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着飾り戦闘モードになるとき
恋愛欲はないわけではないが、そこまで積極的な姿勢はない。今は旦那とかわいいワンコがいるから、その世話で手一杯。
ワンコを夜、自宅に残してまで会いたい人がいないから自然と、ひょんなことから恋愛がスタートしてしまいそうな場所には足を踏み入れなくなる。夜にでかけるなら、日中はわんこと過ごせる休日に予定を入れる。夜に出かけるまでにわんことの時間を最大限にとってから、お留守番をお願いする。だから、仕事終わりにふらっと・・・なんていう呑み方をしなくなった。
1人ならごくたまにやるけど。1人なら30分ときめれば30分でやめられるから、時間を見ながら愛するワンコとの時間のために帰宅できるのだ。
そんなこんなで夜の街でひょんと新しい人と会うことなんてなくなった。
で、そういう環境のせいもあるかもしれないけれど、新しい誰かに会うときよりも、過去の知り合いと会うときのほうが緊張する。
あの頃の私より今の私は輝けているのだろう。みすぼらしくなったと思われないだろうか。あれ、変わったかな、しかも悪いほうに、なんて思われないだろうか。
いまだかつて過去の方が良かったなんて思う現在を生きたことはないが、人からみた私が今の方が幸せなのか、もしかしてこんな未来を生きる人とは思わなかったなんて軽い失望とか失笑とかないだろうか、と。
例えば学生の頃、例えばまだまだ若くて世間なんて知らなかった頃、いろんな輝かしい未来をみんなと語っていたりもした。でも、それを今できているかっていうとそうでもない。
だから、あの頃のいろんな未来の話を一緒に話していた人からすれば、こんな現実を生きているのねなんて思われないだろうかと。
まあ、だから、なんていうか、知り合ってからの期間が長ければ長い人に会うときほど、妙に洋服に気を使ってしまう。
頑張ったところで、センスは無いので、かっこよい女性にはなれなかったりもするのだけど。
ああ、今度はどうしよう。
あの頃は肩を並べて笑い合っていた友人と会う。
今はきっと少し立場が違う。
今度会おうよ、って言ってそれぞれお店をチョイスしてみると、なんていうかその人の今の経済力がわかる気がする。
以前通ったお店を選択するという以外の場合において。
まずは価格帯、そしてお店の雰囲気、立地。
すごいと思う。こんなに人の行動範囲って変わるんだ、と驚き。社会人になってから会った人とはそれなりに人間が出来上がってから出会っているので大きな違いもないものだが、学生時代の友人は本当にすごい。
同じ空間で一緒によく笑った3人組がいるとして、社会人になると休みが合わなかったりタイミングがあったりとそれぞれ2人で会うことになる。あの頃は同じお店を選んでいたのに、Aちゃんはマダムが集まりそうなフレンチレストランをチョイスし、Bちゃんはサラリーマンが集いそうなおでんやさんを推してくる。おなじ”おでんやさん”でも仕事帰りにふらっと寄れる場所なのか、曲がりなりにも接待用で使えるお店なのかでも、いろいろわかってしまう。
どっちが正しいとか、どっちが良いとかではなく。
ただ、同じ「友人と会う」という目的のために準備するものはこんなにも大きく変わってしまったのだ。
そうか、そうだよね、って思う。
いろんな大人と出会って、自分たち自身も大人になって、人は変わっていくんだけど。その変化が良い時と悲しい時があるよね。
で、たまに3人が3人とも同じようなジャンルの同じような価格帯の同じような雰囲気のお店をチョイスしてくるときがある。そんなとき、必要以上に嬉しい。
同じように年齢を重ねたのか、互いに互いを思い遣っての結果なのか。どっちにせよ、嬉しい。
でも、そんなときでもやっぱり、少しだけ着飾りたい欲はある。
少しでもかっこよく見せたい。
普段は身に付けないアクセサリーを、何気なく手に取ってみたりする自分にちょっと笑ってしまうけど。