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東方鈴奈庵を読み返します/東方鈴奈庵1巻読んだ【ほぼ日更新#39】

 今日は2013年~2017年まで連載されていた、東方鈴奈庵の1巻を読み返しました。先日、東方シリーズ書籍最新作の酔蝶華と智霊奇伝を読んだので、内容を復習したく…。

 本記事は、読後の所感を諸々書き留めて、最後にイラスト練習する記事です。現在39日目。

以下、作品に関するネタバレを含みます

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「その時はその時で―――霊夢さんにお願いしますね!妖怪退治!!」


 かなり記憶が断片的だったので、東方鈴奈庵を読み返してみることにしました。

 東方鈴奈庵、東方シリーズ書籍の漫画きってのガチバチクソ絵うまうま漫画だと思っていて、初めて読んだ当時からだいぶ憧れていた記憶がある。しかし絵のうまさだけではなくて、東方神霊廟EXボスの二ツ岩マミゾウをリデザインして超魅力的に描いたこと、さらに黄昏フロンティアの非整数ナンバーの公式格ゲー、東方深秘録および東方憑依華について、マミゾウを含むイラストを鈴奈庵漫画担当の春河もえ先生が担当したことによる東方鈴奈庵購読者以外への影響からも、現在におけるマミゾウのイメージを決定づけた漫画になっていることは間違いがない。
 狸を統率し、獣のように聡く生き、外来の文化にも詳しく、時折ドスの効いた脅しの顔というカタギでなさそうな一面を見せるなど、印象的なマミゾウのイメージは鈴奈庵発祥だと思う。

■小鈴の純粋無垢、好奇心、その矛先は何に交わる?

 茨歌仙の華扇といい、酔蝶華の美宵といい、鈴奈庵の小鈴といい、東方書籍の新キャラクターは何か目的を秘めており、霊夢や魔理沙の気付かないところで自身の興味の対象を、ある種の凄みを読者に見せつけながら単独で掘り下げていく一面がある。「こいつ、本当は何者なんだ…?」「こいつに任せたら異変に繋がるのでは…?」と若干不安をあおるような不安定さが終始ある。ゲームと違って、その本人がずっと出続ける漫画だからな。(そう思うと、三月精は比較的平和な印象があるな…。智霊奇伝は新キャラクターの話ではないけど、黒幕の存在を示唆しているところは漫画っぽい)

 東方鈴奈庵の主人公である本居小鈴、本人に悪意は基本的にない。小鈴のヤバいところは、「本を愛している」という理由だけで全てを飛び越えてしまう、それ以外の全てを「まあいいや」と切り捨ててしまうところにある。そこまで超極端ではない一面もあるが、しかしそうだといえる一面もある。特に周囲への害を与えないうちはいいが、鈴奈庵の物語は周囲や本人へ危険が及ぶ可能性が可視化されたところから始まる。
 東方鈴奈庵の物語はじまって以来、小鈴が最大の関心を向ける書物というのが「妖魔本」である。これは妖怪の類が記録された書物だが、問題はこの多くを妖怪自身が編纂しており、妖怪側にとって致命傷、存在の消滅に関わる「忘れ去られること」を回避するための最後の防護策ことが妖魔本である。妖魔本を人間が認識し恐れる、もしくはそれ以外のトリガーがあれば、消滅した妖怪が復活する可能性がある。
 本に対する尋常ならない気持ちがある小鈴が妖魔本という判読困難で希少な書物への強い関心を抱いたとき、霊夢の忠告や、幻想郷全体のルールにさえ反してしまいかねない勢いである。

 ところで、鈴奈庵において個人的に記憶があいまいで気になっているのは、この「消滅した妖怪が復活する」に対し、幻想郷の妖怪と人間の均衡を守る博麗の巫女である霊夢がどういった理由で介入してくるのかという点。

 表向きはもちろん「妖怪退治」、妖魔本から復活した妖怪が見境なく能力を発揮することによる妖怪-人間の均衡へのダメージを防ぐことが目的であるはず。ただ、本当のことを言うならば、妖魔本に強い興味を持っている小鈴自身を取り締まれば問題は解決する。
 「そのとき(妖魔本から妖怪が復活した時)は霊夢さんに(退治を)頼みますね!」と満面の笑みで言う小鈴に対し、霊夢は渋る表情で、しかし小鈴自身に手を出すことはしない。これはまだ大丈夫だと判断しているのか、それとも小鈴に対する甘さなのか…。とにかく、霊夢の判断が揺れ動く場面がいくつか訪れることが予想される。小鈴の意思を取るか、幻想郷の調停を取るか。その幻想郷の調停というのも、果たしてどういった基準で彼女は善悪を判断するのか?
 東方の世界観におけるそこの肌感覚を再度見定めるのも、今回自分が鈴奈庵をふたたび読もうと思ったきっかけである。

