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【ほぼ日更新】ヴァイオレットエヴァーガーデン 10話みた【ネタバレ注意】

 ほぼ日更新34日目。漫画やアニメを30分で視聴する時間を含め、なるべく1hに収まるよう、それに関する絵と記事を書く日課。

※作品に関するネタバレ含みます

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 ヴァイオレットエヴァーガーデンのアニメ10話。


 まさかヴァイオレットの回想が終わった次の話で、今までで一番泣かされるとは思ってなかった。誇張なしで本当に泣いてました…


 個人的な視点だけど、どうしてこんなに美しい話が書けるのか分からない。手放しに何かを肯定するでなく、何もかもを否定するでもない。善悪でも優劣でもない、ただ、いつかいなくなってしまう前に想いを届けたいという意思が、保証もなく、頑丈でもない何かに運ばれて揺蕩っているだけ。だのに、見た後は何か肯定されたような気持ちになっている。そこにあるだけなんだけど、そこにある存在感があまりに強い。綺麗だ。


 この話は、あまりに母親らしい母親と、あまりに娘らしい娘がそこにいて、自分のらしさを必死で表現するように生きていたから、あまりに泣けてしまう話に仕上がっているのだと思う。

 母親が遺した50年分の手紙は、彼女の幾許もない余命を7日支払って描き出された。その間、一人娘と過ごす時間を犠牲にしてでも。その選択が正しいかなんて、正しく伝わるかなんて、この話を最後まで見なければ誰にも分からない。この7日を、手紙ではなく娘と過ごす時間に充てたなら?そう考えてもおかしくはないし、おそらく当然それを考えた上で、7日を手紙へ使うことを選んだのだと思う。

 「これからずっと一人になるなら、手紙なんか書かないで私とずっとに居てよ」

 母親が娘にこう言われても、それでも自分の命を代償に50年分の手紙を書くのは、もはや愛という言葉をおいて表現のしようがない。
 自分の行先よりも子供の未来を案じるのは、あまりに模範的であまりに本能的な、あまりに母親らしい母親だと思う。母親かってもとは人間なのに、娘と過ごす時間を増やしたい人間であるはずなのに、母親という存在は自分の子供を守るために自分を犠牲にする。

 自分の親を見ていてもたまに思ったのだけれど、失礼を承知で言うと、母親というものは人間であって人間じゃない。優先順位が自分よりも先に我が子にあって、それは時折恐ろしいほど、他の何かを、自分さえも代償としてでも我が子を選ぶものだと強く思う。
 愛とは、一面として自分を蔑ろにする行為を含んでいるのかもしれない。6話のリオンの話でも、彼の母親は行方不明の父親を追って自ら僻地へ向かい帰らぬ人となった。愛とはどうしようもないもので、抗いようがない。恐ろしいほど覇気に満ちていて、付け入る隙が無い。それは人間ならば持つ、生存本能や独占欲でさえも外に追いやってしまう。

 「手紙なんかより今私といろや」なんて涙ながらに本気で言われたら、大抵引き下がってしまうと思う。それをしないのは、それでも手紙を書き続けるのは、自分が娘と過ごす時間より、娘が過ごす自分のいない時間を案じていることの証左に他ならない。彼女の言う通り、「アンのことが一番」とい言葉は何の虚飾もなく本当なのだ。ヴァイオレットがギルベルトのことになると言葉に怒気を帯び表情が変わるのと同じように、「あの人のいない世界なら私の居場所はない」とまで言いのけるのと似たように、愛する人のことが一番であるというのが、愛情であり、母親である。

 そして、アンを一番に思って行動するが故に、母親の身を案じるアンをよけいに苦しめてしまうことも事実で、とにかく、この7日間だけは埋まる事の無いギャップがあって、見ていてとても胸が苦しい。
 アンはアンらしく振舞って、子供らしく生きて、母親に恥をかかせないよう懸命にやっている。その上で母親がいつかいなくなることも分かって処理しようとしているのだから、ヴァイオレットの言う通り「立派」でしかない。だのに、それが故にアンは引き裂かれる痛みに耐えきれず泣いてしまう。

