全ては織り込み済みだった。パリ移住後の苦難の数々
今となっては苦難とも苦労ともなんとも思っていないのですが、いろいろな人に、いろいろな面で難易度が高いパリに、なんのツテもなくも小さな子供を連れて移住したことを、勇気があると讃えていただくので、なぜそんなことができたのか自分なりに分析してみたいと思います。
私の決めた事を無謀だとか無理とか子供が可哀想とか、影で思っていた人もいるかもしれません。
いや、いないかもしれません。
誰にも相談せずに決めたので。
全部ひとりで調べて。
何度もぶち当たって砕けながら。
誰か自分以外の人に私の魂がやろうとしていることに色付けされたくなかったので、淡々と事を進めていつの間にかパリに住んでいました。
誰にも相談もしなかったし、どんなにビザなどの準備がたいへんなどの苦労話もしませんでした。
たいへんとか言うと、やめたらっていう人がいるかもしれないし、でも行くのはその人じゃないのに、やめろとか行けとか言われたくなかったのです。
パリに住んでからも、苦難や苦労が次々に起こったけれど、それも織り込み済みだったので、逃げ帰ろうと思ったことは一度もありませんでした。
パリ暮らし1年生の頃に出会った日本人の女友達は、次々に傷心して帰って行きました。
きらめいて見えるパリ暮らしですが、女性がシングルで生きていくには、一筋縄ではいかなくて、仕事が見つからない、見つかってもブラックだった、彼氏ができない、できてもダメンズだったなど、憧れのパリ暮らしが地獄に変わっていき、このままではいけないと思ったまともな育ちのお嬢様方は、どんどん見切りをつけて、日本で再就職したり、婚活して結婚したりしていきました。
もちろん、最後まで諦めず夢を実現させた女性もたくさんいらっしゃいます。
ある日、相当な困ったことが起きてしまって、意地を張って誰にも頼らず解決しようと悶々としながら苦しんでいたとき、あるマダムに一言、本当にさりげなく言われたことがあります。
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