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大志がなくても、取り柄がなくても
昔から、大志というものを抱いたことがなかった。
誰かと比べては、あれが足りない、これが足りない。もともと凸凹のヘコんでいるほうという認識が強く、人生はそれを埋めていく作業の繰り返しだと思っていた。
それなのに。習い事はすぐ辞める、大学時代はバイト三昧、取り柄など見当たらず。
どちらかというと冷めた目で物事を捉える由々しき癖。出世欲もなければ、社会貢献も興味ない。いつも小さな自分ゴトばかりで世界を回していたように思う。
どことなく危機感はあった。何かやらねばならない焦燥感も。でも何から手をつけたらいいかわからなかった。
高校を出たら大学、大学を出たら就職。疑いもなく、ただ流されるように、人生のコマを進めた。
新卒で入ったのは旅行会社だった。配属は九州支社。15人ほどの同期がみんな「北海道」「関西」とエリア別のチームに振り分けられた中、わたしは「顧客開発」というリピーター向け旅行に関わるチームに入った。
旅行会社の花形であるツアー企画は先輩たちの仕事で、一年目の業務は主にお客さんからの電話対応、ホテルや食事の手配、月に二回の添乗だ。
来る日も来る日もお客さんからの電話を取り続けた。その中にはクレームもあったし、不倫旅行の手伝いもあったし、ただ世間話が延々と繰り返されるだけの日もあった。
朝9時の受付開始と同時に電話が鳴り始め、絶え間なく対応に追われる。実際に細々とした手配業務や添乗準備は受付が終わった17時以降にやらざるをえず、残業ばかりの毎日だった。
世間でいう連休こそ添乗員の出番だ。ゴールデンウィークもお盆も年末年始もすべて働いていた。
20代、体力はまだまだあった。でも精神が擦り切れていくのを感じた。ゴールが見えない。
1年目が終わろうとしていたある日、となりの島である海外チームの課長から不意に声をかけられた。温和だけれどハッキリと物を言う、サバサバしたおじさまだった。
「6月のカンボジア旅行に添乗できる人を探しとるんやけど、人が足りんくて。あんた、行けん?」
海外添乗というのは旅行会社に入った者ならばいつかやってみたい仕事だ。普通は新人に任せられないし、自ら行くとか行かないとか決められない。上司や先輩が全体の人員バランスを見渡した上で、割り当てを決めていく。しかも、入社して以降、わたしには国内添乗しか経験がなかった。
カンボジア、アンコールワット、世界遺産…!
何故わたしに声がかかったのかはわからない。たまたまその辺にいたからかもしれない。でも、これは絶対だれにも譲ってはいけないと思った。自分の世界を変えてくれる予感がした。
「行きます」と即答する。
「んじゃ、お前の上司には俺からも一応話しとくわ」と海外チームの課長は言った。上の人同士のやり取りは話が早く、晴れてわたしが添乗員としてカンボジアへ行く手筈は整った。
カンボジアは想像以上に素晴らしい国だった。アンコールワットは言うまでもなく絶景に次ぐ絶景で、こんなに美しい造形物が世界に存在しているのだと初めて知った。
街並みのいたるところに内戦の爪痕が残り、顔の一部や手足を失った人たちがたくさんいる。
改めていかに自分が恵まれた環境で育ってきたかを痛感しつつ、一方でそんな考えは傲慢なのではないかと思わされた。カンボジアの人たちはいつも弾けんばかりの笑顔だった。日本人よりもよっぽど。「本当の幸せとは」と言う壮大な禅問答が脳内で繰り返される。
また、カンボジアの人たちは、自分の国が観光業で成り立っている事情を理解しているらしく、日本人にとても優しかった。心配していた食事も美味しかった。お連れした10人のお客様も口々にカンボジアの素晴らしさに感動の声をあげた。
そんな中、わたしの心を何よりもとらえていたのはカンボジアを案内してくれるガイドさんだった。
わたしと同世代の日本人女性だったのだ。
最初に挨拶したときは、ものすごくびっくりした。てっきり「日本語が話せるカンボジア人」にお世話になると思っていたからだ。黒髪で痩せ型の女性。過剰ではない自然なメイク。アシスタントとして現地の男の子を連れていた。
旅行会社を志したくせに、海外経験といえば高校の修学旅行で訪れた中国だけで、留学した経歴もなかった。だからこんな(と言っては失礼だけれど)発展途上国で仕事をしている日本人、しかも若い女性に会うなんて思ってもいなかったのだ。
