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栄喜道VIIを観て

「バンドが死んでも曲は死なない」

そんな事をふと考えてしまった。
これまで沢山のバンドを好きになって、そのバンドが解散・活動休止する度に悲しんで、復活したら喜んで、そんな日々を過ごしてきた。

けれど、こういう感情を言葉にしてしまうと、自分の中でそのバンドの存在を過去のものにしてしまう気がして、なかなか自然と出てこなかったのだと思う。

今日はSIAM SHADEのボーカル、栄喜のソロライブ「栄喜道VII」に行ってきた。
SIAM SHADEは日本のロックバンドで、1990年代中頃から2000年代前半にかけて活躍した。バンドは2002年に解散した後、何度か限定で復活ライブを行っていた。

「行っていた」と書いたのは、今後SIAM SHADEが復活する事は可能性として極めて低いからだ。2016年にバンドは完全に活動を「完結」させた。それまで何度か復活ライブを行っていたが、「完結」を声明として発表したのなら、今後復活する事は難しいだろう。

バンドのボーカルでありフロントマンの栄喜は、2002年に解散してからソロ活動を開始。ソロ以外にも名前を変えたりバンドを組んだり、精力的に活動する中、「栄喜道」と銘打ったライブをここ最近、年に1回ツアーで行っている。

これは栄喜のソロライブなのだが、セットリストがなんと全曲SIAM SHADEで構成されているのだ。バンドが解散した後、ボーカルがソロライブで数曲バンド時代の曲を歌う事はよくあるが、全曲解散したバンドの曲で構成したライブをするのはとても珍しい。

私の様なリアルタイムでSIAM SHADEを追っておらず、解散した後に好きになりライブに行けなかった人には、とても嬉しい事だ。と、私は思うが全員が全員、手放しで喜べるかと言われたらそうでもない。解散したバンドの曲をやると言う事は、ファンにとっては複雑な気持ちになる事もあるという事だ。

例えば、「バンドが解散したのに、違うメンバーで演奏して歌うな」という意見もあれば、「ボーカルが歌ってたら他のメンバーは違う人でも気にならない」という意見もある。はたまた「ボーカルが違っても演奏する人が同じなら嬉しい」というのも。

これに関しては難しく、例えばメンバーが病気や死によってバンドが解散・休止した場合(やむを得ない状況)でやるのであれば賞賛の声が多いだろう。しかしバンドメンバーが全員存命で、しかも他のバンドで活躍しているとなればファンの気持ち的には「いや全員音楽やってるんだから同じメンバーでやってくれ」と思うだろう。

何が言いたいのかというと、記事のタイトルにもした通り「バンドが死んでも曲は死なない」という事だ。
SIAM SHADEも解散したが、メンバーは全員存命だ。しかし「完結」と銘打っていたり、ギターのDAITAの思想的にも、再びバンドが復活するのは難しいだろう。しかし、栄喜がSIAM SHADEの曲をソロライブで歌う事によって、解散してから20年以上経った今でもSIAM SHADEというバンドは過去のバンド、にならずに済んでいる。

今でも復活を望まれているし、なぜ復活しないのかという声も分からなくはない。しかしそれはファンの「エゴ」であって、メンバーからしたら「やりたくない」事は「やりたくない」のだろう。嫌々復活させられたバンドを観るのは嫌だし、それで納得するファンは少ないだろう。ファンの気持ちとメンバーの気持ちが一致して、初めてバンドの復活は成立する。

私が最も復活を望む、Janne Da Arcというバンドがある。SIAM SHADEと同時期に活動していたビジュアル系バンドで、アニメの主題歌で知った方も多いのではないだろうか。(SIAM SHADEが3分の1の純情な感情なら、Janne Da Arcは月光花か)

このバンドはSIAM SHADEと違って、活動休止からの解散というパターンだった。詳しくは他の熱狂的なファンの方がまとめていると思うので調べて欲しいが、なかなか泥沼の末の解散だったのでダメージが大きかった人も多いだろう(私もその1人)。そしてそんな解散だったからこそ、復活を望んでいるのもある。

しかしこちらも残念な事に、Janneが復活する可能性は極めてゼロだ。理由は2つあり、まずはボーカルのyasuが療養中だから。yasuはソロプロジェクトの「Acid Black Cherry」の活動中に身体を壊し、活動を休止した。2024年現在も復活の目処は立っておらず、2017年から表舞台には一切出てきていない。動向も全く分からず、もしかしたら国内にいないかもしれないほどだ。彼が懇意にしていたお店に訪れるファンも多く、そこではyasuに関する情報を聞くことが出来る(かもしれない)ので、ファンの方は是非調べて欲しい。

もう1つの理由は、ベースのka-yuがトラブルを起こしてしまったから。Janne Da Arcは2007年から活動を休止していたのだが、それからバンドが復活する事はなく、2019年に解散した。ファンにとっては「解散」ではなく「休止」していたのがせめてもの救いだったが、これで約12年に及ぶ呪縛から解き放たれたといってもいい。その解散のトリガーになったのが、ka-yuが女性問題を起こした後に「バンドを脱退する」事だった。これは正式な理由として公表されており、決めつけでは無い。

