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王様がいる国、いない国
夏の準備やら体調管理やらでここのところ、noteはちょっと時間が空いた時にスマホで読む専門になっていた。今年は何かと気を奪われることが多くて、全然集中出来ていない。いかんいかん。
そうやって流されるように数週間を過ごしてきて、昨日も同じように朝からバタバタとやるべきことを機械的にこなしていたら、夫がテレビでチャールズ王の戴冠式を見始めた。
最初は、ソファーに座ってガッツリと観賞している夫を横目に、参加者の服装が英国らしいわ~って思ったり、ヘンリ夫妻は来てるのかしら、とか、適当に流して見ていたのが、チャールズ王が教会へ入ってきたとこらへんからは、用事そっちのけでテレビにかじりついて見入ってしまった。
だってなんだか時を遡ってタイムスリップしたような、そんな光景に目を奪われたから。
全てのものが輝いている割には古く色あせていて、博物館に飾られているような、分厚くて重量感のある、もう誰も着ないようなギラギラと装飾されたガウンを羽織って、窮屈で退屈そうな新しい王様の顔を見ていると、心にキュッと熱い感情が込み上げてくる。
今の私の生活とは関係のない国の王様なのに、なぜか胸に込み上げるものがある。当のイギリス人たちにとっては相当感慨深いものなんだろうと想像がつく。
国に王様がいるって、いいなぁ。
日本に天皇がいてよかった。
右翼でも何でもない一国民だけど、外国で暮らしていると、国に象徴があるのは誇らしい。
人それぞれに意見はあるだろうけど、私は、政治とは別に国の顔となる高貴な存在がいて良かったと思っている。
みんな平等、という考えも悪くはないけど、国民全員の立場を同一にすることが平等だとは思わない。金持ちもいればお金のない人もいる、生まれや育ちの違う人たちがいる、そんな人たちがギュッと集まって暮らしているのが、それが社会だ。
平等じゃないけど、立場はみなそれぞれに違うけど、同じ国の国民だと感じて団結出来るのは、同じ言葉や文化や歴史を共有しているから。
その文化や歴史のひとつとして王室や皇室が存在する。
ダラダラと長く続く戴冠式やパレードの様子を見ながらそんなことを考えていた。
そしてもうひとつ、頭に浮かんだことがある。これは絶対にフランス人には内緒。言っちゃダメなやつ。でも言いたい。
何で革命なんて起こしちゃったのさ!なんで殺しちゃったのさ!
フランスであの血にまみれた革命がなかったら、今でも王室が存在していたら。どうなっていただろう。
今の世の中、不平等は王室のせいじゃない。王室や皇室と共存しながら、自由だ平等だって言えるようになっている。そんな未来を選べなかったフランスが、この先の未来にどうなって行くのかを想うと、少し心がざわついた。
フランスでは定期的にデモや暴動が起こる。年に何回も、路上で暴れたり店のショウウィンドウを壊したり、ゴミ箱に火をつけたりしているフランス人の映像がニュースで流される。機動隊と対峙して催涙弾をぶっ放されたお返しに、発煙筒を投げつけたりしているフランス人の姿。
何やってんだよ。
自由だ平等だ、権利だなんだかんだって言ってりゃ、何しても許されるのかよ!おいおい!
そんな現在頻発している暴動を目にする度に、フランス革命当時の民衆の心理を想像してみる。生活の不安で満ち溢れた民衆が暴れまくる様子を。
ただ事じゃない。理性も何もあったもんじゃない。
だから殺してしまったのか。
あの時、理性を取り戻して冷静に考えられる人がいたなら、殺さずに済んだかもしれない。そう思うとやっぱり、フランスに王室がないのは残念だ。
不満をぶちまけて革命を起こすまでは、そうなるべくしてなったと思わざるを得ない。でも殺して絶やしてしまうのは、そこはちょっと違うんじゃないの?って言いたい。
老齢の新国王夫妻が穏やかに笑って国民の前に立っている姿を見ながら、そんなことを考えた土曜の昼過ぎ。
いやいや、手を止めている場合じゃない。
やるべきことをやらねば!
私は私の日常へ戻って行く。