相手を受け入れる努力。
ときに、自らの価値観を他者へ押し付けようとする人がいる。
自分の考えが正解だと力説し、聞き手を説得している光景を目にすると、聞き手の人に対して『なんだか気の毒だなぁ』と私は思ってしまう。
それぞれ、なにかしらの理由があり、納得した上で選択しているのだから、外野がどうのこうの言わなくてもいいのに。
自分と違う選択をした人が、後悔したとしても、それはその人の自己責任なのだから。
価値観が合わない相手が自分の家族、もしくは自分にも影響を与える存在だった場合、意見のすり合わせはあったほうが良いとは思うが、それ以外の関係性である相手に自らの価値観を植え付ける必要はあるのだろうか。
そう思っている私だが、自分自身も似た行為をしてしまっている事がある。
私は物事を選択する時、なるべく損をしない選択をしようと考える。
例えば、ふるさと納税やポイント還元など、多少手間が掛かってもやる派だ。
しかし、世の中にはそれらを活用しない人たちもいる。
なぜ、返礼品を貰えるふるさと納税を利用しないでただ税金を払っているのだろう?とか、このお店で買い物すると貯まったポイントが使えるのになぜ利用しないのだろう?とか。
これらを当たり前に活用している私からすると、そうじゃない人たちが不思議で堪らないのだ。
そして、そんな人たちに対して、つい自分の価値観を押し付けてしまう事がある。
何か新しい事を始める時、人はつい躊躇してしまう生き物だと聞いた事がある。
手続きが面倒くさい、やり方を調べるのが面倒くさいなど、やらない理由を並べ、やらないという選択をする。
現に私も、誰かに勧められた事をやらない時がある。
総合的に考えた結果からやらないと決断する事もあるが、単に面倒くさいという理由の時もある。
危機的状況でない限り、面倒くさいが勝ってしまうのだ。
このように、他人が私を変えられないのだがら、私もまた、他人を変える事が出来ないのだ。
それでも他人に価値観の押し付けをしている私がいる。
相手を受け入れる努力というものが、私にも必要なようだ。