見出し画像

禅とお日様

禅とお日様 #0

これからいろいろと文章を書いてみようと思っています。今回は禅のことを書くときのタイトルを決めてみました。「禅とお日様」。

禅って難しいイメージありますよね。私も知る前は、古臭いというか、堅苦しいというか、宗教だから難しそう、修行が大変そう、いろいろとかしこまってて面倒くさそうと食わず嫌いでした。でも、知ってみるとすぐそこにあるもので、気付くのも気付かないのも自分次第、捉え方も自分次第、まるでお日様みたいな在り方だと思ってます。お日様はかんかん照りのとき、曇り空の向こう側にあるときで表情が違います。お日様がかんかん照りのときは、洗濯物がよく乾きそうとか、曇り空のときはいつお日様が顔を出すかなと期待するとか、あたり前のように存在しているけれども、そのときそのときによって感じ方が変わります。禅も同じで、常にあるもの、でも、そのときどきの表情が違うからこそ、そのときどきに感じることも違い、とらえ方や解釈の仕方も変わります。そんなことを知った体験について、今回はお伝えします。

坐禅_ウサギとカエルL

禅との出会い

私と禅との出会いは約2年前、知人からの紹介で受けてみた朝活でした。当時の私は転職をしたもののなかなか自分の進む方向がわからず、迷走していました。手当たり次第、課題感のあるものを解決出来そうな講座を探しては受講してを繰り返していました。ゴールの見えないトラックをひたすら走り続けているような感覚でした。そんなとき、その講座のクラスメイトから「島津先生の禅の講座がいいよ」という一言でその朝活の受講を決意しました。その講座の存在は知っていたものの、朝活の1時間のうち毎回20分も坐禅するのかと思うと時間がもったいないと思えて避けていましたが、その知人の言葉を信じて申し込みました。

朝活は、メゾンカイザーのパンとコーヒーが付いていたので、それを食べながら学ぶことを楽しみに通っていました。その日も2種類のパンから食べやすそうな方を選んで、席に着きました。パンを楽しみに参加していたので、どちらかというと半信半疑で受講していましたが、あっという間に終わり、大きな収穫がありました。その収穫とは、禅語からの学びと坐禅からの気付きです。

禅語「調身調息調心」からの学び

坐禅の心構えのような禅語です。姿勢を整え、呼吸を整えると心も整うという意味です。たとえば、怒りを感じたとき、一気に頭の中の沸点は高くなりますが、ふと「調身調息調心」が頭をよぎると、姿勢を整えて、深呼吸を数回すると、心が落ち着き冷静さを取り戻し、冷静な判断を下すことが出来るとも解釈ができます。逆に悲しみを感じたとき、涙が止まらなくなっていても、姿勢を正して、深呼吸をすることで涙が収まり、平静を取り戻せます。坐禅の心構えでもありながら、自分らしさを取り戻すおまじないのようなそんな禅語です。

坐禅からの気づき

私は普段パソコンに向かっていて姿勢は悪いという自覚がありました。呼吸も意識するとちゃんとできていない、いつの間にか息を止めて作業をしていることがありました。心はいつもザワザワしていて、落ち着きがありませんでした。そんな私はパソコンに向かって作業をしているとき、だいたいイライラしていたり、そわそわしていたり、冷静さを欠いていたと思います。

講座の60分のうち20分坐禅をしました。リンの音とBGMで流れる水の音に包まれて椅子坐禅をしました。終わったとき、身体も心も坐禅の前と後で変化があり、正直驚いてしまいました。

まず、背中が痛くなりました。なんで?と思うこともありましたが、普段どれだけ背中に負担をかけた変な姿勢で作業しているのかのサインと捉えることができました。次に呼吸、普通の呼吸とはいえ、吸って、吐いてを意識することでそのリズムが心地よくなり、呼吸で心が落ち着いていくのを実感しました。また、坐禅が始まった頃は頭の中をこれでいいのかな?といろんな雑念がグルグルしていましたが、終わる頃にはボーッと雑念を手放せていました。

禅を知るということ

禅語の解釈も人それぞれ、坐禅の解釈も人それぞれです。お日様の感じ方と同じだと思います。そのときそのときの感じ方が違うからこそ、学びや気づきが毎回異なります。そして、正解はありません。

そのときの自分の状態、自分の置かれている状況、周囲の状況で捉え方が変わります。正解がないからこそ、一人ひとりが探究できて、楽しむことが出来る、そんな禅の世界の奥深さを少しずつお伝えしていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?