我流から入るの悪手やも、という話
「そりゃ悪手だろ、蟻んコ」
「悪手」ときくと、漫画《HUNTER×HUNTER》で、ネテロ会長のこの言葉が浮かびます。
昨年の振り返りのなかでも「我流ってあんまいいことないかも」と気付いたのは大きかった点です。
なぜなら、独自に編み出す我流というものが結構好きな人間だからです。
およそ1年で「我流は悪手やも」と気づいた点を列記してみます。
我流はここが問題 😣
1.我流は大抵が「車輪の再発明」 🚲
端的に言えば、時間の無駄だなと気づきました。
困ったことを解決する術をゼロから考える癖がありましたが、きちんと調査する時間を設けたり、詳しそうな人に尋ねると、多くの場合はフレームワークだったりが存在してるものでした。
2.我流を検査したり直せるのは自分だけ
ここも問題だなと。
お手製のフレームワークについて詳細を知るのは自分だけだし、見直したりアップデートできるのも自分だけ。
オレオレExcel計算シートみたいなもので、超属人的な状態で好ましくないと気づきました。
3.我流はtest of timeを経てないからガタガタ
大体ができたてほやほやの理論やフレームワークなので、時の試練(test of time)を経ておらず、いろんなところにガタがあります。
十分検査と適応を繰り返した、すでにある理論だったりフレームワークの方がうまくいくんだなと、悔しいけれど思わされました。
我流に関する教訓 🎓
1.型をもとにしたバージョンアップとは別モノ
これはシンプルに「形なし」と「型やぶり」の違いです。
我流といっても、ちゃんとある方式を身につけてから効果・効率を高めるためにアレンジを加えるのは価値があると考えてます。
2.「探しても無い」と「探してない」は違う
探して探して、方々訪ね回ってもしっくりくる方法も策もないというのと、そもそも探してないよというのは別物だと。
我流に手を染めようとする自分の場合は、大体後者だったんですよね。よくない。
つまりは
たくさんの書籍を読んだり、記事や文献を目にすることが思いのほか近道だったなと35にして気づきました。
今年も、良書・良記事に積極的に触れていこう💪
おわり
サポートいただけたら、嬉しくて本屋に行くと思います・・・笑