「昨日の夜、寝ているときにガチャガチャと音がするなぁって目を開けたら、窓から長いハリガネが入ってきてて、誰かが外から携帯を取ろうとしていたんです!」なんて恐ろしい話をアハハと笑いながらする。
たまらず質問した。
「ひとりで住んでて怖くないんですか?」
『怖いです』
「どうしてカンボジアで働こうと思ったんですか?」
『好きだからです』
ガイドさんは続けた。
『大好きなカンボジアの魅力を、もっとたくさんの人に伝えたくて。だからガイドは天職なんです』
なんだか眩しかった。同世代で、こんなにまっすぐに自分の道を進んでいる人がいる。カンボジアが好きだという気持ちを大切にして、安定や安全と引き換えに異国で暮らす選択をする。ちっぽけな情熱では、絶対に実現できないだろう。
後からアシスタントの男の子がこっそり教えてくれた。
「あの子ね、お客さんが泊まっているホテルに到着したら、まずトイレに行くんだよ。そこで前髪を一生懸命に直しているんだ(笑)」
ひとりの女の子としての一面を知れて少しホッとしたのを覚えている。
ずっと憧れていたんだ、ああいう生きかたに。なのに斜に構えていた。どうせわたしには何もないしって。
いつから、こんなふうに自分に期待しない生き方をするようになったのだろう。
ガイドさんみたいに「好きだから」という情熱を持ってみたい。では、わたしが好きなものって?正直よくわからない。けれど、せめて今感じている気持ちを大事にしてみてはどうか。
「もっと広い世界が知りたい」「いろんな国の人と話してみたい」
と手帳に書いた。7年後、わたしはこのときの想いを胸に海外へ旅立つこととなる。心の中に、小さな灯火が点った瞬間だった。
ツアーから帰ると、担当者に報告をするのが決まりだ。最初から最後まで滞りなく終えた旨と自分が思うツアーの改善点、お客様からのアンケート等を渡して、ちょっと気になっていたことを聞いてみた。
「どうしてわたしに行かせてくれたんですか?」
海外チームの課長は言った。
「あんた声の通りがいいけんねぇ」
これだけだった。
企画力があるとか、統率力があるとか、そんなカッコいいものじゃなくて。声の通りがいい。思いもよらぬ回答。
お客さんの電話をひたすら取っていた。「これいつまで続くのかな」「ずっとこんな仕事するのかな」と、ときどきは愚痴を吐きながら。
わたしは声がずっとコンプレックスだった。男の子みたいに低いのだ。
忘れもしない中学二年生のとき。合唱コンクールが間近に迫り、練習に明け暮れていたころ、隣りのクラスである噂が始まった。
ソプラノを歌う女子の中で、浮いている声の奴がいる。音程がひどく外れているわけじゃないのに、やたらと目立つ。声の主は、わたしだ。
また、こんなこともあった。
大学時代、友人のバイト先であるレストランに遊びに行った。帰りに挨拶しようと友人を尋ねると、同僚だと思わしき男性に「え、見た目と違ってずいぶん声が低いんですねw」と笑われた。
当時わたしは長い髪に少しパーマをかけていた。遠くからは女の子らしく見えたのに、とガッカリしたらしかった。こういうギャップ萎えのような態度を取られた経験は何度もある。
そんな、ずっとコンプレックスだった声を、課長は長所として捉えてくれた。「声の通りがいい」というのは大勢のお客様を誘導する添乗員にとって、どうやらプラスのようだった。
コンプレックスだと思っていたものに、誰かが、社会人の先輩たちが、光を当ててくれる喜び。自分ひとりじゃ見つけられない、同世代の友人じゃ見つけてもらえない、あなたの良いところを。
優柔不断なのは慎重だから。神経質なのは几帳面だから。八方美人なのは気配りできるから。掃除を真面目にやるとか、ファイリングが得意だとか、一見みんな注目しないような些細な面でも、どこかで誰かが気付いて見てくれていて。
そういう、小さな小さなことが、チャンスを運んできてくれる。一年目って総じてそんなものだと、思う。
これからの、たくさんの散らばった経験を数珠つなぎにしていけば。気持ちが赴くほうへと進めば。自分だけの軌跡ができていく。それは思いもよらない形で必ず社会の役に立つ。
大志がなくても。取り柄がなくても。
自分よりも大人のひとを、まずは少しだけでも信じてみる。あんまり斜に構えなくていいから。社会人1年目の特権を、どうか楽しんで。
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