メンバーがバンドを脱退した以上、仮にJanne Da Arcが復活してもka-yuが戻って来る事は難しいだろう。となれば別のメンバーを入れるか?ファンは到底納得しないだろう。負のスパイラルがうずまき、結局バンドの復活は遠のく訳だ。それでもメンバーが死なない限り、またJanne Da Arcというバンドが復活する事を私は望んでいる。

Janneの風呂敷を広げたが、実は元Janneのメンバーであるyasu、ka-yu以外の3人が今月からツアーを行う。それが何と「Janne Da Arc」の曲だけで構成されたツアーなのだ。まさに「栄喜道」と同じである。勿論ファンにとっては完全に納得出来るものでは無い。しかし、元メンバーが複数人集まって過去のバンドの曲をやってくれるのは、単純に嬉しいものだ。

こうして解散・活休したバンドの曲が元メンバーによって演奏され続けるのは大事な事だと思った。曲が死ぬ(知られない)とニーズは生まれない、ニーズが無ければバンドの復活もしないだろう。つまりこれはバンドが復活する為のレールを敷く作業なのだ。もしかしたらレールだけ敷いて、電車は永遠に走らないかもしれない。でもレールを敷かないと電車は走る事も出来ない。
そう思うと、栄喜がMCで言っていた「やれる限りは(栄喜道を)続けていこうと思います」という思いも報われるというものだ。

ここからは簡単に今日のライブレポを書こうと思う。
今回のnoteで言いたかったのは↑の内容なので、既に力尽きてしまっているがご了承願いたい。

天気は生憎の雨。会場は梅田TRADという、約700人近く収容出来るライブハウスだ。この規模では珍しく地下で無く、地上2階にあるのも特徴。しかし今月末で閉館が決まっており、寂しい限りである。

集まったファンは体感400人ほどで、天井が高く、客同士の隙間があり快適に観ることが出来た。去年に観た江坂MUSEは、キャパオーバーとしか思えない程の詰め込み具合で、栄喜がMCで思い出話にする位「酸素が無くて大変」な光景だったそうだ。

事前物販を済ませ、開場を待つ。とは言え会場前に待てるスペースはほぼ無く、更に雨なので会場には整理番号によって集合時間が書かれていた。こういう細かい気配りは嬉しく、臨機応変に動けるスタッフが居るとライブはスムーズに進むのである。

整理番号1〜200番までは恐らくFC枠、そこから一般枠だったと思われる。私は250番台で、会場内真ん中少し前、センターに入る事が出来た。身長がそこまで高くない私でも、栄喜は勿論、奥のドラムまでしっかり見えた程の好立地だった。ドリンクカウンターは後方にあり、ライブ終了後に立ち寄ったのだがこちらも複数スタッフで対応しており非常にスムーズな進行で気持ちよかった。

18時になり、ほぼ定刻がライブスタート。ライブは本編+アンコールを含めて1時間45分程だった。セットリストはSIAM SHADE IVの曲が中心で、定番曲を除くと「Makin' Your Life」が驚きだった。「アドレナリン」もシングル曲ではあるが、後期に発売されたのでライブではほとんど聴かないレア曲だ。

No!Marionetteから始まり、SIAM SHADEの代表曲である「3分の1の純情な感情」も演奏された。ファンからしたら「はいはい」的な定番曲であるが、それでも聴くと結局楽しいのはクオリティが高いからか。私のイチオシである「JUMPING JUNKIE」も披露され、こちらも〆の定番曲「Don't Tell Lies」で本編終了。

アンコールはこちらも定番の「Dear…」だけだったと思う。エンドSEはLOVE。
MCが結構長めで、アンコールでは曲の前にベースのNATCHNの誕生日が祝われた(4日前だけどな!と言っていたが)。観客がハッピーバースデーを歌い、ステージにはケーキが登場。栄喜も言っていたが、「大阪でこういう事するの珍しいよね?」と思った。

ギターのRenoをコールする声が「レノォ〜?(尻上がり)」なのを栄喜が気にして「新しい風を入れてくれる、Reno!え〜なんだっけ…モビット?」とボケかまし、Renoが困惑した顔で「ViViDです…」と言っていたのが面白かった
。笑

あと序盤のMCで栄喜が「思い出に残っているライブが2つあって。ナッチン、せーので言ってみよう」と急にMC振り。そしてナッチン、あまり要領を分かっていなかったのかしどろもどろ…
結局、答えもバラバラで。ナッチンは男樹、栄喜は国際フォーラムと広島のライブハウス。

国際フォーラムは床が揺れすぎて出禁になったらしい(隣で漫談をやっていた人が怒ったんだとか)。広島の方は床が抜け、2時間後にライブが再開したという話。ライブハウスを作った棟梁が掴まらず、確認に時間がかっていたらしい。栄喜は冷えきったフロアにヒヤヒヤだったそうだが、ナッチンは盛り上がったと回顧。
ナッチンの男樹のエピソードも聞きたかったなぁ。

以上、レポっす。ナッチン、53歳の誕生日おめでとう!

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