 母親も娘も、どちらも互いを愛して生きているだけなのだけれど、それが故に引き裂かれる時互いを傷つけたりする。それが相手のためを想ってやっていることだとしても、伝わるかどうか不安ながらも、本気で愛情を遺そうとしている。それが10話の母親だった。そんな7日間が苦しくて愛おしい。
 そして極めつけに、ヴァイオレットもこの家庭を見て泣くのを必死で堪えていたのだから、その成長ぶりにも、感情移入としても、色々感極まって本当に泣いてしまった。


 しかし、この話において手紙というものは魔法に近い。本来ならば、ここまで愛情をもって、自分を犠牲にさえしても「伝わるかどうか分からない」という不確定要素があるのだ。相手のことをいくら思って7日を浪費したって、その想いが伝わらず、「私はあなたと一日でも多く過ごしたかった」という結論が覆らなければ、愛は無為であり、7日も娘と過ごす時間を犠牲にしたことも無価値に帰してしまう。

 「手紙」というツールと自動手記人形という狂言回しが、不確定要素をはらむ「伝える」という行為に対し、「絶対に伝えたい」と思う誰かのために使われていく。手紙はこの物語においてマジックアイテムであり、ヴァイオレットはそれを操る魔法使いである。だけどその「伝える」行為のベースには、マジックアイテムの能力ではなく、伝えたい人の強い言葉がある。それが、マジックアイテム使いである自動手記人形と、祈り続ける依頼人とのパワーバランスをうまく埋めているよな。とか思う。


 少し脱線するけど、このアニメについて人間らしい細かい描写がかなり描かれているし、映画みたいだな、むしろ映画に寄せるために細部をこだわっているのかな、とか思った。
 アンとヴァイオレットが人形遊びをするシーンで、アンがソファの上で上下すると一緒に座っているヴァイオレットの頭が揺れている。アンが土の道に前から転んだら、次のカットで服の前面だけがちゃんと汚れている。パッと見て分かっただけでも芸が細かいと思った。というか、この映画みたいな音楽がしっかり馴染むのは、映画のようにリアルな情景をしっかり描いてるからじゃないのかなあ、とか思ったりした。見ている人の多くが気付いていないような繊細な現実への近付け方があるような気がする。
 1,2話を初めて見た時の妙に居心地の悪い空気感も、10話のアンのわがままさが少しだけ苛立って聞こえてしまう自分がいたりとか、それは実写の人間らしさに近づけた結果じゃないのかなあ、と思ったりした。とにかく、人間がいるなあ、と思えることも、思った以上に移入してしまう一因なのかもしれない。


■絵の話

 今日は帰宅してから3時間くらい、購入した液タブとペンタブの設定に使っていたのであんまり進捗はないです。明日も引き続き書く予定。

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 ヴァイオレットの模写途中です。ここまで1hくらいか…。
 目の角度、まつげの綺麗さが前回の模写の課題の一つなので、ちょっと意識したい。またペン入れまで行くのかなあ。


 テンション上がって呟いてしまった。ちなみに買ったのはWacom Cintiq Pro 24。4Kモニター。金がもうない。

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 液タブを乗せる机の設営から、液タブの設営、タブレットの設定、そして絵を描きながら付属してきた左手デバイス(EK Remote)のショートカット割り当て…をずっとやってた。この時間までかけてとりあえずモノにはなったので何より。左手デバイスも液タブも予想以上に使いやすい!ほんで画面、4Kモニターなのでクソ綺麗!Full HDの解像度の4倍ですよ。解像度が4倍ってことは描画されるドットの数が4倍きめ細かいと言うことで、自分の目がそんなもんを認識できているのがなんともまあ不思議なもんだけど、とにかく普段使っているモニターよりさらに綺麗に見えるのです。
 ずっと使ってきた、モニターサイズと合ってないクソ小さい板タブ(絵の師匠から今週だけで5回くらい「おもちゃかと思った」とか言われた)からいきなりオサラバしたけど、今のところ順調に慣れていってます。液タブ楽しい!

 

 それではまた明日