手取りが増える方策を講じる。体力的精神的にどうやっても耐えられないならさっさと転職する方策を講じる」。やることは山ほどある。なんなら副業だって調べてはいる。

本来なら誰だって、嘆く暇はないはずだ。
軽い体力づくりでさえ、日々の糧となるんだし。それだけだって立派な志だる。
と言い切るのは、私がコロナ禍で多少太ったとはいえ体型は変わっていないからだ。まずいと思えば運動する。それだけ。
急激に体型が変われば体調に異変をきたす……というのもあるけど、実際のところは「(特にボトムスの)サイズは50代あたりになるまで絶対に変えない」という強い意志があるからだ。その年代以降はさすがに仕方ないと思う。
これは意志である前に節約術である。
サイズを変えなくて良いなら、同じものを長く着られるし、買い替えも楽だし、サイズがなくなって店をあちこち探し回る手間=時間も無駄にならない。
自分の価値の理解と、生活水準を下げず、少なくとも維持しつつ、小さな何かをする。
嘆く暇などない。

これは自戒だ。
過去に散々愚痴っているので😂 これからも愚痴るとは思うが、この考えだけは持っていたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?