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眠すぎても、倒れるまで自分を追い込む
眠い。何も書けない。何かを書きたいと筆を走らせて、思索を巡らせて、いつまでも書くものが見つからなくて、一息つくと、眠い。意識を手放したくなる。休息を求める体の声に従いたくなる。これに従うのは正しいことなのだろうし、これまでずっと、つい一ヶ月前くらいまで、その声に従ってきた。それで頭がスッキリして、楽しくなってきて……俺はいつもそこで、創作や物書きに戻るのではなく、面白い動画や楽しい友人関係に向かって、何時間も帰ってこなかった。次に書きたくなるのは、眠くなってから。そこから睡眠時間を削りに削って、なんとか書きたいところまで書ききって、ああ、もっと早くに始めていればよかったものを、なぜあんなことをしたのだ、と思いながら眠る。そして、次の日には頑張ろうとするが、眠気が取れなくて……。俺はずっと、そんな日々を繰り返してきた。持てる時間がいくら多くなっても、楽しくなって遊ぶ時間が伸びるだけで、一向に創作の時間が増えない。そんなものなのかもしれない。創作する人なんてみんなそんなもんかな、と無根拠に思おうとする。でも、俺は知っている。自分の時間の多くを犠牲にして、死ぬほどの勢いで働いている人のことを。今この瞬間も、社会のための、あるいは自分のための何かを行って、そのために疲弊し尽くしている人がいる。俺もいずれまた、その立場になる。今はまだ、そこから逃れられているが、それはその危機がまだ訪れていないだけにすぎない。否が応でも、死力を尽くし、多くを擲たないといけないときは、来る。そのときに、俺はあれだけの時間があって、あれだけ周囲に自分を擲つ人の山があって、それに気づかず何をしていたのか、と思うのは、もう、本当、心底、嫌なんだ。
だから俺はもう、眠くても書いている。体が救難を求めていても、この矮小な決死の最中に、何か一縷、書けるものがないかを探す。なんとかそれを掴んだら、気の済むまで追求する。眠くても書く。あの午睡に沈んで、またも創作に戻ってこれなくなるのは嫌だと、あの自己嫌悪と意気地なさに襲われるのはもう絶対に嫌だと、俺は無理に筆を走らせる。そうして、こういった記事ができ上がる。
そうして、もう書けないと思ったものが意外と書けてしまったら、あとは大切な制作への筆へ向かうだけだ。そしたら、書く前とは明らかに筆や思考の進みが違う。まだやれる、という気持ちでいられる。それで書く。より良くしたくて書く。理想はなにかを捉えて、それの実現のために全身全霊をかける。そうして、流石にもう寝ないと、と眠りにつく。
潤沢な体力を一番やりたいこととは別なものに費やし、体力が尽きるまで遊んで、流石にもう寝ないと、でもなんでこんな1日を、という感情に包まれる或日より、無茶をして、無理に書きつづけたほうが、遥かに自分を信頼できる。遥かにいいものができている。そう思えてならない。
もう書けない、からが本番だ。それを数多越えた先に、こんなもの書けるのか、という壁に、いいや書けるはずだという心意気が生まれる。そうして、今の自分より遥かに素晴らしいものができる。そう信じてるよ、俺は。
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ここからだ、と書いている間に昼になっていく。
毎日書き続けることは、それら制作をし続けるために、
必要な肩慣らしなのだと思う。
これを書いて、俺の創作が始まる。