 無垢純粋の里の人間が、たまたま能力に目覚め、たまたま妖魔本という妖怪に関する書物に興味を持ったことから話が始まるが、霊夢は今後の小鈴の動向および妖魔本の存在に対しどういった決断を返すのか、といったところ。

 1巻の時点では、霊夢は「妖魔本とか、妖怪が復活して食べられたりしない?大丈夫?」と、軽く疑義を持っている程度。ただし、小鈴の方は阿求と共同し、煙々羅という妖怪を妖魔本から意図して復活させるという、割とヤバめの行動を働いている。「うわわー!復活しちゃったよー!」とかの事故じゃなくて、「へへぇ……やっぱり上手く行きましたぜ……」という過失である。1巻を読んで小鈴に思うのは、こいつ無自覚な悪人だぞ……という印象ですらある。さて、周囲にどう尻尾を掴まれるのか……そのあとはお咎めなのか、罰なのか……


 ちなみに一度鈴奈庵は読了しているのに、この後の展開を全然覚えていません。レミリアと一緒にチュパカブラが出てきたよなあとか、心綺楼の関連でこころが出てきたよなあ、とかの情報しかない。なんでこんなに記憶弱いの!?もう一回楽しめるからいいけど!!
 というわけで、これからの記事は鈴奈庵全巻読んで振り返りというより、1巻ずつ読み進めていきながらそこまでの感想を述べることが多くなると思います。間違ってたり変なこと言ってたら、ネタバレOK(一度読んでいるため)ですのでご指摘いただければ……何卒……


■鳥山石燕という妖怪画家

 そういえば本筋と関係ないけれど初めて知ったことがあるので記載。
 1巻で出てきた煙々羅という妖怪、作中で霊夢が言う通り「記録が少ない」妖怪である。というのもこれ、江戸時代の画家の鳥山石燕による創作の妖怪であり、それ以前の時代には記述が存在しない。
 石燕は画家であり、ひいては妖怪に関する絵を売り歩き本を製作することで、現代の妖怪観にも大きく影響を与えている人物である。僕は鈴奈庵を読み返すまで知らなかったんだけど、どうも石燕由来の妖怪がかなり存在するらしく、それはさらに昔の時代に伝えられた「百鬼夜行絵巻」に登場する妖怪から、そうでない独自の妖怪(その出自も妖怪としてではなく、身内ネタや娯楽としてのものを含む)を生み出すまでに至る。
  水木しげる、京極夏彦といった現代の偉大な創作者が描いた妖怪に関しても石燕が伝えた妖怪をルーツとするものが多く存在している。もちろん妖怪変化、怪異譚をベースとする創作物への影響も多大であり、この東方Projectシリーズも例外ではない。

 百鬼夜行絵巻が現実に存在するのは知っていたけど、それ以降の江戸時代に妖怪を多く描いた画家によって現代の妖怪観が作られていることは知らなかった。これから作品に登場する妖怪を調べていったら、おのずと石燕の作品に当たることがあるのだろうな……と思う次第。


■絵の話

 小鈴ちゃんを描きました。
 これまでこの記事群において模写を繰り返してきましたが、今日は模写ではありません…元絵とした1コマの絵(やや右から見た正面の構図)を、頭の中で真横に変換して描きました

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 小鈴チャンス… 2h+3hくらい。(1巻のどのコマを参考にしているのかは、書籍を読んで、自分の目で確かめてくれ…。)


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 2h時点。本そのもの、本とそれをめくる手の位置関係、足を交差させているブーツをどう描くか、椅子の位置をどうするか、など悩んだ感じ…


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 3h30min時点。足の交差は結局諦めたりとかあったけど、だいたい線画が終わった感じ…。

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 4h30min時点。ベタ塗りほぼ終わり。この後トーンと背景で1hかけて終了。

 今まで38日分続けていた模写、特にカラーの模写については最後の効果や修正をかける段階がめちゃくちゃ勉強になっていてよかったんだけど、大半の時間を元の絵を(横に並べているとはいえ)目で追ってトレスすることに割いてて、なんだか練習として釈然としない感覚があった。これ続けてもおれは自分の構図で絵を描けるようになるのか?という。実際問題、模写に時間を取られているせいで描けてないんだが。本末転倒か!?

 この角度を変えて書く方法、思いついている限りでも以下の長所がある。
 ・オリジナルの絵を描く状況により近い思考が増える
 ・角度を変えるので元絵以外の資料も引っ張って統合して考える
 ・模写は凝れば凝るほど表に出しづらいが、構図を変えるならその限りではない。

 などなど。
 最後描いた絵を評価するときに「模写という模範解答と比べてどうか」を考えていたのに対し、色々総合的に評価を下すべきところが増えた印象…。絵を上手くなるには体に覚えさせるのも大事だけど、やっぱりどうせ長い時間をかけるなら頭を動かして立体視したり見せる角度を変えて絵が良くなるか?とかもろもろ考えて観察して結論を下すのが重要だと思います。これもまた、出来る限り続けていきたいな…。


 それではまた明日