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一旦、休止
あ、そういえば。
誕生日を終えるときに、ふと思った。彼女からのおめでとうは今年はなかったな、と。
学生時代はいろんな友人の誕生日を互いに祝い合ったりもしたけれど、時が経つにつれて、おめでとうを贈り合うのは本当に数人だけに。
そんな中で細々と互いの誕生日だけは1年に二度連絡を取り合っていた彼女からの便りは途絶えた。予感はあった。歩く道が違いすぎた。
いや、都内で会社員やっているのだから、傍から見ればそう遠くはないのだけれども。
例えば、私が赤ちょうちんのぶら下がった居酒屋のカウンターで一人お酒を楽しむ時間、彼女はワイングラスを片手に自作のフランス料理を嗜むような。
例えば、私が7,000円の鞄の購入で悩む時間に、彼女は40,000円のコートの購入を決めているような。
愛すべき違いだし、こんな違いはどんな友人ともある。むしろ私と趣味趣向が全く同じ友人はほぼいない。だけど、彼女と私はきっと、それだとうまくいかない星のもとなんだと薄々感じている。
何をきっかけにそう感じたのかはもう覚えていないくらいだけれども、たぶん彼女の口から発せられるひとつひとつのワードが私が生きる世界とは違いすぎて、そうなんだねという相槌を打ちながらも深く知りたいと思えないことが増えてきたからだろうか。
違う世界を見せてくれる友人の話はとても楽しいし、それが離れる理由になることはごく稀である。
だけど、きっと私たちはマイナスな共通点を勝手な仲間意識に変換していたのかもしれない。「モテない」とか「美人ではない」とか「ダメな恋愛をしている」とか。
ここで断っておくと、彼女は決して可愛くないわけではない。むしろ、雑誌の愛されOLの特集ページがあれば、きっとその中に出てきても可笑しくないような雰囲気をまとっている。ああ、雰囲気といってしまうと、寄って見るとそうでもないという語弊があるかもしれないがそうではない。メイクやネイルにも気を抜かないし、それは見た目だけのことではなく、内面だって素敵な女性だ。きっと彼女のつくる筑前煮は美味しいはずだ。
だからこそ婚活市場でいう”高スペック”な彼がいたときは、とても幸せそうだった。恋人としてはマイナスな点があったとはいえ、そんな悩みも”恋する女”に浸れる得意さには霞んでしまう。そこから風向きは変わった気がする。
いや、分からない。彼女からすれば、私がどんどん彼女の話に興味を失っていく様が面白くなかったのかもしれないし、彼女の恋愛に嫉妬心を燃やしているように写ったのかもしれないし。私にだってメンタルの波はあるから、きっとそのどこかで彼女を傷つけていた可能性はある。真相は分からない。
だけど、その時を堺に、彼女は「モテる自分」「美形ではないがかわいい自分」「素敵な恋愛ができる自分」をパワーワードに少しずつ人を下に見るような発言が増えた。その対象は私ではなかったけれど、これまでそんなセリフを吐く子じゃなかったからこそ、その反動で驚いた。
合コンにいけば自分だけが連絡先を聞かれ、興味のない男からお寿司に誘われることもあれば、恋愛経験の乏しい友人に”私はもう汚れてしまったから”と恋愛勝者のようにつぶやく。
やはり良い方向にも悪い方向にも恋は女を変えるらしい。
いろんな意味で女性として自信ができたのだと思う。私は愛される価値のある人間だと。
そんな彼女は今は何をしているのだろうか。たぶん都内で会社員をしているはずである。これだけSNSが発達している世の中にも関わらず、得ようと思わない情報は全然耳に入らないから不思議だ。
共通の友人が多ければ、たぶん、他の友人との会合で話題にあがることもあるのだけれども、そうでもないから、直接連絡をとるくらいしか多分方法はない。
の、だけれども、二人きりで私達は何を語るのだろうか。
ちなみに誕生日のおめでとうは無くても定期的に会う友人はたくさんいる。だから、そんな些細なメッセージが友情の終わりというわけではないのだけど。
なんだか、そう。
たぶん予感というのは、あって、来年は一度も会わないで終わるんではないだろうか。
そして5年後くらいに、いろんなしがらみがなくなって、若さを失うかわりに丸くなった私たちは再び連絡をとりあっていったりするかも。
とにもかくにも、きっと一旦休止。