遅れてきた感傷とレモンの木
物事に対して現実味を感じづらい。そう気付いたのはいつぐらいだっけ。
あんたってみかんに似ているよね、とうちのお兄ちゃんは言った。みかんは柑橘のほうではなく「あたしンち」という漫画に出てくる女の子のキャラクターのこと。
いつも空想に耽っていて、ふわふわした思考の持ち主。注意力が散漫。うっかりが多い。鍵や財布、パスポートを失くしたエピソードに事欠かない私をよく知っている兄上ならではの見解だ。
私がまだ実家に住んでいた頃、職場から持ち帰った赤入れ中の原稿とリビングで睨めっこしていたら、お母ちゃんがびっくりしていた。「そんな細かそうな仕事できるの!?」って。自分でもそう思う。どうりで働いたらひどく疲れるはず。
そんな調子だから、自分が10年住んだ場所を離れると決まっていても、全然ピンとこない。断捨離して、荷造りして、送別会を開いてもらって、サンクスカードを書いて、それでもぼんやり。実感が湧いたのは、段ボールが次々と運ばれていく…作業が始まって、2時間ほど経ってからだった。
現実味を感じづらいのに現実主義者なものだから(ややこしい)、どんなに悲しんでも、行くには変わりはないしな、とやけにドライな気持ちでいたのに。
古い家だったけど、リビングの一画にある大きな窓が好きだった。そこからはレモンの木が見える。ぷくぷくとよく育つイエローの果実。瑞々しい色を眺めているだけで爽快な気分になった。
子育てに自信が持てずめそめそ泣いた日、自分の才能の無さに打ちひしがれた日、悲しい離別にこころが潰されそうな日、高くそびえる木々を眺めた。空の青と共にめいっぱい視界に入れて、深呼吸をした。
急に寂しくなったのは、「子どもたちの思い出が詰まった場所から離れる」と気付いたからだ。今のおうちに住んで3年と少し。次男を妊娠中に、隣りの敷地から移った。
洋服、靴、雑貨、それが自分の物であれば、いるか、いらないか、容易にさくさくと決められる。
でも、私は、この一枚の塗り絵を、持っていくべきかどうなのか、何分もの間ずっと考えている。すでに、そうやって積み重なった物が何箱もあって、増やさないよう夫から嗜められているのに。
できることならば、このコンクリートをかち割って、切り取って、新しいおうちの玄関前にでも飾りたい。ドアを開けたら一番に見えるところがいい。どんなにカリカリしていても、優しくなれる気がする。
ウォールステッカーをぴりぴりと外していて、手が止まってしまった。ミッキーマウスとその仲間たちとはサヨナラできたけど、思い入れが強いこの子たちをいつまでも剥がせず、そっとそのままにした。
あちこちにある、今よりもっと幼い子どもたちの面影。どうやったら思い出を、瑞々しいままで、鮮度高く、常温保存しておけるのだろう。
たった5年の子育て期間だけでも、忘れていることが多すぎる。この先はもっと長いのに、留めておけるかどうか自信がない。日本の家族へ写真をシェアするアプリを時々眺めては、忘れかけていた姿にハッとする。そのたびに大きな寂しさが襲う。
後悔も、感傷も、子どもたちに関してだけはうんと強くなるから厄介だ。ふだんはもっとうまくやれるのに、空想の世界にエスケープしながら。
日が傾き始めて、プリスクールに通っている子どもたちをそれぞれ迎えに行く。すっからかんになったおうちの引き渡しは2日後。移動先へ向かうフライトは週明け。これからしばらく暮らすホテルへ向かう。
荷物の搬出や掃除でつかれた一日の最後に、狭いホテルの部屋ではしゃぎまくる子どもたちを制す仕事が残っていた。ヘトヘトからのヘトヘト。
「ママ、あたらしいおうち、たのしいね!」
えっと、違います。元の家からぎゅっと小さくなったホテルの一室を、新しいおうちだと信じている息子がかわいい。と思ったのも束の間、眠るころには「ベッドが狭い」と怒るプンプン丸に変身していた。大変が過ぎる。
そしていま、私は明後日オーナーに渡さなければならない鍵が見当たらなくて焦っている。
そんな引っ越し、一つ目の記録。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。