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野ラーメン《Section 4》

米国で同時多発テロが起きてから2か月後、ダイヤは叔父から譲られたBMW528iの助手席に杏子を乗せて、三重県尾鷲に向かった。出発した時間が夕方だったので、国道169号の高見トンネルを抜けたあたりで暗くなった。

あまり知らない夜道を走るのは疲れる。だから、予約の要らない山間のホテルに泊まる。予定どおりの行動だった。逆スラントした鼻先を、ほとんど枯れたコスモスの花畑がある庭に突っ込んで駐車すると、枯葉のように風に吹かれて合掌造り風の建物へと歩く。

2か月ぐらいでは、日本国民からも911の衝撃が落ち着いてはいなかった。6年前の阪神淡路大震災の衝撃もまだ燻っていた。

テレビに映し出された高速道路の倒壊。神戸市東灘区で発生した地獄図だった。杏子が突然泣き崩れた。盛岡出身の杏子がなぜそんな反応を見せるのか。

「あなたも地震で死ぬのよ」という唐突な言葉を杏子が澄んだソプラノボイスで発したが、ダイヤの想像力では読み解けない。

ダイヤは推理力を働かせた。どこかで阪神大震災並みの地震が起きると予言しているように取れる。だが、違う角度から杏子に問うてみる。「俺が杏子と一緒いて死ぬ夢でも見たのか?」

阪神淡路大震災の後から「次は南海トラフだ」と警告されていた。ダイヤと杏子が向かう尾鷲は南海トラフ地震の被災地候補筆頭だ。そのことを告げると、杏子が具体的な供述を始める。

「宮城の海辺で二人が波に呑まれて溺れ死ぬ光景を見たわ。時間は10年後だわ」

「見るだけなのか」とは問わなかった。人は、危機的状況に立ったとき、自分を外部から客観視することがあるからだ。

「この前、中華料理店に連れて行ってくれたじゃない? あのとき、自分は20年前、まだ幼稚園児だったときに死んだんだと思い出したの。どうして死んだ自分がまだ生きてるのか。人は死んでも、普通に生きていることがあるの。私が敬愛したヘルマン・カール・ヘッセは、“あらゆる死”という題の詩を残したの。『あらゆる死を私は既に死んだ/あらゆる死を私は再び死ぬだろう』」

ダイヤの苦手な抽象論に流れていくこの雰囲気。耐えられない。だが20年前に死んだ――とは何だ! ぶっとんだ会話になら慣れている。だから聞いてみる。

「幼稚園児のとき、杏子はどんなふうに死んだの?」

杏子のソプラノ声で響いた答えは、ノラのあのコントラルトのハスキーボイスで鳴る「ピンポーン」に変換さた。バスの中で爆弾が爆発したと言うのだ。

これは、アレチノギクのミステリーを杏子に相談してみようと決めた。「実は、20年前の爆弾テロ犯2名を見つけた。一人は荒地、もう一人は野菊。荒地は屋台、野菊は中華だ」

「あの中華料理屋さんのご主人が野菊なのね。まだ5歳の私を殺した犯人なのね。だからあたしは自分が死んでから20年経ってることを思い出したのだわ」

「で、アレチノギク二人組が指名手配犯になりながら、中津浜警察の近所で飲食店を20年もの間、営んでいるのに逮捕されていないのは、なんでやと思う? 屋台の荒地は、中津浜警察に土地を借りていて、指名手配犯なら確実に捕まる」

「私たち、これからアレチノギクに会いに行くってのに――。たぶん毒殺はされないと思うわ。彼らは爆殺に情熱を燃やした前世を生きた者たち。彼らが爆弾テロを決行したのは、彼らにとって前世の記憶。警察にとっても、現世の話ではないのよ。

「あと、とても気になるのは“中津浜”という地名。現存しない場所かもしれない」

さすがにダイヤには理解できない。杏子は頭がおかしいか、得体のしれないカルトに洗脳されているか。しかし、この18年後に生死の境を彷徨ったダイヤになら、杏子の言わんとすることが理解できたかもしれない。18年後、死の淵から蘇生し、なんとか意識を取り戻したダイヤは自分はもう死んでいると気づいたのだ。自分が死んでも生きていると感じるのが人間なのだ。

その夜、ダブルベッドで隣に杏子が透き通る白い肌を毛布にくるんで眠っているというのに、ダイヤはノラの夢を見た。ずっと先の未来。十数年先の、未来。自分は十三駅の券売機の前でなぜかもたもたしている。すると、今のようにチーターみたいな逞しい痩躯ではなく、病的に痩せたノラがダイヤの右肩を叩く。その手首あたりの細さは、生きている人のものではない。

発せられるのは、ほどよくハスキーで色気のあるあの声ではなく、しわがれた老婆のような声。ノラは50歳をとうに超えていそうに見える。「あんたが相手してくれなくなってから、うち、食道 癌にかかってん。もう声も出えへん。ご飯もあまり食べられなくなった。お酒も減った。だから食べに連れて行ってよ」

亡霊なのか? 「もう商売も儲からんから金ないって、電話もブッチするようになったやろ」とノラがいつもよりアッサリした口調で言う。この時点でノラからの連絡を拒否したことはない。だが、いつかはそうなる。

その美しい水が野ラーメンに使われている銚子川にかかる橋を渡る。尾鷲の町だ。別荘地。と言っても普通の住宅地に見えるし、「野ラーメン」店舗を見つけにくい。

「匂いで見つけてもいいかな」とダイヤは杏子に確認する。11月だ。いくら南国の海辺と言え、肌寒い。1980年代生まれの528i。原産国は現存しない「西ドイツ」なのだ。二次大戦と冷戦を通じて、世界はねじ曲がってきた。西ドイツ製のパワーウインドウを開けると、社内の次元が社外の次元と一致した。

「野ラーメン」は南海トラフの香りがした。海面下に破壊衝動を眠らせている太平洋独自の匂いに貝や海藻などの海産物のうまみが包み込まれている。動物系スープのストレートに野蛮な匂いではない。店舗入り口に「野ラーメン」の大きな5文字。しかし、右下に「テロリスト」の文字がかろうじて読み取れる。よく見ると「食のテロリスト」と書かれている。

ダイヤは“テロリストの巣窟”に身構えもせず、ずかずかと踏み込んだ。「がさ入れと行こうか」と杏子に声をかけて、女好きの軽薄な刑事のようにニヤつく。

いつもは不愛想な荒地のオヤジが別人のようだ。手もみして二人を迎える。「わざわざ遠いところ、ご来店ありがとうございます」

杏子はチーターではない。小柄なメスライオンなのか? このメスライオンは「テロリストさんたち、今日はよろしくね。がさ入れに来ましたよ」と言い放つ。ダイヤは心臓が不規則に拡張したのを感じた。

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