キミがはじめて物語を作った日
儚い瞬間にめっぽう弱い。
えいやっ、と自分を現実世界に引っ張らないと、失ったものに対してぐじぐじする。だからあえて反対側へ泳いでいく。
そんな調子だから、子育てしていると「胸がくるしい……」ってしょっちゅうなる。儚い瞬間がどんどん積み重なるばかりだ。
数年後、数十年後に振り返ったとき、直視できないほど眩しい時間。その中でもひときわキラッと輝く瞬間が、ある。
*
長男が「色のグラデーション」を覚えたのは1歳3ヶ月の頃だった。10色ほどあるブロックを、赤、オレンジ、黄色、黄緑、、、と虹の順番に並べていた。
こんな小さい子でも色の移り変わりがわかるんだ!と感心したのを覚えている。
彼は何かを描いたり作ったりしているときが一番楽しそうだ。
4歳となった息子。現在はプリスクール(幼稚園)に通い、毎日いろんな作品作りを楽しんでいる。私は彼や先生がそれを "プロジェクト" と呼ぶのが好き。なんかカッコいい。
ある日、いつも通り彼をお迎えに行くと、普段なら片手でぶらぶらと雑に持ち帰る作品たちを、抱きしめるようにしっかり胸に包んで出てきた。
某ウイルスの影響により、保護者は施設の中に入れない。
息子をパーキングまで連れてきてくれるのは大柄のベテラン先生。生粋のEnglish Speakerにも関わらず日本語で「おはよう」「さよなら」と言ってくれる。カラカラとよく笑い、カリフォルニアのお天気みたいだな、と思う。
微笑みを浮かべて、なにか言いたそうな息子。華奢な腕に守られた複数枚の画用紙に目を向けて尋ねた。
「今日はなにを作ったん?」
息子はパアッと目を見開き、黒目をキラキラさせながら言った。
「ブック作ったんだよ!!」
*
来週から学校がすべて無期限クローズする。
そう発表されたのは3月上旬のこと。金曜日だった。知らせを受けたとき、息子はまさにプリスクールにいて、今日が終われば休校というスピード感。
この発表が知らされて、まず頭に浮かんだのは「仕事どうしよう」だったが、批判を覚悟の上で言うのならば、私の中では「長男と24時間一緒にいられるだろうか」という不安のほうがずっとずっと大きかった。
「私はこの子に一生悩まされるんやろうなって思うんよ」
実母との電話でそうぼやいたのは、わずか半年ほど前の私。
長男はいわゆる「手がかかる子」の部類に入ると思う。癇癪、偏食、夜驚症、頑固、人見知り…幼児期における「育児の悩み」フルコースだ。
一時間半暴れ泣きが止まらず、仕事中の夫に(私が)号泣しながら電話して飛んで帰ってきてもらったこともあった。
最近は、話が通じるようになったぶん収拾はつきやすいものの、手強い性質の持ち主なのは変わらない。しかも自由な外出も、友達と会うのも、許されない状況。
おそるおそる始まった自粛生活、長男との24時間。
ちなみにこの時点で2歳の次男も休園中につき一緒にいるのだけれど、彼は正反対のおっとりイージーゴーイングな性格なので、不安はすべて長男に集中した。
大方の予想通り、大変だった。きっとどこの家庭も同じだろう。
絶え間なく続く要求、夫を含めた食事の世話、子どもたち就寝後からの仕事、慢性的な寝不足。
ピリピリイライラが増え続ける。当たりどころはない。
そんな私たちの生活において、大きな癒しを与えてくれる存在が「絵本」だった。
この機会に彼の日本語を鍛えようと考え、実母にお願いして送ってもらった大量の絵本。
今までほとんど絵本に興味を示さなかった長男が、積極的に「読んで」と言うようになったのはごく最近の話。
彼は毎日プリスクールに通っているので英語のほうが強い。いま思えば、絵本を読み聞かせても、理解できない部分が多くて退屈だったのかもしれない。
自粛生活、私と四六時中いることで日本語がぐんと伸び、以前よりもずっと童話の世界を楽しめているのだろう。
(バムとケロシリーズが一番のお気に入り)
次男の昼寝タイムやおやすみ就寝前。ふたりで静かに絵本を読む。
それは日本語の向上云々よりももっと大切なこと、穏やかなひとときを過ごすコミュニケーションツールだった。
息子と私にはこういう時間が必要だったんだ、と素直に思えた。休校は3ヶ月ほど続いた。
*
家に帰ってからも、どこか誇らしげに "ブック" をめくる長男。その姿に思わずつられてニコニコしてしまう。
ママにも見せて、と手に取ると、表紙には彼が大好きなアベンジャーズのアイアンマンが描かれていた。紙めいっぱい、はちきれんばかりに。
目が合うと、彼はおもむろに言った。
「ねぇママ、これにトークかきたい」
トーク?……とはなんぞや???
