アスファルトだとか砂だとか
遠藤周作『影に対して』をGoogleブックスで買いました。
節約しなくちゃいけないのに、本屋に行くと他の本まで物色してしまいそうだったので。
先日Eテレで特集番組が放送されていたのがきっかけで購入。『沈黙』が書かれたのと同時期だった?とか。
私が今まで読んだ遠藤周作の著書は『沈黙』『深い河』『侍』『悲しみの歌』あと未読だが持っているのが『死海のほとり』、それからエッセイの類を数冊。エッセイは私にはノリが合わなくて全て手放してしまったが。
個人的には『深い河』が若い頃に読んだというのもあり、一番衝撃が強かった。『沈黙』は……しばらく鬱になったね。しょうがないね。
初めて知ったのは学校で『海と毒薬』を手に取った時だった。
結局、これは貸出期間中に読み切れず、途中で返却したっきりである。
今回購入した『影に対して』はまだぜんぜん読んでいないが、テレビでは「アスファルトの道と砂浜の道」という文言が取り上げられており、印象に残った。
と同時に思いもした。
今の時代に果たしてアスファルトの道などあるのだろうかと。
企業だっていつ潰れるとも知れない、安全ルートなはずの公務員だって大変と聞く、……今の時代は、すべてが砂浜なのじゃないか?
いや、砂浜には本当に足跡が残るのだろうか?
歩いた足跡が風によって流れ、風紋の一部になるなら良いのだろう。
海に呑まれるのもまた良いだろう。
私の足ではそもそも足跡すらつかず、漣や風に流れる砂を振り返って見ているだけになりはしないか?
先に投稿した記事にある通り、それでは私は存在したことになるのだろうか、とテレビを見ていて思った。
本来はどういう意図なのか、著書を読んでみなくては分からない。少しずつ読み進めることにする。
あと、最近、島原の乱に興味があることもあり、来年あたりには長崎に行きたいなとぼんやり思っている。九州は福岡市内しか行った事がないので長崎のことはなんにも知らないのだが。
来年には何の後ろめたさもなく旅行が出来るといいけどなあ、と思いつつ。
(去年も今年も普通に関西行ったけどね! 全然大丈夫でしたよ! 対策もばっちりしたよ!)
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