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市民がお客様意識を捨て、自治体のパートナーになるために

財政がひっ迫し、税収や利用料金ではコストを賄えない公共事業では、値上げが行われることがあります。それに対して「行政の仕事のやり方が非効率」「利用者に転嫁する前にコストを見直せ」という批判の声が上がりますよね。私、これ、いつも違和感を感じているんです。

今日はこの違和感について、少し考えてみたいと思います。

行政サービスのコストを削る、ということ

そもそも行政サービスは、収入よりも費用の方が多いもの。そうでなければ、民間がとっくに参入しているはず。つまり行政サービスは「社会には必要だけど利益は期待できない。なので、税金でカバーする」仕組みが前提となっているんです。

では、コストが賄えない分の料金を値上げしないとすると、よりコストを削るしかないですね。

その方法とは、

①直接経費を削る

②間接経費を削る

しかないはず。

で、これらの経費はすべて 単価×数量 で計算されます。

ここで冒頭の「行政の仕事のやり方の効率化」「コスト構造の見直し」という点に戻るのですが、これらの発言はほぼすべて 単価 に関するものです。職員給与の引き下げ、調達方法の見直し などが考えられますね。

でもこれらの取り組み、すでにかなり実施されてきていて、なんなら行政職員は新規採用を取りやめて給与の増加を抑制するなんてこともありました。その結果起こったことは、若手職員の不足により新しいチャレンジがなされない組織文化や大量退職に伴うノウハウ継承の問題など、行政組織そのものを痛めてしまったのです。

また、調達方法については公民連携(PPP)の事例も数多く、多様な民間企業が参入することで、コスト引き下げや効率化がかなり進んでいます。

つまり「これ以上、どうすればいいの?」という手詰まり感があります。

数量をけずる、という発想

実はこれまで、 数量 を削る方法については、あまり議論されていません。数量を減らす、とは、つまり、公共が取り組むべき課題を減らす(予防)ということです。

ここ数年は ソーシャルインパクトボンド(SIB)や成果連動型支払い制度などで注目されていますが、社会の課題がそもそも発生しないように官民あげて取り組むことで、もともとかかっていた行政コストを減らす、つまり 数量 にアプローチするものです。とはいえ、まだ国内でも事例数は多くありません。

数量を減らすために、もっと簡単にできることがあるのです。

それは、私たちの行動を見直すこと。

例えば、

・下水道料金の値上げがいやなら、下水処理量を減らすため、家庭で使用する水を減らしてみる(節水)。

・道路のメンテナンス費用を下げるために、ポイ捨てをやめる。気づいたごみを拾ってみる。

・コミュニティサポート費用を軽くするために、自治会費を払い、活動にも積極的に参加してみる(花壇の手入れなど)。

などがあります。

行政コストの 数量 って、結局は私たち市民が、そのサービスをどれくらい必要としているか、ということ。もしコストを下げたいのなら、行政サービスがいらなくなるくらい、自分で自分のケアをすればいい。

理不尽な要求に、どこまで対応すべき?

そもそも、払っている税金に対して、受けているサービスが多すぎるんです。もっとサービスを受けたいなら、もっと税金を払うしかない。そのことにそろそろ真剣に向き合う必要があります。

1000円のものを要求しながら700円しか払わず、供給側が悲鳴を上げたら「企業努力が足りない」というユーザーばかりの市場【詳細は巻末を参照】。企業だったら、このような理不尽な市場からはすぐに撤退するでしょう。

こうなると、困るのは、当のユーザーだったりします。行政でいえば、行政サービスを受けている市民ですね。

道路のメンテナンスが行き届かず舗装がはがれて事故が起き、安心な暮らしが損なわれるかもしれません。下水処理が追いつかず河川が汚れ、悪臭が発生したり海の生態系を壊し、水産業に影響が出るかもしれません。リバービューのマンションの価値も下がるでしょう。河川堤防の整備が進まず、ひとたび台風で河川が氾濫すれば生命財産の危機に直結することは、日本のだれもが知るところです。

では、行政は市民(ユーザー)からの理不尽な要求を拒むことができるでしょうか?撤退することはできるでしょうか?

もちろん NO ですよね。

なぜなら、個人の権利や採算面を含め、民間企業では提供できないセーフティーネットを提供することが、行政の存在意義でもあるから。

これまで提供していた行政サービスをたたんでいくことは、行政にとって自らの存在意義を問い直す重い課題でもあり、なかなか結論を出すことができません。だからこそ歳出が肥大化してしまう、という問題があることも事実ですが。。。

お客様思考を捨て去り、自治体のパートナーへ

「お客様は神様」「納税者は神様」といった不条理な消費者マインドは、昭和の時代の遺物です。私たち自身が、自らを「令和の時代の価値観」にアップデートするべきだと思います。

令和の時代の価値観とは、、、

・多様な価値感があり、多様な人が居いて、すべて尊重される

・自分の心地よい生活は、自分で作ることができる

・他人を批判するよりも、自分にできることを行う方が有意義

に代表されるように、「自分が自分らしくいられる世界を、自分で作っていけばいい」というもの。

行政に依存し、批判するのではなく、不満があれば自分で解決するために立ち上がればいい。ボランティアに参加してもいいし、NPOに寄付してもいいでしょう。SDGsで社会問題に関心を持つ企業で働く人なら、新規ビジネスとして取り組んでみるのもよいかもしれません。最近では、市民参加型の社会課題解決プログラムを提供するNPOもたくさんありますね。

アメリカのKABOOM!というNPOは、市民が安全な子供の遊び場を作るために、住民がたった2日間で空き地に公園を作り上げる、という素晴らしいプログラムを提供しており、全米ではすでに17,000以上の公園が、住民自身の手で生み出されています。

自ら課題解決する方法なんて、探せばいくらでもありますし、自分で作れる時代です。

社会の問題に取り組む自治体を批判するのではなく、一緒に取り組むパートナーである、という意識を持ちたいものです。


参考:日本の財政について

日本政府の年間歳出額は100億円なのに対し、税収等の歳入額は67億円。しかも、歳出額の1/3以上を社会保障費(子育て、介護、福祉等)が占めています。

よく聞く「公共事業はムダ。費用を下げろ」問題ですが、公共事業費は歳出全体の7%未満に過ぎず、ここだけをいくら議論しても、木を見て森を見ない様なもの(それでも、努力することが大事なのは間違いありませんが)。

前述のSIBや成果連動型業務委託は、この社会保障費の縮減に取り組む意欲的な試みであり、公共事業批判をする時間があるなら社会保障の水準を落とさずコストを以下に下げられるか、という議論をする方がはるかに有意義です。

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