「ママがブックよむとき、いつもトークするでしょ?」
あぁ!お話の部分か!
プリスクールでは絵を描くだけで完了したプロジェクトに、どうやらお話を足したいらしい。
毎日の読み聞かせが、彼にとっては私が一方的に喋るトークだったのか、と思うと、言葉のチョイスに今度はニヤニヤしてしまう。
「いいよ。なんて書こっか」
息子は、うーん…と考えながら表紙を除いた4枚の絵一つ一つに対して書きたいことを教えてくれた。
" ぼくアイアンマンだよ "
" ロケットシップもってるんだ "
" ロケットシップどこだっけ? "
" あったー! "
彼が作ったのは、アイアンマンがいて、ロケットシップ(宇宙船)を持っていたが、失くしてしまって、でも最後に見つかった、というお話だった。
……すごい!起承転結になっている!!
しっかり転の場面があるのに驚いた。
息子よ、大人はそれを「物語」と呼ぶんだぜ。
「いいね!自分で書いてみる?」
そう尋ねると、息子は「ママが書いて」と言った。自粛生活中に練習したひらがなには、まだ自信がないらしい。図らずも、そのブックは一部共同作品となった。
就寝前の絵本は2冊がルール。この日の1冊は、彼が作ったブックに決定した。寝そべった息子が、ブランケットを顔の半分までたくし上げて耳を澄ます。私のトークが始まる。
「ぼくアイアンマンだよ」
「ロケットシップもってるんだ」
「ロケットシップどこだっけ?」
「あったー!」
なるべくゆっくり読んではみるものの、時間にしてわずか20秒ほど。読み終えると、彼は照れたような表情から満面の笑みに変わった。小さな体の中から喜びが溢れ出ている。
あっというまに終わった拍子抜けもあり、ふたりでゲラゲラ笑った。私が「さいこうにたのしい!」って言うと、息子も「さいこうにたのしいねぇ!」って言った。
「ママも作りたい?ブック」
「……うん、そうだね」
「じゃあ、あしたつくろう」
自作ブックをパラパラめくったり、枕元に丁寧に置いたり、そわそわと繰り返す息子の姿を見ながら、私は彼から受けた質問への正確な答えを探していた。
編集者コンプレックス、のようなものがある。
長い間ずっと、情報誌の仕事から個人ブログ運営に到るまで、私が取り扱ってきたのは常に「事実」だった。
物語が作れない、描写ができない、苦しみ。その歯痒さや苛立ちはつよい憧れからの反動なのもわかっている。
息子の作品は自由だ。
彼はアベンジャーズのアイアンマンになりたくて、最近はプリスクールで宇宙を学んでいて。好きや興味関心がぎゅっと詰まった物語を作った。
きっとそれが一番だいじ。
やりたい、やってみたい。
面白い、楽しい、好き。
意味とか意義とか、ない。
そんなふうにごにょごにょ思考トリップしているうちに、息子はいつのまにかスースーと寝息を立てていた。
まるで誰にも盗られませんように、と自作ブックを脇に抱えたまま。彼の腕から、破けないようにそっと抜き取った。
上手に描けたねぇ。
すごいや。
ママもやってみたいな。
2020年7月9日はキミがはじめて物語を作った日だ。
大切なことを教えてくれてありがとう。
柔らかくうねるクセっ毛は私に似ている。ふわふわに伸びた髪の毛が目に入らないよう、おでこをそっとかき上げた。目元はつぶっていても夫にそっくり。
マシュマロのようなほっぺは数年も経てばうんとシャープになるのだろう。その頃には、触るのもいやって言われて、一緒に寝てもくれないな。
嬉しさと寂しさと愛しさと切なさと、すべてが入り混じる。母になって4年経った今でも、この感情にぜんぜん慣れない。
振り返るのはやっぱり得意じゃなさそうだ。胸がじんじん痛い。
でも、こんな瞬間を、時々はちゃんと記しておこうと思った。